「在日特権」論前史 櫻井よしこ氏→李青若氏→佐藤勝巳氏の事例 野間易通『「在日」特権の虚構』との間


1.『週刊新潮』1999年11月18日号 櫻井よしこ「続 日本の危機 第17回「永住外国人の地方参政権」は亡国への第一歩である」

 ※筆者注:本稿はtwitter野間易通氏のhttps://twitter.com/kdxn/status/378577499673735170と、そこで行われたやりとりを元に書きました。
在日の参政権を拒絶する櫻井よしこの凍り付いた心」でも批判されていますが、改めて。

 1999年10月5日、自自公連立の小渕内閣は「永住外国人に対する地方参政権付与」法案を政策合意しました。しかし今日まで自民党、日本維新の会、みんなの党などの反対により成立していません。
 櫻井氏は、小林節氏の「憲法一五条では選挙権は国民固有の権利とされています」の言を引き外国人参政権反対論を展開します。曰く、朝鮮総聯も反対している。曰く、訴えた在日韓国人は日本に帰化すべきである。曰く、イギリスが旧宗主国としてかつての被支配国及びアイルランド国民に地方参政権を許しているが、「日本の参政権問題に同種の要素を持ち込もうとすること自体、朝鮮半島の人々が烈しく反発するだろう」。曰く、スウェーデンが地方参政権を容認したのは移民奨励策のためで「日本の事例は明らかに異なる」。曰く、現代コリア研究所の荒木和博氏は(日本統治下で持っていた在日朝鮮出身者の日本国籍は)韓国が一方的に捨て去ったと言っている、曰く、将来被選挙権を認める事になる、曰く、在日韓国・朝鮮人の大部分は強制連行による物では無い、曰く、公明党の党利党略である、等。

 反論は「在日の参政権を拒絶する櫻井よしこの凍り付いた心」、「在日朝鮮人台湾人参政権「停止」条項の成立 ―在日朝鮮人参政権問題の歴史的検討(1)― 水野直樹」、「日本 国憲法制定における「日本国民」と「外国人」 ――米国の人権政策と日本政府との狭間で― 後藤光男」でおおよそ出尽くしています。例えば、日本が在日旧植民地出身者の参政権「停止」する衆議院議員選挙法改正が貴族院・衆議院で可決したのは1945年12月14-15日(17日公布)。
 幣原喜重郎内閣は、当初は在日朝鮮・台湾出身者が引き続き参政権を有すると閣議決定しました。しかし、清瀬一郎氏(日本進歩党、最終所属は自民)の強硬な反対で風向きが変わります。
 佐藤達夫内閣法制局参事官は、a.朝鮮・台湾人は参政権を依然適法に保有する b.しかし、平和条約締結で大部分は帝国臣民の資格を喪失する と指摘し、どうせ外国人になるのだから今から参政権を止めようと提案。
 日本は本国(内地)と植民地(外地)で戸籍を分けていました。また、外地籍の人間は国籍離脱が出来ないなど、植民地出身者を本国より権利が制限された、「二級市民」として扱うためにも使われていました。これを利用して、外地戸籍を廃止する事で在日朝鮮・台湾・樺太出身者(アイヌ除く)の参政権を停止したのが1945年12月17日。1947年の現行戸籍法でも受け継がれ、1952年発効のサンフランシスコ条約を受けた通達で名実共に日本国籍を剥奪しました。
 今でも衆議院議員選挙法に代わって設けられた公職選挙法附則2項に「戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は、当分の間、停止する。」とあるのは当時の名残です。http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO100.html#5000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000

 さて大韓民国の独立宣言は1948年8月15日、朝鮮民主主義人民共和国の独立宣言は9月9日で、当然ながら日本による一方的な参政権剥奪の「後」です。韓国は日本国籍を「捨て去った」のでは無く追認しただけなのですが、荒木氏はいきさつを伏せる事で歪曲しています。
 「在日朝鮮人≠北朝鮮人」なのはこういうわけです。あくまで朝鮮にいただけの無国籍の人扱い。ただし、在日樺太人については、サンフランシスコ条約を受けた通達で、日本国籍は喪失しないものとされました。引き続き米国占領下の沖縄・奄美・小笠原諸島、およびソ連占領下の千島列島の出身者も同様で、沖縄・奄美・小笠原諸島住民については、当然ながら日本復帰と共に日本人として扱われています。
 清瀬氏は在日旧植民地出身者が当選する事で民族問題が噴出したり、共産党支持者や天皇制廃止論者が当選する事を恐れたのですが、では植民地出身者が当時の進歩党を支持するなら参政権を認めていたのか。櫻井氏が公明党を槍玉に挙げたのも同じ動機と思います。あるいは、今の在日朝鮮・韓国・台湾人がこぞって自民党を支持するなら参政権を認めると言うつもりか、となります。

 前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。櫻井氏は「在日の人々が享受している特別永住権の仕組み」として、李青若氏の言を引きます。 「在日は、日本でも韓国でも不法就労にならない。こういう立場を活用している在日もいる。本国で国会議員をしているケース。生活の拠点を韓国に移しながらも、親が息子を徴兵に取られないように在日在留資格を維持し続けるケース」
 李青若『在日韓国人三世の胸のうち』p151の要約ですが、櫻井氏はこれを「韓国の兵役を免除され、る。両方の国でビザなしで仕事も生活もできる」「特権の持ち主」と表現し、「本国の人間なら本来果たすべき義務を負うこともなく、かといって三世、四世になってもまだ、日本国籍取得の決意が固まらないのではないか」と主張しました。
 また、在日韓国青年会の調査で日本で差別を受けたことが「殆どない」「全くない」が58.5%あった事などを挙げ、「彼らを日本国民として迎え入れる日本側の努力も必要だ」と結論付けます。

2.李青若『在日韓国人三世の胸のうち』

 さて、櫻井氏が引いた李氏の本です。李氏は在日韓国人3世で、『在日韓国人三世の胸のうち』は『現代コリア』1994/6-1995/8・9月号連載が元になっています。これに大幅に加筆して1997年、草思社から上梓されました。
 李氏曰く、「ひとくくりにして「在日は得だ」ともいいづらい。一九八二年(昭和五十七)までは社会福祉の適用に制限があったことや、公務員になれないことで。「在日は損だ」というひとたちもいる」(pp151-152)「少なくとも今までは、自分のしたいことが在日だからできなかったという経験がないんです」(p152)
 「わたしが日本批判に同調しないと、「同化している」とか「(韓国人としての)自己規定ができていない」というひとが、日本人にも在日にも一握りいる。彼らは、すべての在日に被害者の役割を演じることを期待しているのだろうか」(p156)「あえていうなら、在日がみんな帰化すれば、問題そのものがなくなるというのもまた事実ではないだろうか」(p158)。また、李氏は実際に帰化を検討しているとありますが、現在日本国籍を取っているどうかまではわかりませんでした。
 なお、李氏は姜大徳氏への反論で「『協定永住者』の在留資格ができた一九六五年(昭和四十)以降、強制退去させられたという実例がありません」(p166)と主張してますがこれは間違い、股野景親法務省入国管理局長によると1978-91の間に19人が強制退去となっています。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/120/0080/12004120080010a.html
 李氏が反論したのは上智大サークルシンポジウムの席上で、日本人学生から「エリートにはわかりませんよ。慶応みたいな一流大学出て、上智の大学院なんて一流のところにいる人間には」(p170)と批判され「すっかり気分を悪くしていた」(p171)。
 永住者の件ではともあれ、櫻井氏にとって都合のいい論とは言えます。

 しかし、まだ続きがありました。李氏の著書は「現代コリア研究所の佐藤勝巳氏が書かれた『在日韓国・朝鮮人に問う』に対し、わたしなりに答えたいという思いを「現代コリア」の編集長、西岡力氏が聞き入れて」(p220)連載したのが元になっているとあったからです。
ここで佐藤勝巳『在日韓国・朝鮮人に問う』にたどり着きました。そして、私は同書を読み思いました。櫻井氏は佐藤氏の言説を念頭に置いており、佐藤氏に触れずに李氏の言を引いたのは、李氏が「在日韓国人」故のソースロンダリングであると。

3.佐藤勝巳『在日韓国・朝鮮人に問う』

 佐藤氏は「はじめに」で、「在日韓国・朝鮮人の一部法的地位は、日本人よりも本国の韓国人よりも優位となった。いわば特権的地位を手にするようになったが、もっと多くの特権を、という要求が出されている。その結果、日本社会と在日韓国・朝鮮人および韓国との間に、新しい亀裂が生じてきた」「限度を超えた要求」(pv)と主張します。
 佐藤氏は元々日本共産党員で、在日朝鮮人の北朝鮮への「帰還」事業にも携わっていました。
 しかし佐藤氏は転向し、一転して反北朝鮮を主張するのですが、そのきっかけの一つとして金嬉老(きむ ひろ、きん きろう)事件を挙げています。
 金氏の特別弁護人になった佐藤氏は、金氏をこう評しました。
「なぜ(引用者注:金氏が)「原コリアン」かというと、彼は正直に自分の感情を表明する。そして、自分に不利になるようなことは、事実であっても断固として認めようとしない。しかし、相手側の非は、どんな小さなことでも針小棒大にいい立てる、という点で、自分の感情や考えを率直に表明しない今までつきあってきた活動家などとは著しく趣を異にしていた。」(p10)。
 あるいは、出入国管理当局とのやりとりについて。「入管問題の諸ケースに出合うことによって、多くの在日韓国・朝鮮人が持つ価値観の一つに、法律とは破るもので守るものではないという考えがあると、かなりの確信をもって思うようになった」(p15-16)
「筆者が入管局通いを止めた理由のひとつは、相談にくる在日韓国・朝鮮人から信じられないような話を何度もきかされたことだ。(中略)大阪選出の○○党の○○代議士に五〇〇万円を渡したがなにもしてくれなかった。とか、ある地方のある民族団体の幹部は、当時のカネで一〇〇〇万円払うと密入国者に特別在留を取ってくれると言うが、当なら頼んでみたいという話もあった。ウンザリするほどカネにまつわる話をきかされた。(中略)
 目的のためにカネを使う、ということは普遍的に、どこの国でもみられる現象である。しかし公然と法律に反する使い方、つまりワイロとして使うことに後ろめたさを感じるのかどうか、合法かいほうかについての通念があるかどうか、ここが法治国家かどうかの大きな分かれ道だろう。この種のことで接した在日韓国・朝鮮人で、ワイロを使うことに後ろめたさを感じている人は皆無に近かった。」(p17-18)
「在日韓国・朝鮮人に対する差別や偏見が、いわれなきものなら、われわれが(引用者注:敗戦後に進駐して来た米軍を目の当たりにして)米軍に接したときと同じ現象が起きてよいはずだ。しかしそうはならないでいる。なぜなのだろうか。このなぜが、筆者をとらえて離さなかった。
 要するに、いわれがあるということではなかろうか。するとそのいわれはなんなんだろう。たとえば金嬉老氏だが、一審の最終弁論を書くに当って筆者が打ち合わせにいった。彼の主張は自分がこの度の事件を起こしたのは、日本社会が差別をしたからだ。したがって自分には責任はない、という趣旨の主張をしてゆずらなかった。筆者は、その主張からすれば、在日韓国・朝鮮人のすべてが、金嬉老氏と同じ事件を起こして当然ということになる。しかし、そんなことは、ほとんどの人がしていないではないか、なぜだ、と反論した。(中略)  後述のように、在日韓国・朝鮮人のかなりの人が、金嬉老氏のくり出した論理と同質のものをもっているとかなりの確信をもっていえる。」(p20-21)

 長々と引用しましたが、個々の事例が全て佐藤氏の書く通りだとしても、やはり憎悪演説(ヘイトスピーチ)、人種差別といわざるを得ません。
 例えば、金氏と同じ行動を起こした在日朝鮮・韓国人はほとんどいないと本人に言ったそばから、在日朝鮮・韓国人は金氏と同じ論理の持ち主と主張する。
 あるいは、賄賂を受け取った代議士は100%日本人です。現在の選挙制度では、日本人しか代議士になれないのですから当たり前です。しかし佐藤氏は、金を受け取った側には触れず、ただ韓国・朝鮮人の性質の問題にしています。
 また、この序章タイトルは「体験が認識を変えた」であり、山野車輪『マンガ嫌韓流』のキャッチコピー「知れば知るほど嫌いになる国、韓国」との共通点が見いだせます。ただ、佐藤氏は山野氏より遥かに在日韓国・朝鮮人と付き合う実体験があったでしょうが、そのすべてを民族差別の文脈で解釈しているのは、まさに山野氏や在特会の先駆者です。

 日立就職差別事件(1970年、通名で日立ソフトウェアの入社試験を受け、合格した在日韓国人の朴鐘碩氏が、通名で受験し、また在日韓国人が持たない本籍の代わりに現住所を本籍に記入した事などを理由に日立側が採用を取り消した事件。朴氏は就職差別として解雇無効を横浜地方裁判所に訴え、勝訴した)に携わり、朝鮮総聯などに「日本企業に勤めてどうする気か。ネオ同化主義だ」と非難された(p11、26-27)事例。あるいは在日朝鮮・韓国人の企業が、「かえって日本人を雇用する傾向があるのはどうしてなのか」(p77)など興味深い話がありますが、やはりここでも民族差別の論理を持ち出します。
 たとえば、朝鮮総聯にデマを流されたとして、「日本人の運動のなかでも、このような事実無根のデマを流布することは、まったくないわけではないが、書いた中身に一切ふれず、何々の手先呼ばわりをする人は日本社会のなかでは孤立し相手にされなくなっていく。私は、そういう日本文化のなかで育っているわけだから、あきれると同時に、はげしい怒りを抱いた。」(p32)
「同じことをやっても自分はよいが、他人は駄目という言動を、著名な「文化人」がやっているのである。これなどは、「日本の中の朝鮮文化」と呼ぶべきものかも知れない。」(p39)
「日本人のなかにも、政治的立場の違う人間に対して、事実無根のことを書く人間がいる。(中略)
 日本には「ウソは泥棒の始まり」という言葉があるように、ウソは、もっとも不信を買う行為という国民的合意が存在している。日本人のなかでも自分たちと政治的立場の異なる人を指して、何かの手先といって、すぐレッテルをはる悪癖をもつのが左翼≠フ人たちにいる」(p39-40)
 一事が万事この調子で、自分がデマは「朝鮮文化」とレッテルを貼りながら、レッテルを貼るのは「左翼」だとまたレッテルを貼る。
 単に朝鮮総聯なり、北朝鮮なりを批判するのでは無く、民族性を持ちだして持論の裏打ちにしている所に問題があります。

 そして、佐藤氏は第二部で在日特権論の核心に入ります。
 先に説明したように、在日旧植民地出身者は日本国籍を剥奪されています。朝鮮人の場合、まだ大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も無かったので、「地域名としての」朝鮮籍とされました。
 また、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第126号、http://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01319520428126.htm)により、1945年9月2日以前からの在留者は「別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる。」として仮に日本在留を認める措置を取りました。しかし、法施行後に生まれた在日朝鮮・台湾人は、一般の在日外国人同様、3年おきに在留資格を更新する必要がありました。(野間易通『「在日特権」の虚構』p85)
 1965年、日本が韓国との国交を樹立すると、韓国籍ならば永住権を申請出来るようになりました。朝鮮籍は依然として地域名(北朝鮮と=では無い)の扱いですが、韓国籍になれば国籍として扱うようになったのです(ただし、実際には朝鮮籍のまま永住権を取った例もある)。
 しかし、この時は協定の対象は申請者の子までで、孫については1991年までに協議すると先送りにしました。また、1981年に日本が難民の地位に関する条約に加入(1982年発効)したため、これに基づき一般永住権(他の在日外国人と同様)を取る道も開けました。ただし、これは強制退去など協定永住者より規制が厳しくなっています。
 そして1991年[平成3]5月10日、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(入管特例法)で、法律第126号該当者とその子孫は、一律に永住権を得られると定められました。
 本書執筆当時(1991年2月)は入管特例法成立直前で、佐藤氏は同法案に反対していました。
 佐藤氏は、韓国側から以下の要求があったといいます。

(一)出入国管理および難民認定法や外国人登録法を適用するのは不当だ。
(二)在日韓国人後孫の問題解決いかんで、人権擁護国で、人権先進国としての日本の国際的地位が問われる。 (三)在日韓国人後孫問題の解決は、日本社会内で在日韓国人の役割を高めると同時に、日韓両国の友好を「永続化できる橋梁」となるよう配慮すべきだ。 (四)米国やカナダは、第二次大戦中「日本人という理由だけで」被害を与えたことを反省し、一定の物質的補償をなした。日本はそれに学び謙虚な姿勢で戦後処理に臨むべきである。

 さらに要求の細目として、

(1)協定による安定した永住権の保障 (2)退去強制の適用排除 (3)再入国許可制の適用排除 (4)指紋押捺義務と外国人登録証常時携帯義務の廃止 (5)地方自治体職員採用時の国籍条項の撤廃 (6)公立学校の教員採用時の国籍条項の撤廃 (7)就職差別解消のための行政指導の強化 (8)民族教育に対する行政的、財政的援助 (9)地方自治選挙への参政権

が挙げられたといいます(前掲、佐藤p151-152)。
 結論から言えば、入管特例法により(1)は実現し、(2)は退去強制の罪状を限定する形で一部実現しました(退去強制が無くなったわけでは無い)。(4)は指紋押捺は1993年1月、外国人登録証常時携帯義務は2012年7月廃止されました。もちろん韓国籍・朝鮮籍の区別はありません。
 佐藤氏はこれを「韓国政府の奇怪な要求」(p152)と主張し、(一)の要求をこう批判します。
「彼らは、韓国籍であるから、韓国入国の際は、日本人と違って入国ビザ(査証)は不必要だ。すると日韓間を往来するときは、一冊のパスポートさえあれば日韓両政府からのビザは一切不要となる。
 つまり、これは本国の韓国人よりも日本人よりも特権を与えよという要求にほかならないものだ。」(引用者注:現在は日本人の韓国渡航は、90日以内ビザ不要。韓国人の日本渡航も同じ。いずれも、渡航先での就労・営利目的は除く)
 また、細目についても「不明な特権要求の根拠」(p154)とした上で、(2)を「在日韓国人のみが、日韓両国で何をしようと退去強制はまぬがれるという特権要求」、(3)を「日韓両国民にない特権」と、「特権」を強調しています。さらに、(4)は韓国本国は17歳になると義務づけられている住民登録に際して、十指全ての指紋押捺が必要になるが、在日韓国人が本国に長期滞在しても指紋は採られない。佐藤氏は「巷間伝えられていることは」として、「在日韓国人を通じ住民登録証が北朝鮮に渡る危険があり、北朝鮮はその住民登録証を使用、対南破壊活動に使用しうる」「本国で彼らの指紋を採られないことが、はたして人権の尊重といえるのだろうか。この場合、採られないことが、実は、差別ということにならないのか。
 理由はどうあれ、(4)の要求が通れば、これも本国の韓国人よりも、日本人よりも有利な特権となる。」(p154)。その上で、「先に紹介した巷間の噂が、にわかに真実味を持ってくるような気がする」「韓国の安保に関心を示さない在日韓国人の本当の姿」(p156-157)と、北朝鮮の手先予備軍という偏見の元、勝手に「本当の姿」を作り上げています。
 ただ、韓国本国の指紋押捺制度は現在も続いており、むしろコンピュータによってより統制が厳しくなっています。これはやはり問題であり、廃止すべきと考えます(http://www.juki85.org/Kankoku/KankokuIndex.html、http://www.jrcl.net/frame080908h.html)。

 佐藤氏が「特権要求の最たるもの」(p160)と主張するのはやはり(9)の地方参政権で、「地方議会の選挙権・被選挙権を持ちたいというなら日本国籍を取ればよいではないか。日本国籍を取りたくなかったら、こんな要求はすべきではないと、圧倒的多くの日本人は思うだろう。」(p160)
「在日韓国・朝鮮人に地方参政権を付与することで、わが国にどんなプラスがあるのだろう。また彼らは何を得られるのだろう。そして何よりも韓国籍でありながら、日本の地方議会などの議員や首長になる人間を、本国の人たちが、うさん臭い目でみることは間違いない」(p162)
 うさん臭い目で見ているのは佐藤氏のような気がしますが。
 なお、佐藤氏は北欧等5ヶ国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、オランダ)の事例について
「確実な予測といってよいが、経済が停滞し、失業者が巷にあふれるようになったなら、外国人の地方参政権もなくするであろうし、外国人労働者移民政策もたちどころに打ち切るだろう。世界中、自国民の利益を犠牲にし、外国人の人権や、いわんや特権を認める国などあろうはずがない」(p162)と主張していますが、今のところ5ヶ国とも外国人地方参政権を無くした形跡はありません。
 また、「金日成政権の崩壊は、すでに決定的」(p165)なのに「わが国の外国人管理はいかにあるべきか、という論議が全くない」(p166)と指紋押捺廃止を批判していますが、取り敢えず北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国は、張成沢氏抹殺など血の粛清を繰り返しながらも2014年も健在です(なお金正恩氏は日成氏の孫)。佐藤氏の「北朝鮮は崩壊する」は毎年恒例の台詞なので、狼少年よりも当てになりません。あげく2013年には北朝鮮よりも先に亡くなってしまいました。
 佐藤氏の「確実な予測」は単なる願望の現れでしょう。

 そして「「謝罪と償い」という果てしのない要求」(p167)として、植民地支配に対する謝罪・償い要求を挙げ、
「「植民地統治の結果、韓国の自主的発展が阻害された」というが、その逆のことも当然考えられてしかるべきである。自分に都合のよい仮説を立て、その仮説に対して、補償を要求してくる態度に反発を感じる日本人はいても、理解を示す人がいるだろうか。
 こんな途方もない要求が出てきた主たる理由は、日本政府の態度にあったと思っている。それは先にも言及したように、指紋押なつ問題で無原則に、政治家の「功績」の名のもとに、してはならない譲歩をしたからである。
(中略)換言すれば、特権要求実現のために「日帝三六年」を利用するということで、「人権意識」などとは関係ないことだと思う。」(p170-171)
 日本は何も悪い事をしていない(と、根拠も無く仮説を立て)、にもかかわらず在日韓国・朝鮮人が日本の弱みにつけ込んで「特権」を要求したというストーリーが、佐藤氏の中に出来ています。
 こうした認識は、『嫌韓流』や在特会のそれとほとんど変わる所がありません。
 若槻泰雄『韓国・朝鮮と日本人』から「植民地統治について、旧宗主国が被支配国に公式に謝罪した例は存在しない」の言を引くことで、それは強調されます(p172)。
 そして「指紋問題が終われば、次は、外国人登録証の常時携帯義務の廃止、次は地方公務員の国籍条項の撤廃、在日韓国・朝鮮人の戦後補償とはてしなく特権要求がつづいていくだろう」(p175)と、やはりどこかでみたフレーズで締めくくられます。

 次に、戦後補償についてですが、サンフランシスコ講和条約によって、在日旧植民地出身者の「国籍離脱」を行った事に、金敬徳弁護士、大沼保昭東大教授らは国籍選択の自由を認めなかった事を不当と主張しました。佐藤氏はこれを「誤り」として、1949年10月7日駐日大韓民国代表部大使のマッカーサー連合軍司令官宛の文書を根拠としています。佐藤氏の『現代コリア』1991年2・3月号に全文訳出されていますが、佐藤氏に拠れば要旨はこうです。
「(1)朝鮮人及び在日韓国は、連合国人だと主張している。
 その根拠は、三〇〇〇万大韓民国人が日韓併合を認めていない。主権回復のためどの国よりも長く日帝と闘い、最後に米国など連合国の参戦で、独立を勝ち取った。したがって一度も大韓民国は国籍を失ったことはない。「大韓民国人は、所在のいかんを問わず、連合国民としての待遇を受けなければならないし、日本の戦争目的のため強制渡日された同胞は、誰よりも先に、連合国人の待遇を保有しなければならない」としるしている。
(2)日本国籍は、一九四五年八月一五日に喪失したと主張している。  植民地時代に仮に日本国籍があったにしても、それは韓国籍との二重国籍であった。それも日本の敗戦によって、日本国籍は消滅した、とのべている。
(3)国籍選択は詭弁であると主張している。
 一部に日韓併合で、大韓民国の領土は日本の割譲地となり、韓国人は日本国籍を有するに至った。在日同胞は、自由意思で渡日したとして第一次世界大戦時、ドイツ割譲地にあった国籍選択問題と同一視した意見は「大韓民国を故意に謀略する日本学者たちの悪毒なる詭弁に過ぎない」「国籍選択権云々は、これまた絶対に不当なる見解と論断せざるを得ない。また、在日大韓民国人から日本国籍取得を希望する者が、まったくないとはいえないが、万一いたとすれば、それは単なる帰化≠ナあり、国籍選択と混同、錯覚してはならない」と当時の韓国政府は、大変きびしい態度で国籍選択権を拒絶している。」(p177-178)

 この文書、当然ながらネットでも早くから嫌韓ネタに使われていて(http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3271/taidan/sanseiken.htmlによれば1996年の日付で引用されている)、『マンガ嫌韓流』でも使われているのですが、話を進めましょう。
「これだけではない。当時の在日韓国・朝鮮人で「われわれに国籍選択の自由を」などといっていた人を知らない。逆に当時、日本政府の在日韓国・朝鮮人が日本国籍を有するとの見解に抗議する人たちがほとんどであった。「在日朝鮮人は対日講和条約の発効によって日本国籍を喪失するものとされたが、このことについて在日朝鮮人から批判・非難はまったく起こらなかった」(日本女子大学紀要、文学部、第三三号、加藤晴子「在日朝鮮人の処遇政策破綻過程にみられる若干の問題について―一九四五年〜一九五二年」より)のである。」(p178)
 加藤論文は未見なので何ともいえませんが(ただし「阪神教育闘争・文献リスト」では「GHQ・警察・公安記述の表層をなで著者がそこに「正当性」を見出したいがための推論がばかりが目につく」と評されています)、ただ「批判・非難はまったく起こらなかった」訳では無いのは、国籍離脱無効訴訟があった事で分かります(深沢明人「在日の希望者に日本国籍を付与? 2008-02-24 01:03:39)。ただ、ことごとく敗訴しています。

 一方、韓国大使の見解は、韓国が日本の植民地支配の正統性を認めるわけが無いので、その限りではむしろ当然の見解といえます。
 にも関わらず、佐藤氏がここで韓国の見解を持ちだしているのはおかしい。
 もし、幣原内閣の当初の方針通り、日本が在日旧植民地出身者の日本国籍および参政権を認め続け、それが韓国政府の要求により翻されたという事実があるのなら、佐藤氏の論も一理あります。
 しかし、繰り返しますが日本が在日旧植民地出身者の参政権を停止したのは1945年12月17日。また、1947年5月2日にはGHQの意向で外国人登録令(最後の勅令)を出し、「台湾人のうち内務大臣の定める者及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」としました。ソビエト連邦を警戒して、実質的に在日朝鮮人を敵国人として扱う方針をGHQが決めたからです。
 佐藤氏は日本が先手を打って参政権を剥奪し、外国人待遇したのを伏せて、1949年の韓国政府の主張から、都合のいい部分だけつまみ食いしています。しかも、日本が名実共に在日韓国・朝鮮人および台湾人の日本国籍を消したのは1952年であり、別に韓国の意向に従ったわけでは無いのです。
 また、「日本国籍に留まるか選択するのは旧植民地出身者の自由であり、韓国政府の要求は内政干渉だ」とも言えるはずですが、この時に限って佐藤氏は内政干渉を口にしません。
 韓国の要求に従って在日旧植民地出身者の国籍を勝手に消したというのが本当なら、それ自体重大な内政干渉でしょう。
 もちろん、そんな事はありません。韓国はあくまで自国の立場を明確にしただけであり、そして日本が推し進めた「在日旧植民地出身者の実質的な外国人待遇」を追認しただけです。

 要するに佐藤氏は、在日旧植民地出身者が自動的に日本国籍に留まり、参政権その他の権利行使を行う事に対する拒絶が頭にあるため、韓国側から自分に都合のいい見解だけ利用しているのです。
 仮に韓国が最初から国籍選択の自由を表明していたら、佐藤氏は論拠に使ったでしょうか。

 続けましょう。
 1990年4月30日、日韓外相定期協議で在日韓国人三世以下法的地位協定対象者について、以下の内容がまとまりました。
1 簡素化した手続きで羈束的(引用者注:羈束はしばりつなぐ意味、ここでは裁量を設けずの意味)に永住を認める。
2 退去強制事由は、内乱、外患の罪、国交、外交上の利益に係る罪およびこれに準ずる重大な犯罪に限定する。
3 再入国許可については、出入国期間を最大限五年とする(現在は6年。通常の在日外国人は5年。再入国出来ない「相当の理由」を法務大臣が認めた場合はさらに1年)。
4 指紋押なつについては、三世以下の子孫の立場を配慮し、これを行わないこととする。このために指紋押なつに変わる適切な手段を早期に講ずる。
5 外国人登録証の携帯制度については、三世以下の子孫の立場に配慮した適切な解決策を見出す。
6 その他、教育問題、地方自治体公務員および教師の採用問題、地方自治体選挙権問題等については、今後とも協議を続けていくことにする。(p182)

 先に述べたように、1〜5までは入管特例法等の形で実現するのですが、佐藤氏は3〜6を「特権以外のなにものでもない」と改めて非難しています。
 また、佐藤氏は賠償問題は1965年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」によって「すでに解決済み」(p179)であり、日本人は「一度署名した契約書は、たとえ自分に不利であると思ってもそれは守らなければならないという暗黙の合意がある」が「韓国人および在日韓国人の場合、そのような意識は極めて希薄」であり、「法律とは守るべきものという大多数の日本人のもつ考えからすれば、一部在日韓国人たちがおこなった法律を無視した指紋押なつ拒否という行為は、日本社会の秩序を崩すと映じている。
(中略)
 日本人の間に在日韓国人に対する違和感、反発、嫌悪感が広がらないはずがなかろう。特に盧泰愚大統領訪日(一九九〇年五月)のときの言動を契機として、マスコミなどは黙殺したが、日本国民の間には、いい合わせたように「あれはなんだ」という反韓機運が急速に拡大していった。」(p187-188)
 自分の見解を「日本人」全体のものと仮定する手法は、やはり在特会、そして嫌韓厨によく受け継がれています。
 そして最後に、「特権要求に応じることが日本の国際化になるとはどうしても思われない」(p191)「在日韓国・朝鮮人問題解決のポイントは、彼らが日本国籍を取得することにある。そうすれば当事者の要求は全て解決し、特権問題も起きない。(中略)日本国籍を取得したくない人は、現在の法的地位協定で十分カバーできる。」(p209-210)と結論付けています。

 まとめると、佐藤氏が「特権」と見なし、なおかつ実現したのは以下の内容です。

(1)強制退去の罪状を他の外国人より限定した
(2)再入国許可の期限を他の外国人より延ばした(なお2012年7月9日より、2年以内なら許可を得ず再入国出来る。通常の在日外国人は1年以内)
(3)指紋押捺を廃止した
(4)外国人登録証明書携帯義務を廃止した
(5)日韓(および朝)両国にビザ無しで長期滞在ができる

 1〜4は全て、日本人なら課せられる事の無い制限です。つまり、「特権」といっても、日本人に比べて優遇されている訳ではありません。
 あくまで「外国人でありながら」「他の外国人より優遇されている」という前提です。しかし「特権」の語を用いる事で、あたかも日本人より恵まれているよう錯覚させるようになっています。
 唯一、日本人より恵まれているといえるのは、ビザ無しで日韓両国(北朝鮮については保留)をほぼ自由に行き来出来る事でしょうか。
 しかし、日本が朝鮮、台湾を植民地として支配し、敗戦で失ったのは全て日本の都合です。勝手に日本人にしたから勝手に日本人で無くする事が出来るというのも、また外国人になったからさっさと出て行けというのも結局日本側の一方的な都合です。
 「特権」というより、植民地にした代償というのがより正確だと思います。

 佐藤氏の「特権」論は、繰り返しますが自分は(日本は)何も悪い事はしていない、朝鮮・韓国人「ごとき」が自分と対等の権利を要求するのは許せない、そういう前提です。そしてある時は時系列を無視し、ある時は韓国の、ある時は北朝鮮の見解をつまみ食いし、さらに「特権」の語を繰り返し使う事で、恰(あたか)も不当な特権を得ているかのように読者に思わせています。
 野間『「在日特権」の虚構』p4でも指摘されていますが、「在日特権」は実体が無いのに、ネットでコピー&ペーストされ、宝島社などの既成メディアと呼応して「嘘も十分に繰り返せば人は信じる」(byゲッベルス。「百回言えば」では無いと同書で初めて知りました)とばかりに普及して行きました。

 佐藤氏の著書を踏まえると、李氏の意図ももう少し分かります。
 李氏は、左翼・革新勢力の持つ印象に対してはもちろん、佐藤氏の記述に対しても自分の実情を書く事で、偏見を払拭しようとしたのでは無いかと。
 日韓両国での就労について触れたのも、佐藤氏の「特権」論を意識しているのは間違いなく、就労で恵まれた点があるのを認めた上で、「少なくとも今までは、自分のしたいことが在日だからできなかったという経験がないんです」(p152)、つまり在日である事で特別に優遇も冷遇もされていないと述べたのだと思います。

 ただ、李氏の意図はどうあれ、佐藤氏、そして櫻井氏にとって都合のいい内容ではあったでしょう。
 長々と佐藤氏の著書から引用しましたが、櫻井氏の記事は、ほぼ佐藤氏の著書だけで成立する内容です。特に在日「特権」については。
 にも関わらず、櫻井氏が佐藤氏、あるいは荒木和博氏の発言では無く、李氏の発言を引いたのは、もちろん「在日韓国人も特権を認めている」と自説を補強し、なおかつ佐藤氏の主張がベースである事を薄めようとしたからだと思います。
 佐藤氏の著書を直接引かず、李氏の著書を引き、内容的には佐藤氏の意図通りの部分を利用する事で、櫻井氏は自説の補強に大いに役立てたのでした。

4.在日旧植民地出身者に対する小細工とその代償

 外国人参政権問題は、私は当初の段階で国籍選択をさせるのでは無く、始めから「治安の対象」と見倣して参政権剥奪、外国人として監視下に置く事を急いだのが結局禍根になったと思います。
 これは皮肉で無く思うのですが、日本が第二次世界大戦に敗れ、連合国軍の占領下にあった中で、日本の政治家・官僚たちは最大限自分たちの意向を実現しようと手を打っていました。
 たとえば在日旧植民地出身者の参政権剥奪を進めた清瀬一郎氏は、1946年1月に公職追放されています。そして、極東軍事裁判では東條英機元首相の主任弁護人を務め、追放解除されると政界復帰して、後年は自民党で60年安保強行採決を衆議院議長として行っています。
 1946年2月13日、大日本帝國憲法に代わってGHQの出した改憲案は、参政権について次のような条文を設けました。
「第十四条 人民ハ其ノ政府及皇位ノ終局的決定者ナリ彼等ハ其ノ公務員ヲ選定及罷免スル不可譲ノ権利ヲ有ス」
3-15 GHQ草案 1946年2月13日
 「人民」は英語原文"people"。日本在住の全ての人間を意味しますから、当然在日外国人の参政権、それも国政を含めた全ての参政権が認められます。せっかく在日旧植民地出身者の参政権を消したのがパーになってしまう。さあどうする。
 枢密院、そして貴族院・衆議院で審議した結果、実際に公布された日本國憲法ではこうなりました。
第4章 帝国議会における審議4-14 日本国憲法 1946年11月3日
「第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」
 入江俊郎法制局長官は、「国民と云ふのは日本人と云ふことである。」と説明し、外国人参政権の余地を否定しました。また、天皇に対しても他の公務員同様に任免権を持つと取れる部分は削除しています。
 他の条文でも「人民」から「国民」への置き換えは多く、GHQに角が立ちにくい、あるいは翻訳の仕方で文意をねじ曲げられる範囲で骨抜きを図った事が読み取れます。
 正直言って、マッカーサー草案そのままの方が、よりよい改憲案になっていたと思います。

 なお、外国人参政権、その他外国人の人権を保障した改憲案を提示したGHQが、1947年になると前述のように一転して監視対象とするようになったのは、GHQの方針が日本の民主化からソ連に対抗する反共に変わったからです。
 こうした日本側の「努力」の結果、在日旧植民地出身者を政治から閉め出し、一方的に外国人にする事に成功しました。
 貴族院・衆議院の審議が長引けば清瀬氏が追放されてうやむやになったかも知れず、また在日旧植民地出身者が参政権を行使した後なら、剥奪への反発もずっと強くなっていたでしょう。
 しかし、1946年4月10日に行われた第22回衆議院議員総選挙(最初の男女普通選挙であり、最後の大日本帝國憲法下の総選挙)では、在日旧植民地出身者は排除されました。まさに、紙一重の綱渡りの結果といえます。
 清瀬氏や入江氏らは、心底「うまくやった」と思ったに違いありません。
 しかし、こういう小細工はどこかでボロが出ます。今に至るまで外国人参政権問題が尾を引いているのは、結局清瀬氏らの小細工のつけが回って来たからです。

5.野間易通『「在日特権」の虚構』への前置き

 さて、最初に述べたように、本稿は元々野間氏のhttps://twitter.com/kdxn/status/378577499673735170
を元に書きました。野間氏はこう述べています。

 「在日特権」は、当初佐藤勝己〔ママ〕らが「在日利権」という言葉で指摘していたもの。これは、民族系金融機関の資産管理が不透明だとか、かつて総連系の商工会が税の減免を受けていたとか、そういう問題を扱ったものだった。文字通り、カネを巡る利権問題。

 確かに、佐藤氏は『別冊宝島Real 北朝鮮利権の真相』で「在日利権」として「朝鮮商工会の免税特権」があった、「税金問題解決に関する五項目の合意事項」(通称「五箇条の御誓文」)が交わされた等と主張しています。(前掲、野間p38)
 しかし、私は櫻井よしこ氏が、1999年段階で「特権」の語を使っていた事を思い出したので、まずそれについて言及しました。またやりとりしたり調べた結果、佐藤氏自身が1991年段階で「特権」の語を、それもカネの利権とは別のところで「特権」の語を使っていた事を突き止めました。
 要するに、佐藤氏は「特権」「利権」いずれも使って、読者に刷り込みをしていたのです。
 最初は全てtwitterでさえずり、なおかつ櫻井・李・佐藤氏の記述を受けて野間氏の『「在日特権」の虚構』感想に移る予定でしたが、長文になってtwitterで全文投稿は困難になったため、途中から独立した原稿にしたものです。
 なお、前出「阪神教育闘争・文献リスト」によれば、佐藤氏は石原慎太郎氏の「三国人」発言を受け、『現代コリア』2000年5月号「「三国人」は本当に差別語か」で前出加藤晴子氏の記述をベースにしつつ、「沢山の悪意を盛り込んで、活き活きとした排外主義・民族差別の文章と」なったとあります。
 また「ヘイトスピーチに反対する会」の柏崎正憲氏が佐藤氏の転向を分析した「反差別から差別への同軸反転:現代コリア研究所の捩れと日本の歴史修正主義」はネットで読む事が出来ます。
 同会が野間氏らを在特会以上に「レイシスト」と憎悪しているのは記憶に新しいですが、やはり歴史認識問題が佐藤氏の転向にもたらした影響は無視出来ません。

 ただ、私は当初、『マンガ嫌韓流』や在特会の主張は、佐藤氏に忠実とさえずりました。https://twitter.com/letssaga3/status/381769939192774656
しかし野間氏は「そこからさらに変質してるという印象を持った」とさえずったので、この際もう一度読み直してみました。

 佐藤氏は1991年段階で、ネットで花開く人種差別の萌芽、すなわち石原「三国人」発言、北朝鮮による拉致の確定、FIFAワールドカップ日韓大会を経てあからさまに展開されるようになった人種差別の論理がはっきり見られます。
 転向後の佐藤氏は一貫して反共・反北朝鮮であり、イラク侵略直前には「イラクの次は、北朝鮮。それがブッシュ政権の既定方針です」(『諸君!』2003年1月号72頁)とほざきました。
 しかし、佐藤氏は単なる反朝に留まらず、朝鮮民族全体への差別意識を隠そうともしていません。

 ただ、佐藤氏にしろ櫻井氏にしろ、「嫌なら帰化すればいい」の建前は変えていません。これ自体歴史的経緯を故意に無視した(あるいは、全てを韓国に押し付けて解決済みとした)差別発言ですが、在特会やネットの人種差別主義者のように、「在日外国人を追放しろ」とまでは言っていないのです。
 ネット以前にも、石原氏や黄文雄氏らの人種差別主義者は幅を利かせていましたし、実際彼らが嫌韓流や在特会などのネタ元になっています。

 また、朝鮮を植民地支配していた当時も、その後も、「治安の脅威」と見る日本政府の方針は変わりませんでした。1949年8月には吉田茂首相がマッカーサー連合国軍総司令官に「(朝鮮人の)半数は不法入国」であり、「大多数の朝鮮人は日本経済の復興に全く貢献」せず、「犯罪分子が大きな割合を占め」「共産主義者ならびにそのシンパ」であるから朝鮮に送還させて欲しいと要求しています。北朝鮮の「帰国」事業を当時の日本がメディアを含めて歓迎したのは、厄介払いしたいという意識からでした。
 確かに、両者は繋がっています。
 それで終わりでもよいのですが、しかし少なくとも20年前は、今のように差別言動がここまで公然と行われてはいなかったはずです。

 今頃になって公然と最後の一線を越えた連中が続出したのは何故なのか。というのは、人種差別問題を考える上で、傾向と対策を練るためにも考える必要があるでしょう。
 たとえば北朝鮮の拉致問題は、どう考えても韓国への差別肯定の根拠にはなりませんが、実際には十把一絡げに人種差別の論拠として使われています。それは何故か。

 という訳で、続きます。


管理人 K・MURASAME       

2014/1/16 23:52     


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