小泉内閣総辞職に当たって――絶望の淵から――


 2006(平成18)年9月26日、小泉純一郎内閣は総辞職しました。
 2001年4月26日の発足以来、1980日間。5年半という、近年にない長期政権でした。

 政権当初は、正直言いますと私も好意的でした。しかし、盗聴法反対の立場としては、自民党が政策を改めない限り、支持するわけには行きません。そして空前の高支持率ですから、これはやりにくい相手だなと思っていました。その年の夏の参院選では、私は新党・自由と希望から出馬した宮崎学氏を支援しましたが、当選にかすりもしない惨敗。逆に自民党は大勝しました。ただ、この時は盗聴法推進候補を落とすことが主眼でした。
 靖国神社参拝と、違憲訴訟を起こした原告を「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ」と小馬鹿にした事件(原告のサイトは「小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団 大阪訴訟ホームページ」)。そして、9.11米大規模テロ事件を奇貨としたかのような、いい加減な答弁の連発に小泉氏そのものへの反感を強めましたが、まだ序の口でしかなかったのです。
 個人情報保護法、有事立法、児童ポルノ法改正案など、プライバシーや表現の自由を侵害する法案が相変わらず続出し、ついて行くだけで精一杯でもありました。

 小泉政権が完全に一線を越えたのは、2003年に始まる米英豪のイラク侵略支持でした。いや、単なる支持者ではありません。国連安保理では、何とか開戦に支持を取り付けようと日本は非常任理事国の説得に当たっていたのですから。しかし、否決される見込みになったため、国連を無視して侵略するに至ったのです。
 そして、翌年のイラク邦人人質事件では、官邸からマスコミ、2ちゃんねるなどのネットに至るまで、被害者への凄まじいリンチが行われました。
 そう。日本では、時の政権を批判するものは、国民としての権利を享受できないばかりではなく、国家によって殺されることを覚悟しなければならない。まさに、「テロリスト」によってではなく、日本の空気によって彼等は殺されかけたのです。いくら何でも、そこまでするべきではない。そうした良心が完全に欠落した人間の集まり。むしろ、意に反する人間を抹殺することに正義感すら覚えるとんでもない政権になっていたのです。それを支持する国民がいたことも、事実でした。
 一方、開戦の名目に挙げられた(小泉内閣メールマガジン 第87号)「大量破壊兵器」。ここでも何度も取り上げましたが、全くのデタラメと、当の米国さえ認めざるを得ませんでした(たとえあっても、なお侵略を正当化する理由にはできませんが)。にもかかわらず、ついに小泉氏は誤りを認めませんでした。
 2006年2月2日の参議院予算委員会では、福島瑞穂氏(社民)の質問に「日本は国連安保理決議に基づいて支持したんです。あの当時、国際社会の状況からイラクがあるかないか証明する、そういう責任を負っていたのに責任を果たさなかったんです。ということになれば、あの当時で、あると思って、あっ、持っているんじゃないかと想定しても不思議ではないと思います。」と開き直り、「結果的に誤りだったわけです。判断ミスが客観的にあったわけです。
 いかがですか。」となおも食い下がる福島氏に、「これは正しい決定だと今でも思っております。」と突っぱねました。

 米国のブッシュ政権も、英国のブレア政権も、開戦理由のあまりの出鱈目さに揺らいでいます。ところが、一人小泉政権だけは、最後までさしたるダメージを受けませんでした。いくらデタラメさが明らかになっても、そのことが問題にされない。事の理非は問題とされないのです。
 最近知った事例では、2006年6月7日の決算委員会での答弁。
 4月の衆議院千葉7区の補欠選挙の応援演説で、小泉氏は「コンビニで薬が買えるようになった、これはもう規制改革の成果だ」と主張しました。コンビニで買えるのは医薬品ではなく医薬部外品だけです。もっとも、両者の区分は結構曖昧で、要するに一部の医薬品を医薬部外品に変更し、その結果コンビニで置けるようになったというのが正解です。しかし、小泉氏は最後まで誤りを認めませんでした。(質問した又市征治氏のサイトより「2006年6月7日 決算委員会」、元となった会議録は「国会会議録検索システム」から検索)
 国会で野党は、政権の政策を言論により批判し、その矛盾を指摘するのが仕事です。与野党の勢力は与党が勝っていますから、強引に採決すれば終わりなのは昔からとは言え、ここまで国会が滅茶苦茶にされた政権は、戦前はいざ知らず、戦後初めてではないでしょうか。
 小泉政権の主張や政策を正面から批判し、その矛盾を暴いても、全くといっていいほど打撃にならないのです。これはもはや議会政治ではありません。

 総選挙関連については、第44回衆議院議員総選挙の総括(前編)で書いたので繰り返しません。が、総選挙で小泉政権支持に大いに勢威を振るった(この内容についても前出で反論しています)「Irregular Expression」(gori氏)については、いささか触れさせていただきます。
 「最後だから言わせておくれ
 「小泉総理は歴史に名を残すために北朝鮮と国交正常化を焦っている」
 これが「妄想に溢れた猛烈なネガティブキャンペーン」?
 私は経済制裁は反対ですが、2004年の突然の再訪朝に、そのような疑問を抱き、批判を行う者が現れるのは別に不思議なことではありません。任期ギリギリになって制裁を宣言したから、批判が妄想だというのは後付けでしょう。
 「ブレない」? もう多くの人が忘れかけているかも知れないが、「国債発行30兆円枠」の公約はどうであったでしょうか。「一内閣一閣僚」の公約はどうであったでしょうか。そもそも、肝心の郵政民営化法案からして、当人は法案の内容を「全部読めるわけがない」と言っているのに、ブレないも糞もないものです。

 どれが本物なのかを見分ける力(または「見分けようとする姿勢」)を身に付けた有権者には面白可笑しく脚色されたニュース原稿なんか必要ない、欲しいのは一次ソースだけ。

 なるほど。一次情報源と言える国会会議録や、実際の過去の発言を観れば、小泉氏がいかに「切り貼り・歪曲・偏向とありとあらゆる手段で」国民をたぶらかしたかがはっきりするでしょう。今こそ、マスメディアは小泉氏の発言を、徹底的に分析すべきであると思います。

 しかし。事ここに至っては、問題はそういうことではないと思わざるを得ません。
 どう考えても、過去の発言をトレースされれば、困るのは小泉氏の側なのです。なのに、gori氏は平気な顔をしている。
 gori氏が矛盾に気付いてトピックを書いたならそれは故意犯です。正しいと思って書き込んだのなら確信犯です。要するに言っていることは、北朝鮮制裁問題はまだしも、その他はまったくデタラメです。

 gori氏が「「自分達が支えている政権」という興奮」と書いているのが示唆的です。
 私はgori氏を煽動家、デマゴーグと認識しています。余りにもデタラメや「敵」への中傷が多すぎ、しかもその影響力は無視できないからです(イラク邦人人質事件での被害者への中傷は絶対に忘れない)。
 gori氏をそのように駆り立てたのは、小泉氏にこれを支えなければならない、力になりたいと思わせる何かがあったからと思われるからです。だからこそ、小泉氏への批判は自分の悪口であると認識する、小泉ファンになったのだと思います。そういった、政権の義勇軍気分を抱かせたのではないかと。義勇軍にとっては、政権に反対することは即ち悪なのです。

 小泉氏は政策の整合性ではなく、「空気」を何より重んじたと、しみじみ思います。
 空気というやつは私のもっとも苦手とするところで、口頭の発言より推敲の利くネットならまだマシかとも思いましたが、"To sweet !"(甘過ぎる)。(それでも以前に比べれば、随分マシになったと思うのですが……読者諸賢の感想はいかがでしょうか)

 閑話休題。
 自分にそういう能力が欠けているからこそ、小泉氏は「空気」を存分に利用した、できたのだなと思えるのです。
 小泉氏は単に「空気を読む」だけでなく、自ら空気を強引に作り上げる事に成功しました。その手法は、何を為したかではなく、何を為したかと衆目に観られたかにこだわるという点で、徹底したものでした。
 医薬部外品をめぐる答弁でも、紛らわしい発言をしたと謝れば済むのに、しない。もちろん小泉氏の性格もあるでしょうが、「ブレない」と印象づけるのに、その方が効果的であると計算した面もあるのではないでしょうか。真面目に討論すればするほど、相手が重箱の隅をつついているかのように思わせる。小泉氏は議論するつもりは毛頭無く、ただ「ブレない自分」を印象づければそれで勝ちなのです。

 自説に説得力を持たせることと、自説の論理構成を組み立てることは、まったく別問題だったのです。話者が軽く見られるか、反感を買ってしまえば、百万言を費やしてもまったく意味が無いどころか、逆効果になってしまうのです。
 小泉氏はそのことを、よく理解していました。

 小泉氏の言動は、理不尽の塊です。しかも、批判に聞く耳を持たない。それすら、支持者にとっては「ブレない」「愛嬌」として作用しました。敵を踏みつけ、破壊する快感を、「改革」によって正当化し、国民への餌としたのです。
 理不尽を理不尽と指摘すれば、それだけで「歪曲」した「ネガティブキャンペーン」のレッテルを貼られてしまう。新語法ここに極まれりです。

 人によっては、私が政治的発言ばかりしていると思われるでしょうが、そんなことはありません。「盗聴法について考える」がある以上、関連して政治的話題が出てくるのは当然ですが、そのようなことに頭を悩ますより、趣味の話題をした方が楽しいに決まっています。
 しかし、「盗聴法〜」開設以来、自自公、自公保、自公政権の政策はそうした趣味の分野――それは既存のゲームや漫画、小説などから、自らの言論・創作活動に至るまで――。言論の自由、表現の自由、結社の自由。そうしたものに危害が加わるものばかりでした。そして、イラク侵略を始めとする、あまりに理不尽な言動がありました。私は、そうした身の危険や、理不尽から目をそらしたくなかった。できなかった。
 今年になってから「盗聴法〜」の更新が減ったのは、趣味に没頭したい気持ちと、絶望したくない。絶望したくないけど、政治に絶望してしまいそうな気持ちの現れです。

 民主党代表の小澤一郎氏は、盗聴法推進の急先鋒として、このサイトでも批判して来ました。
 盗聴法成立時は、最右翼の政治家の一人といわれたものです。ところが、それから7年。小泉政権から5年の間に、小澤氏が相対的に「左」にさえ見えてくる始末です。もちろん、小澤氏は野党に転じてから自公政権との対決色を強めていますが、その思想は大きな変化はありません。にもかかわらず、政権との対決姿勢を示しているというだけでまだしもマシな存在に見えてしまう。
 事態はここまで来てしまいました。
 「右傾化」とは少し違います。国家主義といっても、今ひとつ説明しきれないもどかしさがあります。
 権力を持ち、それ故にもっとも重い責任を持つべき政権の側が、あたかも失敗しても温かい目で助けてあげなければならない存在に。そして、政権を追及する野党の側は、一切の瑕疵も許されない存在。権力者ほど大切にしなければならないという倒錯。
 「国家主義」の熟語を使うには、あまりにも軽い。でも、敢えて単語にするならそう言うしかない。そんな事態になっています。

 政権の政策全てに反対する暇人はそうそういません。実際国会でも相当数の法案は全会一致で成立しているのですが(参議院投票結果)、「何も考えずに反対」と言ってくる。逆です。政府・与党の法案に賛成することは、少数与党であるとか、パレスチナのように与党議員がイスラエルに拉致されるような特殊な環境でない限りは楽な行為です。賛成する理由を詳しく解説する必要に迫られることは稀です。政策とはやや異なりますが、前出のイラク邦人人質事件の人質非難がよい例です。
 時流に乗っているから、話題にしても反発を買いにくい。それがさらなる大きな流れになる。相乗効果です。
 ところが、反対となると、法案の内容に目を通し、時には学説や各種統計も調べた上で、なぜ問題なのかを指摘する必要があります。そういった調べ物をし、推敲する時間は馬鹿になりません。
 しかし、そうした苦労がまったく報われない。覚悟していたとは言え、政府に反対するのはまったく割に合わない行動です。それでも言論統制を始めとして、いくつかに反対するのは、それだけの理由があるからです。どうか、そのことは考えていただきたいのです。

 朝日新聞の世論調査によると、小泉内閣の平均支持率は50%。細川護煕内閣の68%に次ぎ、8月26・27日の最後の調査でも47%を記録しました(小泉支持率47%、平均で歴代2位 本社世論調査)会社によって数値は異動がありますが、半数前後の支持を最後まで維持した点で共通しています。
 全否定は、するべきではないと思う。けれども、やはり言わねばなりません。この、稀代の悪宰相に任期を全うさせてしまった。のみならず、悪事に全く堪えることなく、国民のかなりの部分は小泉氏に支持を与え続けた。小泉氏が好き放題できたのは、やはりどうしても、国民の支持があったからです。
 この事実は、本当に絶望するに足る事実です。自分に大した力がないとわかっていても、この現実は。悔しいよ。むなしいよ。もう涙さえ出てきやしない………………………………………………。

 小泉氏の跡を継ぎ、第90代内閣総理大臣となった、安倍晋三氏。………安倍内閣については、何も期待していないのが唯一の救いでしょうか。
 盗聴法の強化や、共謀罪制定や、改憲による根本的な言論統制。そうした政策を推進するのは明らかですから、それは何とか止めてゆかなきゃ、と思います。でも、難儀な話ですね………。


管理人 K・MURASAME       

9月28日 3時47分       

9月28日 23時44分更新     


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