いつの間にか、言論の自由への敬意が失われていたようです。
「抗議受け漫画休載 南京大虐殺めぐり集英社」
「週刊ヤングジャンプ」で連載中の漫画「国が燃える」(本宮ひろ志氏作)に登場した南京大虐殺の描写に対し、地方議員グループが「歴史を歪曲(わいきょく)している」と抗議したのを受け、発行元の集英社は13日、28日発売号から当分、この漫画を休載することを明らかにした。集英社の不買運動を検討する会・本宮ひろ志の歴史偽造を糾弾する会の抗議文 集英社の回答(柳川友裕氏のサイトより)
集英社は「描写の参考にした写真は『ねつ造された』との指摘もある。そういう資料を使ったのは不適切だった」としている。
「国が燃える」は昭和初期の官僚の半生を描いたフィクションで、2002年11月から連載。9月16日発売号と22日発売号で、旧日本軍が南京で市民らを殺害する様子を描いた。
(共同通信) - 10月13日12時39分更新
いずれも、南京大虐殺虚構説の立場から、本宮氏の漫画を「虚偽」と断じ、かつ係争中の「百人斬り」(第二次世界大戦中、『東京日日新聞』(毎日新聞の前身の一つ)に二人の日本軍人が、敵兵をどれだけ斬れるか競争したという記事があり、戦後本多勝一氏が『中国の旅』で改めて紹介した。これを虚偽による名誉毀損として訴えたもの)に言及しているとして、抗議したものです。
特に、上記の西村修平氏ら「集英社の不買運動を検討する会・本宮ひろ志の歴史偽造を糾弾する会」による要求は凄まじい。
一 「国が燃える」の青少年に与える悪影響並びに本宮ひろ志の歴史歪曲を検討する 調査委員会を設けること。
二 「国が燃える」を青少年に偽造の歴史を注入する有害図書として、掲載と販売を中止すること。
三 本作品は、本宮の完全なる空想であり、歴史の事実とは全く無縁である旨を「ヤングジャンプ」を通じて広告を出すこと。
そして、この要求に集英社側は屈伏し、発禁こそ受け入れなかったものの、11月11日発売の『週刊ヤングジャンプ』に編集部と本宮氏による「謝罪・訂正文」を発表、単行本から南京大虐殺・百人斬りに関する部分を全面削除することになりました。
(西村氏の側の動向は「チャンネル桜」の「南京大虐殺をでっち上げる集英社へ抗議デモ決行!」スレッド参照。関連リンクもあり)
言論の場を持つ人間が、しかも操觚者(ジャーナリスト)である西村氏(國民新聞記者)や「チャンネル桜」編集部が、何の議論も経ずに一足飛びに抗議し(西村氏)、あるいは抗議に協力し(チャンネル桜)、筆者に曲筆を強いたことを「勝利」と見なす。これだけで既に言論人として恥です。南京で何があったか、百人斬りの実態がどうであったか、論争に持ち込むこともなく、連載を中止に追い込んだ。集英社の側(集英社に応対を丸投げした本宮氏も)は力に屈しただけで、論の内容に納得したとは言えないでしょう。
西村氏らはいう、「表現の自由とか言論の自由などで釈明できない売国行為」であると。だが、これは自分が正しいという前提が先にあり、「間違った」思想はどんな手を使っても抹殺すべきという発想であると考えざるを得ません。たいていの人は、自分が正しいと考えます。しかし、自分にも間違いがあるかも知れない、相手にも正しいところがあるかも知れないと意識することで、互いに議論することができるのです。「絶対に正しい自分」に反対する者は許せないという立場を貫けば、唯一絶対の思想以外に許されない全体主義社会が残ります。
上記のスレッドでの西村氏の発言「桜チャンネルはじめ私たちは、少数派であり反体制派であると認識すべきでしょう。体制派は、反日左翼なのです」
私は考える。集英社、そして本宮氏は「桜チャンネルはじめ私たち」の側の抗議にひとたまりもなく屈し、本宮氏の側を擁護するマスコミも、言論弾圧事件として取り上げるマスコミも、国内にはほとんど存在しなかった。むしろ、海外マスコミの方が関心を持っているようだ。(「kitanoのアレ」「『国が燃える』が燃えるその2」より)
僅かに『週刊金曜日』(金曜日)は10月22日号粟野仁雄「集英社が南京大虐殺まぼろし派に屈した!?」で取りあげ、『創』(創出版)も12月号「集英社「国が燃える」抗議事件の行方」(長岡義幸)で後追いした。しかし、金曜日の記事は、百人斬り訴訟の被告側弁護人渡邊春己氏が、「百人斬り事件は、日本の元兵士の回顧録などの新資料が続々と出てきており、事実であることはもはや動かない」と反論したまでは良いが、続けて「南京大虐殺がでっちあげというなら、証拠を示して、南京大虐殺に関する本など全て出版禁止にさせればいい」(いずれも32頁)とバカなことを言っているのが問題。これでは抗議者の側と変わらない。『創』はやはり弾圧事件として取り上げたが、より詳しく双方の関係者に取材している。この他、『ウラBUBKA』(コアマガジン)12月号では、「政治でポン!本宮ひろ志と南京大虐殺とよしりんの天皇観」と題し、漫画にあったもめごとの一つとして紹介している。
南京大虐殺説自体は、虐殺数に異論はあるものの、今のところ通説として扱われている(吉川弘文館『國史大辭典』等専門家向けの辞典で判断)。通説に基づいた作品、いや、通説でなくても良い、それがどのような奇説であったとしても、それが公の議論を経ずして、弾圧された。このことは非常な重大事件なのである。その重大事に何もしなかったマスコミは、体制派と言えるほどの存在ではない。まして反体制とも呼べないだろう。西村氏はおのれの力を過小評価しているように思う。
言論の自由は、「毒」を許容するものです。逆に、ある人にとって「薬」であっても、別の人にとっては猛毒でしょう。仮に、ある一人にとって白い清潔な統制を実現したところで、それが何になりましょう。いや、こうした統制は、必ず無理が出ます。旧ソ連然り、中国然り。
『週刊金曜日』は西村氏を「右翼活動家」と呼んでいましたが、氏の職業に照らしていえば、宮武外骨氏のいう「ユスリ記者」の方が実態に近いでしょう。
急いで注記しておきますと、宮武氏のいう「ユスリ記者」とは、記事を利用して金品をユスリ取る、いわゆるブラックジャーナリズム記者を指しますが、西村氏らの行動が、金品目当てでないことはいうまでもありません。あくまで議論ではなくユスリで相手を屈伏させたことを問題にしているのです。
また、抗議が歴史論文に対してではなく、フィクションを名乗っている作品に対して行われ、効果を発揮したことも注目すべきです。
歴史を題材にした創作物は星の数ほどあるでしょうが、何しろ実在の人物を扱うものです。その気になればいくらでも本人、あるいは子孫その他の関係者にとって腹立たしい記述は出てきます。歴史的に激しく見解の対立する事件を描いた作品や、ギャグやパロディ、成人向けならば尚更でしょう。これらの創作物にいちいち抗議が許されるなら、事実上歴史を題材とした創作物は成り立たなくなります。
上の抗議文が「有害図書」との表現を使っているのも、青少年健全育成基本法案等、漫画規制問題との繋がりを意識せざるを得ません。また、東京都には出版社が集中しています。たとえ全国規制とならなくても、東京都の条例で規制されれば、実質全国に影響が及ぶことになります。
かつて、扶桑社の『SPA!』誌で連載していた小林よしのり氏が、同じく同誌で連載中の宅八郎氏らを「オウムの手先」と批判し、『SPA!』誌を降板した事件がありました。その後、小林氏は宅氏が連載で自らの批判をしないよう、出版社に圧力を掛け、さらに宅氏の切通理作氏批判がプライバシーの侵害であるとして切通氏と手を組んで宅氏の連載を打ち切らせ、さらに自らの版権を引き上げたのです。それは、編集部や宅氏の反論を認めないやり方でした。編集部が切通氏への「謝罪文」を拒むと、扶桑社は師一彦(つるし かずひこ)編集長を解任し、謝罪文を掲載したのです。宅氏の反論は『噂の眞相』1996年2月号などに掲載されたものの、小林氏に比べ、発表の機会が圧倒的に不利になったのは明らかでした。(宅氏らの反論は、ロフトブックス『教科書が教えない小林よしのり』に詳しく収録されている)そして、今回の集英社と本宮氏の対応は、これよりなお酷い。
そう、この種の圧力事件は言論活動には常について回るものなのです。しかし……………
事態は、私が思ったより遙かに切迫しています。
「本宮ひろ志氏の「国が燃える」」
「「国が燃える」騒動に思う」(いずれも、報道・表現の自由の視点でコメントしているサイト)
「【提案】本宮ひろ志『国が燃える』に「グッジョブ!」を」(九郎政宗氏、発禁批判)
「お部屋886●外部の規制と内部の規制2」(事件には言及していないが、参考になる松沢呉一氏の発言。松沢氏は、『教科書が教えない小林よしのり』に参加している)
ちなみに、私は『國民新聞』より『滑稽新聞』の方が好きです。
今年の日本列島は、本土に10個もの台風が上陸し、また近畿にも、大きな被害はなかったとはいえ、かなり強い地震が発生するなど、天変地異が相次ぎました。新潟中越地震により亡くなられた方々は38人に達し、それ以前の台風での犠牲者はそれ以上の数に上ります。台風の被害は、私の近くでも少なくありません。
一日も早い復興を祈ると同時に、さらなる未来に対する凶兆ではないかという考えが頭をかすめました。考えすぎでしょうか…。
1954(昭和29)年、西鉄ライオンズを破り4勝3敗で日本一となって以来、50年が過ぎました。それから今年も含めて5度日本シリーズ出場しましたが、どうしても勝てません。それどころか、2勝4敗、2勝4敗、1勝4敗、1勝4敗とだんだん悪くなりました。3勝に手が届いたのも50年ぶりだったのです。しかも、5試合目が終わった時点で3勝2敗と先に王手を掛けました。ところが、私が観戦に行った6試合目は、点数の割に長ったらしい試合で途中で帰らずを得ず、そのまま負けてしまいました。ライオンズの和田選手に浴びた本塁打が、致命傷となりました。
これで3勝3敗の五分。最終戦に勝てば、50年前と同じ星での優勝……………と皮算用しましたが、こんなことを考えているようではだめです。ドラゴンズ先発のドミンゴ投手は、3回に石井貴投手を三振に取ったはずが、ボークを取られ二塁走者が三進。パ・リーグは指名打者制のためシーズン中は投手が打席に立つことはほとんど無く、石井貴選手はシリーズでも全く打つ気がありませんでした。無理する必要はなかったのですが、ボークを取られたことで動揺。
初めて打って出た石井貴選手は二塁ゴロに打ち取りましたが、先ほどまでの力投とは別人のように佐藤右翼手、赤田中堅手に安打を浴び、1失点。さらにフェルナンデス三塁手にも打たれ2点目を失いました。それでも、フェルナンデス選手が一・二塁間に挟まれ、ここでアウトにしていれば2失点で済みました。ところが、あろう事かドラゴンズの井端遊撃手がフェルナンデスのヘルメットに送球をぶつけ、ボールが転々とする大失態。ここでさらに1失点。こうなると展開は見え見えで、交代した山井投手は続くカブレラ一塁手におあつらえ向きの本塁打。以上5失点。ドミンゴ投手のあれよあれよの崩れぶり、シーズン中は名手との評判を取った井端選手の失策………。そして、最終回遅まきながら1点を返し、なおも無死一・三塁の好機に、森右翼手・二併殺、代打渡邉・一飛とたった2球でゲームオーバー。西武ライオンズが12年ぶり12度目(西鉄時代を除くと9度目)の日本一となりました。負けるときはこんな物かと、唖然としました。
それでも、3位くらいならともかく、リーグ優勝するのはなかなか難しいのではないかと考えていたので、選手、そして落合監督の手腕は相当なものだったと思います。
来年こそ、ドラゴンズの日本一を見たいです。
……………と思ったら、西武(コクド)も身売り!? もう何がなにやら…「(11/6)西武球団売却へ、複数企業に打診」(『日本経済新聞』11月6日号)
10月27日、ザルカウィ容疑者のグループにより香田証生氏が人質に取られ、犯人グループは48時間以内に自衛隊が撤兵するようWeb上に流した画像で要求。小泉首相は、台風災害視察中の兵庫県豊岡市で、「テロを許すことはできない。テロに屈することはできない」とお決まりの拒絶。はかばかしい進展がないまま、香田氏は斬殺されてしまいました………。遺体は星条旗に包まれていたと報道がありましたが、実際に引き取られた遺体に星条旗はなかったといいます。
香田氏を殺した犯人たちは、いかな理由があろうと人殺しです。
にもかかわらず、小泉首相の拒絶は、むしろ政府の側の非情を感じます。
拒絶を最優先したのは、政府としての体面の優先であり、そのためには香田氏が殺されてもやむを得ない、と言わざるを得ない態度だからです。
確かに香田氏に落ち度はあったでしょう(なぜイラク入りしたのか、そもそもよくわかっていない部分が多いですが)。
高遠氏らの人質事件の際、ボランティアとして功績があったとの論に対し、「人質高遠の崇高なボランティア遍歴」(山形浩生氏、Googleキャッシュ)、「いかにボランティアとして役立たずであったか」を実証しようとする反論がありましたが、私は不愉快で仕方がありませんでした。その不愉快さは、次の主張を見た時頂点に達しました。
橋田氏がジャーナリストとしてそれなりの成果をあげてきた人だ、という評価があるだろう。それに対して、あの人質5人は、少なくともこれまでは何もしてないし、これからも何ら役にたつことはしないだろう、というのが多くの人の目には明らかだった。(『サイゾー』2004年8月号)
ふざけるな! お前に人間の将来など、わかるはずがない。
自分は「役に立つ人間」との思い込みもさることながら(注:山形氏が役立たずとは言わない。人間、なにかの役に立つことはあるだろうし、私も山形氏の著書のお世話になったこともある。しかしこの発言は許せない)、人間の価値を値踏みするいやらしさ。私が役立たずと判断した人間は見捨てろ。私にはそれを判断する価値がある。そう平気で発言できるおぞましさ。そして、為政者たちが、山形氏のように犠牲者の生命の軽重を計算しながら事に当たっている現実。何より、このMURASAMEも、同様のおぞましい感情は、間違いなく持っている。たまりません。
だから私は、今は香田氏の功罪は敢えて問いません。こいつは役立たずだから殺されて当然と平気で値踏みするような、恥を知らない人間にはなりたくないからです。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
香田氏を殺した犯人たちのやり方は、全く不正なものであり、犯罪でしかありません。しかし、自衛隊がイラクに派兵していることが、彼らに一定の大義名分を与えてしまっています。
もともと、遠い未来はともかく、今のところイラクに侵略される可能性のないアメリカ合衆国に、イラクを攻撃する根拠は全くありませんでした。そこで大量破壊兵器の存在やアル・カーイダとフセイン政権が繋がっていると言いだし、国連安保理で認められないと見るやこれを無視し、ついにイラクを侵略。フセイン政権を滅ぼし、米国など占領軍の手によりアラウィ氏が首相を僭称しました。しかし、9月13日、ついにパウエル米国務長官は大量破壊兵器発見を断念しました。「イラクに民主主義をもたらした」という主張も、自ら占領者の立場を続ける米国に、全く説得力はありません。
また、国連決議の無視を持ち出していますが、イラクは最終的に査察には応じています。さらに、イラク以上に国連無視を続けるイスラエルには、アメリカは咎めるどころか、イスラエルに不利な国連決議に拒否権を発動するなど、最大限守護しています。ブッシュ(子)政権だけで、イスラエルのために7度拒否権発動しているのです。「国連安保理で米が拒否権 イスラエルのガザ侵攻停止決議」『朝日新聞』10/6
香田氏の遺体が発見されるまでに二度、別人の遺体が香田氏のものではないかと報道されました。これは日本側の情報のいい加減さもさることながら、それほど多くの人がイラクで殺されているということも示しています。米軍によるファルージャ空襲(ロイター11/5)や、武装勢力による同時多発攻撃など、イラクでの犠牲者は増える一方です。もちろん、後者の事件は「有志連合」軍による占領が最大の原因であることも、指摘しなければならないでしょう。(ファルージャの実情については「ファルージャと戦場の現実」(Rahul Mahajan氏、いけだよしこ氏訳)参照)
「有志連合」軍によるイラク側の犠牲者は、10万人を超えたとの報道もあります(「武装勢力は米同盟国を標的、イラク人犠牲者10万人超」ロイター通信10/28)。これは殺された人数だけで、負傷者、被災者は当然何倍にもなります。
小泉氏の方針で最も恐ろしいのは、日本側に犠牲者が出れば出るほど「テロに屈しない」と発言することで、引き時を自ら遠ざけてしまい、さらなる犠牲を招く悪循環に陥り始めていることです。自衛隊の派兵期限は12月14日ですが、これで期限切れによる撤兵も言い出しにくくなってしまいました。
名目はサマーワの復興とはいえ、このような戦争の「有志連合」として参加した自衛隊です。既に、今月1日には宿営地が砲撃されました。さらなる犠牲者が出ぬうちに、あるいはイラク人を犠牲者にしてしまわぬうちに、一刻一秒でも早く撤退すべきです。
そうすることで、侵略に荷担した過ちを認め、また犯人グループに対し、道義的にも優位に立つことが出来るのです。しかるのち、本当の復興に協力すべきではないでしょうか。このままイラク人と戦火を交える事態が発生すれば、侵略者としての立場が、決定的なものとなってしまうのです。
大義よりも威信よりも、何より人を殺さないことです。
私のホームページも、Infoseekサーバは楽天ですから、無関係ではありません。
しかし、ライブドアフェニックスとの競争とはいえ、出来レースが見え見えで興醒めです。参入決定を伝える田尾安志監督のメッセージが、発表の前日に公開されたり(発覚後当日まで一旦削除)、系列の新聞社がこんなサイト(2005年より内容のほとんどが紙面のみに。18歳未満閲覧禁止)を持っているのに、ライブドアが美少女ゲーム(ブランド名はLe.Chocolat、18歳未満閲覧禁止)を販売していることを問題にした讀賣の態度など。そもそも、美少女ゲーム販売と讀賣、コクドなど不祥事を繰り返す既存オーナー会社と、どちらが悪質でしょうか。
とはいうものの、出来レースの実情が、広く一般に知れ渡ったことは進歩と言うべきでしょう。
『ベースボールマガジン 秋季号』は、消滅・身売り球団の興亡史をテーマとしています。
ネットでも知られるようになりましたが、「イーグルス」を称する球団は、楽天が初めてではありません。それは1937[昭和12]年1月18日結成された、後楽園イーグルスです(ただし「ゴールデン」はつかない。Golden Eagleはイヌワシの意)。初代イーグルスは、後楽園スタヂアムを母体とし、押川清社長、河野安通志[こうの あつし]総監督の「球場と所属チームは一つであるべき」という、フランチャイズ制の理想から生まれました。河野氏は日本初のプロ野球団、日本運動協会(1920[大正9]年創立。1924年関東大震災などにより解散するが、阪神急行電鉄[現:阪急電鉄]の小林一三氏により宝塚運動協会と改称し再建。1929[昭和4]年解散。阪急は1936年のプロ野球リーグ結成で改めて加盟し、現在のオリックス・バファローズの流れに至る)の創設者でもあります。
しかし、讀賣の正力松太郎氏らに球場建設費を援助して貰ったため、後楽園の優先使用権を東京巨人軍(現:読売ジャイアンツ)に奪われ、イーグルスはその下風に立つ羽目になります。昨年までの日本ハム・ファイターズに近い立場でしょうか。いずれにせよ、イーグルスは庇を貸して母屋を取られる結果となり、やがて後楽園スタヂアムと袂を分かちました。後楽園〜東京ドームの讀賣べったりの姿勢は、現在まで変わっていません。
イーグルスは日中戦争・アジア太平洋戦争(第二次世界大戦)の戦時下となり、球団名を日本語の黒鷲と改称、1942年には大和工作所傘下となり大和と改称します。しかし、1943年限りで、戦争の激化を理由に解散。
話はここからです。日本が第二次世界大戦に敗北すると、河野氏は新球団「東京カッブス」の加盟を申請します。ところが、巨人軍の市岡忠男代表が立ちはだかりました。
市岡氏は、個人的に河野氏に含むところがあったとも伝えられていますが、ともかく河野氏の申請を受け、各球団に打診を始めた鈴木龍二氏に「『大和』は自ら進んで解散したのだから復帰する権利はない」と強硬に反対。リーグ脱退まで持ち出しました。形の上では理事会で拒絶したことになっていますが、実質的な審査は何もなく、讀賣によって潰されたのです。(ただし、河野氏は正式な却下までに急死していた)
59年前は、球界に讀賣に逆らう者無く、そのことが問われることもない時代だったのです。「無礼なことを言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。たかが選手だって、立派な選手もいるけどね。オーナーと対等で話す協約上の根拠はひとつもない」などの渡邉恒雄前読売ジャイアンツオーナーの言動は、讀賣の伝統に則ったものだったのです。
出来レースとはいえ、59年前とは違い、その審査の怪しさが満天下に明らかになったのは、僅かながらプロ野球界が進歩したからだと思いたいです。…この程度の「進歩」では、手遅れかも知れませんが。
ゴールデンイーグルスが転ければ、パ・リーグの存続が、今度こそ危機に立たされます。その意味では、支援すべきなのでしょうが………。
余談。やはり加盟申請を受け、却下されたのが西鉄でした。1936年結成の東京セネタースの後継である西鉄は、これは完全に旧チーム復活の申請でしたが、これまた1943年に解散していたことを理由に却下されてしまったのです。
西鉄がプロ野球に再参入するのは、1950年のセ・パ両リーグ分裂で、「西鉄クリッパース」としてパ・リーグに加盟するまで待たなければなりませんでした。(現在の西武ライオンズ)
実は、ドラゴンズも危なかったのです。
中日ドラゴンズの前身は、1936年結成の名古屋軍、親会社は新愛知新聞社でした。新愛知新聞社は名古屋新聞社と合併し中部日本新聞社(現:中日新聞社)となりますが、戦時下となり経営が悪化。しばらくは大島一郎取締役がポケットマネーで経営を支えたものの、1943年限りでついに中日は手を引きました。
そこで、名古屋軍の赤嶺昌志常務は選手を理研工業の社員として勤労奉仕させ、チームを産業軍と改称し食いつなぎました。そして戦争の激化のためリーグそのものが休止し、敗戦を迎えました。
赤嶺氏は戦後、再び大島氏が出資したため「中部日本」と球団名を改称したことにつけ込まれ、親会社面をするようになった中日と対立の末、子飼いの選手を引き連れ独立。中部日本は主力を大量に失いました。そして中日は名実共に親会社となり、赤嶺一派は大映(この時点ではプロ野球加盟が認められず、1年だけ存在した国民リーグの大塚アスレチックスと行動を共にする)、急映フライヤーズ、松竹ロビンス、広島カープと渡り歩き(カープは赤嶺自身は参加せず)、行く先々で騒動を引き起こしました。このため、ドラゴンズにとってはありがたくない人物でもあるのですが…………………………
赤嶺氏が球団を引き受けた一年間がなければ、今のドラゴンズは無かったのです。
「理想の球団・イーグルス」(九時星氏、河野氏のエピソードなど)
現職であり、戦時下の大統領は負け無しという過去の例から、ある程度は覚悟していました。
しかし、頭から終わりまでデタラメでしかない戦争を起こし、10万ともいわれるイラクの人々、そして1000人といわれる米軍の人々を死に追いやった人物が、どうして当選してしまうのか。
選挙違反の疑惑は数々のものが上がっており、いくつかは信憑性があると思いますが、対立候補が負けを認めてしまってはどうしようもありません。
天道是か非か!
「ケリーは勝っていた」byグレッグ・パラスト」(「暗いニュースリンク」の記事より)
管理人 K・MURASAME
11月8日