2007年・統一地方選挙寸評


 統一地方選前半戦が終わりました。もう後半戦が始まりましたが、構わずやってしまいましょう。

 東京都知事選は、そもそも何で「人柄」や「福祉」を理由に石原慎太郎氏に投票する人がいるのかよくわかりません。特に後者。
 どう考えても、当選したらおかしい人が圧勝する選挙って何なんでしょう。浅野史郎氏がどうとか、吉田万三氏がどうとか以前に、この期に及んであのような人種差別主義者を選良に相応しいと判断した人間が、本人+2811485人もいた事実に立ちくらむのみです。
 と、書いても当選した事実が動くわけではありません。まず他の選挙について地方別に気になった部分を書きます。
 (4/18)東京都知事選について、選挙協力関連を加筆しました(といいつつ石原氏の事ばかりやがな)。

 (6/8)後期日程について一部加筆。福井県追加。東京都知事選、前回は石原氏の事になったのでの選挙協力関連を今度こそ加筆。石原氏の続きは近いうちにやります。他も多少加筆修正。

 (6/28)東京都知事選、石原氏のキャラクター論と佐々淳行氏の開き直りなど。一応完結です。

 (6/30,7/2)完結といいながら、東京都知事選について加筆修正しました。

北海道

 知事選は現職の高橋はるみ氏が圧勝。与野党対決型で、あの鈴木宗男氏の新党大地が対立候補の荒井聰氏を支援したことでそれなりにいい勝負になるかなと思っていました。大きな失政もなく、現職は強いというところでしょうか。
 ただ、昨年のふるさと銀河線廃止など、再び赤字ローカル線の廃止が現実問題となり、また支庁の統廃合など、厳しい状況は続いているようです。
 道議選は定数106(4減)・48選挙区中、37選挙区で選挙戦となりました。こちらは接戦となり、自民は過半数を狙って66人(推薦6)擁立しましたが5減の49。民主も結党以来最多となる50人(推薦9、うち単独4)を立て、7増の42。
 登別市選挙区(定数1)では、自民が元スピードスケート選手(1994年リレハンメル冬季五輪銅)の堀井学氏を立て、1975年の同選挙区設置以来初めて自民が議席を得ました。つまり野党の牙城を、タレント候補で崩した訳です。
 大地は公認候補を立てず、民主や非自民系無所属候補を推薦することで、参院選への足場固めに徹したようです。
 知事選で荒井候補の得票が1位だったのは、鈴木氏の地元の足寄[あしょろ]町の他は、わずかに音威子府[おといねっぷ]村のみ。荒井氏の地元の(石狩)当別町でも勝てなかったとか。政治姿勢はともかく、選挙運動は鈴木氏のパワーときめ細かさを大いに見習わなくてはなりません(「ムネオ日記 (4月8日、9日の項目参照)」)。保守の強さは、金権ばかりではないのです。

 3月6日、夕張市は財政破綻のため予算に国の厳しい制約を受ける「財政再建団体」に指定されました。かつて炭鉱で栄えた都市ですが、国産の石炭がコストの都合で使われなくなると捨てられた格好です。統一地方選後期日程に入る市長選には、市の内外から7名が立候補しましたが…。
 市長選では、青森県出身で、選挙の常連として有名な羽柴秀吉(三上誠三)氏が初めて有力候補として扱われる大善戦を見せました。結局は地元出身で連合などの支援を得た藤倉肇氏が勝利しましたが、実業家の羽柴氏が、再開発計画で市民の心を掴んだのが接戦の理由と思います。
 自治体の税収は、東京都のみに利益が集まり、地方との格差は広がる一方です(単純な人口や富裕層の比ではない。たとえば、企業は基本的に本社所在地から納税するので、本社の集中する東京に税収が集まる)。

岩手

 民主党代表・小澤一郎氏の牙城。知事選は子飼いの達増拓也[たっそ たくや]氏を擁立し、これまた大勝しました。
 さすがは牙城というべきなのでしょうか…。しかし、前回自由党(当時。小澤氏の自由党が民主党に合流)推薦で県議に当選したザ・グレート・サスケ氏がなぜ小澤氏に反旗を翻し立候補したのでしょうか? 達増氏は42歳で全国最年少の知事となりましたが、「小澤チルドレン」を前面に打ち出した選挙戦だったようで、今後は未知数です。
 県議選(定数48、前回より3減)でも民主は公認30、推薦2を立て、自民は公認16、推薦3と初めから過半数を諦めていました。結果、17中15選挙区で選挙戦に突入(自民、民主とも無投票当選2)。
 結果は民主が1減の21(前回は自由21、民主1)、自民が2減の13。また、地域政党「岩手政和会」が初参戦で選挙前から1増の4議席を確保しました。系列の無所属を含めれば、自民はやや減。他、社民は3、公明、共産は1でいずれも前回と変化無しでした(ただし社民の選挙前は2)。

秋田

 県議選では国民新党唯一の議席獲得。その石川錬治郎氏は元秋田市長で、衆議院選挙にも立候補(落選)歴があります。とは言え元市長が県議というのは…むむ。
 ここは寺田典城知事が野党系であるため自民が県政野党。定数45・14選挙区中、11選挙区で選挙戦となりました。結果は自民19(+1、他に推薦1)、社民3(-1)、民主2、公明1、共産1、国新1(+1)。与野党とも過半数はならなかったものの、自民が保守系無所属を取り込み過半数を握るかどうかが鍵のようです。

東京

 さあて、知事選です。長くなる予定なので、小見出し付きます。

 先にお断りして置きますが、私は当選した石原慎太郎氏を、「盗聴法反対の一点では」評価しています(ただし8年前の見解なので、今はどうかわからぬ)。このサイトで、これまで石原氏の批判を基本的にはしなかったのはそういう打算です。それはけしからんという批判は甘んじて受け入れます。
 しかし、以前から見られた差別発言や言論弾圧がますます酷くなり、人間を力で押し潰そうとするその姿勢に我慢ならなくなった事。加えて、これも打算ですが、今度は石原氏に勝てるかも知れない、なおかつ事態は切迫していると思われた事で大々的な批判に踏み切ったのです。
 批判点については、「人種差別主義者・石原慎太郎氏を阻止せよ」を参照して下さい。

 いかに批判票が多かろうと、石原氏が1位で1/4の得票を得れば信任した事にされるのが選挙制度です。私はそれに我慢ならなかったから、石原氏が間違っていた事を天下に知らしめるためにも、石原氏を落選させなければならないと思いました。

 以下、各論行きます。

「マスコミにいじめられるかわいそうな僕」の演出

 NHKの出口調査によれば、「何を重視して投票したか」の基準で最も多いのが「人柄」が約32%を占め、以下2番目が福祉・医療で28%、都政転換が18%、五輪招致が13%、情報公開が4%とのこと(町人思案橋・クイズ集氏「 石原氏当選。浅野氏は人柄で敗れる?」)。開票速報は私も観ていましたが、仰天したのは石原への投票者の多くが「人柄」「福祉・医療」を理由に回答した事でした。特に石原都政下の福祉・医療の切り捨ては、共産も具体例を挙げて批判して来たところです(『しんぶん赤旗』2005/4/12「石原都政・自・公・民「福祉改革」」)。また、「正規雇用の在学者が少ない」と主張し、定時制高校の廃校なども強行しています(「東京都議会予算特別委員会速記録第五号」横山洋吉教育長の答弁など)。実態と真逆の理由で支持された事になります。こんなところで嘘を吐く必要はあまりないはずなので、相当数は本気で回答したのでしょう。
 何と言うことでしょうか、己の敵に進んで身を捧げるとは!

 石原氏は選挙中盤まで「反省」を装っていましたが、当確となると早速怪気炎を上げたことはテレビを通して多くの人が目撃しているはずです。「(マスコミの)執拗なバッシングは不本意だった」「神戸の地震(1995年の「阪神大震災」)では(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから2000人余計な人が死んだ」、「来年は(在日米軍に災害訓練で)航空母艦を持って来いと言ってやった」、(NHKの記者に「オリンピックの見直しについてはどう思いますか」と問われ)「何を見直すのか具体的に言ってもらいたい」云々。補足しますと、最後の質問は石原氏が公約とした2016年の東京五輪誘致について、世論調査で反対意見が多数を占めた事についてなされたものです。ちなみに、阪神大震災についての詳細はApeman氏の「阿部知子の発言がアホなのは事実だけど自民単独内閣だったらもっとましだったわけ?」「兵庫県知事、石原閣下に反論」参照。以前から、石原氏と同様の主張はあったわけです。

 私も、他の石原氏を批判する多くの方も、そして恐らく石原氏に投票したかなりの方も、当選すればこうなる事は予期していたはずです。では、なぜそんな石原氏がバカ勝ちしてしまったのか。


 手がかりになりそうなのが、たとえばこれです(matt氏「大敗を喫した直後、同じ「戦法」を取る毎日新聞社のバカさ加減。 2007/04/09 01:04」)。
石原慎太郎、280万票の圧勝。

実績と知名度を考えれば、本来的には驚く話でもないのだが、マスコミ総出のバッシングの中での選挙だ。

 そんなバカな事あるわけ無いだろ!
 とお約束の反応をしたところで、一呼吸。
 このmatt氏の反応も一つのお約束です。「マスコミ共が、野党や外国やその他の有象無象とグルになって、政府や(右翼系の)すばらしい政治家たちを不当にも非難するんだ!」と。氏のBlogからもう一つ。

石原慎太郎は、浅野史郎に完勝の直後、マスコミへの不満をブチまけた。我慢に我慢を重ねてきたであろう日々、その憤りは人間としてよく理解できる。(「この期に及んで、なお石原を過剰トリミング。毎日新聞の卑劣な社説。 2007/04/11 01:19」より)

 では申し上げましょうか。石原氏に反対する者が、批判した者が、どのような我慢と屈従を強いられて来たか。
 石原氏は、「東京都がJR原宿駅近くに、警視庁の大規模留置所建設計画を進めている」と報じた日経記者を、上司に圧力を掛け左遷させました。
 石原氏は、中国人の犯罪を「民族的DNA」によるものと断じました。
 石原氏は、田中均氏へのテロを賞賛し、煽動しました。
 石原氏は、意に染まぬ思想の教職員の転向を強要し、従わぬ者は追放しました。
 石原氏は、国旗・国歌に反対する者を罪人として威力業務妨害の名目で東京地検に告訴させました。
 注釈して置きますが、石原氏の実際の言動は最初の3つです。しかし残りも、都の政策ですから石原氏のものと観て差し支えないでしょう。

 「それのどこが悪いのか」ですって?
 いいですか諸君。石原氏に反対する者は、職を失うかも知れない、罪人の汚名を着せられるかも知れない。それどころか、命さえ失うかも知れない。そういう脅迫を受けているのですよ。
 石原氏がマスコミに批判されたところで、せいぜい選挙に落ちるかも知れないだけで、その生活が脅かされるなんてことあるはず無いじゃありませんか。政府にも、マスコミにも味方はたっぷりいて、老後の生活は保障されている人なのですから。
 要するに、石原氏はその反対者に比べて、圧倒的に恵まれた側の人間なのです。

 しかし、重要な事ですが、このように石原氏によって脅かされた人々のことは報道されません。比較的目に付くのが、石原氏と共に彼らを狙撃するフジサンケイグループの記事です。
 結局、石原氏に煮え湯を飲まされても、マスコミが取り上げてくれないから目立たない。石原氏は「マスコミにいじめられるかわいそうな僕」を見事に演出する。しかしそれは、石原氏がマスコミへの露出も、反論の機会もたっぷり得られる立場の人間だからこそです。
 あなたにいじめられた人達の方が、よほどかわいそうですよ!

選挙協力無惨

 東京都知事選には14人が立候補しましたが、石原氏の対立候補としてマスコミに「有力」として扱われたのは(こういう差別こそ「偏向報道」と思いますが)、浅野史郎氏、吉田万三氏、黒川紀章氏です。
 浅野氏は市民団体や民主・社民両党の支援を受けつつ公的な推薦・支持は受けず、吉田氏は共産党推薦、黒川氏は自らの結成した共生新党公認としての立候補でした。
 石原氏にとって代わる存在を望む側からは、「日本会議」会員で、右翼色の強い(といっても、公約を見る限り石原氏よりかなり穏健でしたが)黒川氏はまず外れ、当選の可能性を考えるなら、浅野氏か吉田氏の二択を迫られる事になりました。

 「反石原」統一候補擁立の動きもあり、私も浅野氏に望みを持っていましたが、結果は両者の潰し合いという、最悪の結果に終わりました。
日本共産党「2007年3月2日(金)「しんぶん赤旗」東京都知事選・浅野氏について 宮城県の“実績”は自民政治そのもの 志位委員長
同「2007年3月9日(金)「しんぶん赤旗」マスメディア時評 都政の対決軸示すことこそ
同「2007年3月15日(木)「しんぶん赤旗」都知事選をどうたたかうか CS放送「各党はいま」 志位委員長が語る
山口二郎氏「07年3月:反石原の統一戦線を 2007.03.08
共産党の反論「2007年3月21日(水)「しんぶん赤旗」『週刊金曜日』「政治時評」への反論 誰を知事にするかは都民が決める 日本共産党広報部長 植木俊雄
山口氏の再反論「07年4月:非自民結集再論 2007.04.09

 植木氏(というより、党の公式見解でしょうが)はいいます。

自民、公明だけでなく民主もくわわる「オール与党」体制が、これを賛美し、支え、励ましてきたからです。「日の丸・君が代」問題で教員処分をけしかけたのが民主党だったことは、端的な一例です。知事の「悪行」や「独裁者」的言動は、単なる個性ではなく、「オール与党」体制と不可分のものです。
(中略)

浅野氏の政策的立場も政治的立脚点も、石原氏よりましといえるものではけっしてありません。石原氏と浅野氏の「対立」は、都民の批判がきびしくなる中で「オール与党」が二つに割れただけです。「オール与党」陣営の二人に対抗して、日本共産党と吉田氏が都政の転換を掲げているのです。

 つまり、民主党が浅野氏の支援に乗ったのは、石原氏批判が高まった故のまやかしに過ぎないと。
 しかし、これは遺憾ながら間違っています。
 というのは、民主が「オール与党」陣営として旨みを味わいたいなら、独自候補擁立は石原氏の機嫌を損ねるだけですから、ポーズとしてもやりたくない事のはずだからです。批判という「逆風」の中、石原氏に貢献すれば、さらなる論功行賞が期待出来ますから。
 たとえば、都議会民主党で親石原派として知られ、「石原三羽烏」の一人とされる土屋敬之都議。植木氏のいう「教員処分をけしかけた」人です。氏は共産を「悪魔」と罵り(共産党の入った政権は阻止しなければならい)、「仮に共産党と民主が共闘するようなことになれば、意義(原文ママ)を申し立てて行く」と表明していました。実際、土屋氏は前の知事選では、民主党の支持した樋口恵子氏(浅野氏の選対本部長に同姓同名の人がいるので紛らわしいですが、別人)を無視して、公然と石原氏を支援しています。
 土屋氏が教員処分をけしかけたり、養護施設に介入出来たりしたのも、石原氏の威光あっての事は明らかです。
 従って、石原氏が負ける事があれば、土屋氏のような親石原派の議員は、民主内部でも大いに立場が悪くなったでしょう。政治的影響力を、大いに削る事も出来たでしょう。
 ですから、親石原派にとって見れば、共産が石原氏を批判するより、浅野氏を批判してくれた方が遥かに有り難いのです。
 都民の批判を受け、「オール与党」体制にほころびを見せた。そこまでの評価は妥当でしょう。
 ならば、次の一手は、当然相手のほころびにつけ込み、民主を石原氏の側から完全に引き離す事であったはずです。
 というのは、民主は別の候補に乗った以上、石原氏が勝てば、報復に冷遇されるのは確実だからです。それどころか、民主内部で反石原の立場を取ろうとした者も、敗戦を理由に粛清されてしまう危険性があります。

 共産は民主と石原氏の同一性を強調する事で、石原氏から離れようとする人達を孤立させてしまいました。則ち、民主を「オール与党」の側に留まらせようとする側にとってまたとない援護射撃であり、両者から挟み撃ちする構図です。そうして反対派が粛清されてしまえば、「やっぱりオール与党だ」という結果をもたらす。あまりに洒落にならない自家中毒です。

コップの中の抗争

 ネットでも、選挙中に両者の支持者(「反石原」の大義名分で、一時的に支援した方を含む)が、石原氏そっちのけで場外乱闘を繰り広げるありさまでした。
 ただし、ここでいう浅野支持者とは、共産との大同団結を望んだ人々の事です。浅野支持者には、石原氏を支持しないが、共産が味方に付かなくてよかったと認識した人々も別に存在する点に注意して下さい(こちらも実例を貼り付ける予定でしたが、見失いました。ごめんなさい)。

浅野氏側の例1:「雑談日記(徒然なるままに、。)」(SOBA氏)
例2:「ある国際人権派の雑食系ブログ。(仮)」(まこと氏)
吉田氏側の例1:「今日の出来事」(new-era氏)
例2:「+++ PPFV BLOG +++
両者の抗争への批判「都知事選:犬も食わない「浅野支持ブログ」と「吉田支持ブログ」の喧嘩 2007/03/26」『JANJAN』森下泰典氏

 これは頭の痛い問題です。
 まず、私は今回浅野氏に味方しましたから、中立ではあり得ません。また、浅野氏及び民主党などの力不足が第一の敗因にも違いないでしょう(たとえばblog-blues氏「石原三選の戦犯は民主党」や、有料購読ですが松沢呉一氏「マツワル」(リンク先で、不定期に購読者を募集しています。年会費1万円)参照)。
 また、SOBA氏が日本共産党の嫌がる「日共」(文字通り反共の立場の人が多用するので)表記で共産側を非難したように、無神経な記述が目立ったのは大変残念でした。
 それを承知の上で書きますが、new-era氏の記述は酷すぎます。氏の記述は、全く浅野氏(より正確には、浅野氏の支持者)への攻撃に集中していました。
 一目見れば「極悪なる反共マッカーシスト浅野支持者、石原も同じように酷い」という内容です。しかも、「石原知事は過半数の得票を取れないが、今のままなら比較多数で当選するだろう。浅野氏は一位になれず、吉田氏も2位は難しいだろう」と予測し(2007年03月19日 【台東区長選挙】都知事選の指標と見ていいのか?)、その上で(繰り返しますが、石原氏ではなく)浅野氏批判に集中しているのですから、浅野氏の落選を最優先の目標に記事を書いたと私は認識しています。
 さらに言えば、共産が浅野氏批判に比重を割けば割くほど、有権者には石原氏の悪事も大した事はないと思わせる効果をもたらしました。浅野氏を無視して、石原氏批判に専念する事も可能であったのに、しなかった。
 これでは、共産が石原都政をいかに批判しようと、それほど本気ではない、あるいは「どうせ浅野に入れても同じなら、投票しても無駄か」と有権者を選挙から遠ざける効果しか生まなかったと思います。
 宮崎県知事選での東国原英夫(ひがしこくばる ひでお、そのまんま東)氏の当選に見るように、組織のない候補が勝つには、うまくブームを起こす必要があります。誰に入れようか日和見している、あるいは普段は眠っている有権者を引きつけなければ勝てません。共産の対応は、有権者の火消し役でしかなかったのです。

 敢えて指摘しますが、東京都知事選に真っ先に出馬表明したのは吉田氏ではありません。山口節生氏です(吉田氏は2006年10月、山口氏は7月)。表明順に並べるなら、山口氏、吉田氏、(石原氏)、外山恒一氏、黒川氏、浅野氏の順です。
 しかし、「一番先に立候補した山口氏に一本化すべきだ」とは誰も言いません。山口氏が本気で、市民団体や野党各党に自分への一本化を要求していれば、SOBA氏やnew-era氏は笑殺したでしょうか?
 少なくとも、new-era氏には山口氏を笑う資格は無いと思います。
 new-era氏は浅野氏を対抗馬とする主張を「二大政党論と言い替えることができる。
このブログ主(引用者注:SOBA氏)が日頃から”マスゴミ”という表現まで使って忌み嫌っていた、大マスコミ主導のものだったのでは?
いつものように石原vs浅野の「二大候補者論」を喧伝する大”マスゴミ”に対して吠えて見せてほしいところだ。
自己矛盾がここまで極まってくると可哀想にさえなってくる。」(2007年03月20日 ”マスゴミ”とののしる同じ口で”マスゴミ”の二大政党論に乗っかる『反共』マッカーシズム的ブログを憐れむ)と批判しました。
 new-era氏の指摘には確かに一理あり、それがこの問題をややこしくしています。
 なるほど、都知事選に立候補しているのは石原と浅野だけではない、吉田を除け者にするのはおかしいぞというのは至極尤もです。
 では、残る11人の候補者はどうでしょうか。
 「石原VS浅野を煽るのがおかしい」というのであれば、当然残る11人の候補者、すなわち黒川氏、外山氏、ドクター・中松氏、高橋満氏、佐々木崇徳氏、桜金造氏、高島龍峰氏、内川久美子氏、鞠子公一郎氏、雄上統氏も当然、浅野氏を批判したように、詳細に批判を加えるべきでしょう。候補者は3人だけでは無いのですから。
 しかし、記事中には黒川氏が二度登場する他は、他の10候補は全く登場しません。
 先に書いた通り、マスコミは石原、浅野、吉田、黒川の四氏を「主要四候補」として報じていました。これに加えて、中松氏や桜氏を4氏に準じる候補として扱ったマスコミもありましたが、他の8候補は、最低限の情報以外全く無視しました。外山氏の政見放送がYouTubeに大量に流された件は報じられましたが、あくまでも「そういう事件」としての報道であり、一部を除いて候補者として政見を報じたわけではありません。
 別にnew-era氏の揚げ足取りで、こんな事を書いたのではありません。私は書きたいのは、吉田候補の差別的扱いに怒る一方で、それ以前にまともに報道されない10候補の扱いについて、「“マスゴミ”の主要候補分類に乗っかる」記事を書き続けていた事に全く無自覚であったろう、という現実です。
 「石原 VS 浅野(浅野氏の立候補以前は、「独自候補を立てられない」民主への批判という形で)」という構図、さらにその中でも一番優遇された石原氏と考えるならば、マスメディアは報道の格差を四重にも五重にも付けていた事になります。
 私だって、常に14候補全てを平等に扱えといわれたら無理と答えます。けれども、真に不当に扱われる候補者は、その存在すら目に入らない。この事は、どの候補者の支持者であろうと無かろうと意識して欲しいです(そう、マスコミは「偏向報道」と一番イチャモンを付けるのは、一番優遇されているはずの石原氏の支持者なのです)。

 話を戻します。そこは我慢して空気を読んで大同団結してくれ、というのが「共産の協力を望んだ」浅野支持者のおおよその気持ちでしょう。
 つまり、こういう判断です。

  1. このまま行けば、石原氏が逃げ切るだろう。
  2. しかし、非石原勢力が大同団結すれば、勝ち目は十分にある。
  3. 共産党は、単独で石原氏に勝つ力はない。
  4. しかし、大同団結に加わるかどうかで、石原氏の勝敗を左右する力は持っている。

 共産がキャスティング・ボートを握っていると認識していたわけで、これは共産の力を評価すると共に、単独では限界があるという評価でもありました。
 ただの反共だったり、あるいは共産はどうでもいいという人なら、こんな評価はしません。共産敵すべからずと思ったからこその判断です。
 「お前じゃ勝てないから降りてくれ」といわれて愉快な人間はまずいません。けれども、共産単独で勝てるかというと、やはり否といわざるを得ません。
 「我々は正しい事を言っているのに、なぜ降りなくてはいけないのか」という反発、これ則ち反石原派の総意でもあります。でなければ、石原氏の勝利という不条理な結果を見る必要も無いのです。
 しかし、いわゆる反共攻撃(といっても、手当たり次第「赤」のレッテルを貼る程度の内容ですが)が繰り返されるのは、明らかにそれに効果があるからです。反共責めにいちいち反論するよりは、共産色を薄め大同団結した方が、反論に取られる時間も少なく済み、より勝ち目が大きくなるという判断は致し方ないでしょう。全有権者を個別で説得出来るならともかく、制度的にも組織的にも、そんな事は不可能なのですから。
 逆に言えば、共産は道義的にも組織的にも、交渉で極めて有利な立場にありました。共産が選挙の成果を浅野氏に盗み取られる事を恐れるなら、それこそ政策協定なり、種々の手段で浅野氏を牽制し、その中で政策実現を採る道も選べたでしょう。
 私も「空気読め」と良く言われる人間ですし、同調圧力を感じて反発もするのですが、この私が他人に「空気読め」と要求する立場になろうとは(苦笑)。
 しかし共産は、浅野氏を本気で潰しに掛かりました

 共産が独自候補を立てるにしろ、浅野氏支持者に対しては、他の対応の仕方があったはずです。
 最低限、ポーズだけで良かったのです。浅野氏や氏を推した市民団体に対し、吉田擁立ではだめなのか、これこれの政策協定を結ぶ用意がある態度を取れば。そこで浅野氏側に断られても、「石原都政阻止での大同団結を望んでいたが、果たせず残念」という姿勢で選挙に臨んでいれば、最低でもよりましな結果にはなっていたでしょう。
 しかし共産は、浅野氏やその支持者に、正面から喧嘩を売ってしまいました。石原氏と同等、あるいはそれ以上の敵と認定し、協力の目を完膚無きまでに叩き潰そうとしました。それはあんまりな、というのが正直なところでした(保坂展人氏「小異を捨てて大同につけないのか 身辺コラム / 2007年03月11日」も参照)。

 「それにしても、山口氏に比べれば吉田氏は遥かに見込みのある候補だろう。吉田氏に一本化する道は無かったのか」という疑問はあると思います。
 もともと、吉田氏は保守分裂の間隙を縫って東京都足立区長選に当選しました。ところが、ただただ「反共」を大義にした自公+民主の強引な不信任案可決で、自公民推薦の鈴木恒年氏に追い落とされてしまいました(1999年6月)。当時、名目上はまだ野党だった公明と、自民の選挙協力の試金石として、国政選挙並みの構えで吉田氏追い落としに成功したのですから、のちの自自公、自公政権成立の極めて重大なターニングポイントとなった事件でした(「盗聴法について考える」の「盗聴法シリーズ(11) 盗聴法成立史(上・その成立まで)」も御覧下さい)。
 この時民主が余計な事をしなければ、あるいは盗聴法の成立は無かったかも知れず、今になって吉田氏との対応で苦労する必要も無かったのです。
 ですから、浅野支持者は見通しが甘すぎたのだと嘆息するしかありませんでした。
 しかし、『世界』6月号「緊急座談会 何が石原三選を招いたのか」に目を通し、びっくりしました。
 座談会に登場する、浅野氏擁立に動いた「東京。をプロデュース2007」代表の楠典子氏によれば、吉田氏や共産党にも根回しはしており、吉田氏からは「政策が引き継がれるのであれば、候補者バトンタッチも可能」とまで譲歩を得ていた。そして、浅野氏を擁立しようとしたのは、民主党の党内候補では共産が候補を引っ込められないだろうから(MURASAME注:反共色の強い愛知民主が、愛知県知事選で共産の協力を蹴り墓穴を掘ったいきさつを考えれば、妥当な判断と思う)党派色の薄い実力者を物色したためである事。さらに、浅野氏に吉田氏の出した三つの政策方針を呈示し、「これらは、浅野自身が宮城県政一二年間でやってきていたことと一致している」との見解を引き出した。ところが、共産は非常に強い浅野批判に打って出、「せっかく「石原都政はもういい」と思っていた都民を、浅野と吉田の双方から遠ざけてしまったと思います」(前掲46頁)というのです。
 楠氏の主張が本当なら、これはもう共産に弁護の余地はありません。わざわざ双方に根回しして、浅野氏の譲歩を引き出したのに、共産は全く後ろから浅野氏を狙撃したも同然であり、石原氏の援護射撃を買って出た(しかも、石原氏が絶対に感謝するわけが無く、ただほくそ笑むだけの)との誹りを免れる事は出来ないでしょう。
 もちろん、この座談会には吉田氏側の関係者は出席しておらず、楠氏が嘘を吐いている可能性があります。ならば即座に反論すべき内容です。
 しかし、他ならぬ吉田氏の公式サイト掲示板にこの記事の要旨が書き込まれていました(No.01934 at 2007/05/10 20:35、柘植洋三氏。柘植氏は浅野氏支援した)。もっとも、共産が浅野氏を狙撃した部分は書き込みからは伏せてありますが、それにしても記事に目を通す読者の事を考えれば、必ず反論しなければならない記事です。
 しかし、浅野氏支援への反論はあっても、楠氏の述べた事実関係に対する反論はされていません。現時点では、大筋で楠氏の述べた事実関係は正しいと思わざるを得ないのです。

共産党の哀しい「勝利」

 この記事を書くにあたり、改めて双方の主張を読み直しました。
 共産党にとって、浅野氏を立てた連中は、いつも頼りにならないのに都合のいい時だけ頼みに来る鬱陶しい連中かも知れません。
 共産の姿勢に組織固めであるとか、セクト(党派)主義であるとかいう批判があります(草加耕助氏「2007年4月9日(月曜日) 反石原選挙の教訓と今後」)。そういう所もあるのでしょうが、もっと単純に、そういう浅野派が感情的に憎たらしい相手と映ったからという気がしてなりません。どう見ても、共産の得票を増やす目的さえ、達成出来るとは思えないやり方だからです。
 端的に言えば、石原氏よりも浅野氏の回りでうろちょろしていた連中の方が(そう、浅野氏自体よりも)憎いのです。さらにいえば、new-era氏の次の主張。

そもそも『共産党内批判派』という表現も私はおかしいと考える。 批判をする団体を支持する勢力とは一体なんなのか?
字ずらだけ見ても矛盾している。
仮にその勢力が存在するとして、その勢力に対して『共産党の支持者』という表現はおかしいだろう。
「共産党が嫌いな人」という表現が一番すっきりするはずだ。

それを横に置くとしても、この投稿者の主張していることを共産党が党としてやれば、その後の選挙で起きるのは『一大日本共産党ブーム』ではなく、「共産党の消滅」だろう。
有権者の視界から共産党は完全に消えてなくなるのは間違いない。
おそらくこのブログ主はそのことが分かっていてあえてこんなバカげた主張を展開しているのだろう。
要するに『共産党が消滅すればいい』これだけなのだろう。(「2007年04月05日 『日本共産党の支持者』と強引なこじつけをしても無意味。戦略や戦術などと高尚な議論も無用だ。」。「とんびさんの「都知事選をめぐって−浅野氏の立候補表明をめぐって3」への反論 2007/3/28 鈴木赫子 70代年金生活者」に対する批判)

 ある党派を支持するとして、その党の政策を100%隅から隅まで支持するというのはあり得るでしょうか?
 たとえば、自民党には派閥が存在します。反主流派といわれる人々が、執行部の見解に反対する主張をする事はごく一般的です。民主党でも同じです。
 彼らは、自民党が嫌いなのでしょうか。民主党が嫌いなのでしょうか。
 たとえば、常に自民党を支持している人が、たった一度、その政策に疑問を抱き批判した為に「お前は自民党が嫌いなんだろう」と罵倒されたらどうでしょうか。執行部に対する批判を認めないようでは、先は無いと思います。
 new-era氏の論は、是々非々を認めない、All or nothingでしかありません。「空気読め」よりなお酷い、同調圧力の要求です。恐らく無意識のうちに、相手が絶対呑めないであろう、とてつもない高いハードルの最後通牒を突き付けてしまっています。
 このように居丈高に要求されて、民衆がはいそうですかと従う場合があるとすれば、今の自民やかつてのソ連のように、生活や生命の危険を以て脅された場合だけでしょう。
 私のように、共産に文句を言いつつ時々は(この統一地方選とか!)投票する人間は、new-era氏にとっては「共産党が嫌い」で「その消滅を望んでいる」「敵」にされてしまうのです。私は盗聴法反対派として、護憲派として、無産政党のユウくん、いや雄として共産党に期待するところ大なのですが。

 いずれにせよ、共産の協力を願った人々は、完全に面目を潰しました。共産はそれを見て、ざまあ見ろ、いつも我が党を支持しないからこうなるんだと見事鬱憤を晴らしたかも知れません。その意味では、浅野支持者に見事勝利しました。しかし、それで何になるでしょうか?
 窮して助けを求めた相手を足蹴にして、それで自党への支持に繋がるとは思えません。
 私は、日本共産党の今回の行動に大いに失望しました。私には、共産が自らに協力を求める声に応じる事を耐え難い屈辱と認識し、信頼を粉々に打ち砕かなければ、天下の人々を失望させなければ気が済まなかったのだ。そういう無意識の破滅願望があるように思えてなりません。浅野支持者に協力するくらいなら死んだ方がましだとばかりに、極限まで敵を増やし、孤軍奮闘する滅びの美学。
 私はそんなの、絶対にいやです。
 石原氏の支持者は、「“左翼や朝鮮総連の支援する”浅野に勝った」と吹聴するだけで、吉田氏や共産党が顧慮される事はないのです。(これについては後で佐々淳行氏の『諸君!』6月号「選対本部長は見た! 石原慎太郎「土壇場の大力量」」や、ネットでは先のmatt氏や、坂眞[ばん まこと]氏「2007/04/09 浅野氏の落選に乾杯!」、NAO氏「BLOG AUDI-JUNKIE | 【東京都知事選】浅野史郎氏「都民から悲鳴に似た声が聞こえる」と石原都政批判」等が代表例)
 ネット上の浅野氏支持者と吉田氏支持者の抗争を、石原氏支持者や、その他大勢の無党派層が、どれだけ真剣に目を通したでしょうか? 外に支持者を増やすどころか、閉じた禿抗争に終わってしまっています。
 もちろん、マスコミの扱いも同じです。浅野氏が宮城県政で借金を増やしたという批判がありました。これは石原氏(「石原知事定例記者会見録 平成19(2007)年3月2日(金)」)も共産党(「2007年3月7日(水)「しんぶん赤旗」石原都政 本当に変える立場・政策持っているのは誰か」)も行っています。
 しかし露出度では、石原氏が圧倒的に上です。ここでも、共産による批判は、共産(吉田氏)の得点にはならず、石原氏にいいとこ取りされる結果を生んでいます。
 共産の浅野氏批判が、マスコミに大々的に取り上げられたなら、むしろまだましだったかも知れません。しかし、実際は石原氏の援護射撃になる程度に報じられ、ある程度以上選挙に熱心な左派系有権者の心を傷つけただけ。憎まれ役としてさえ、キャラを立てられていません。

 いや、それだけではありません。共産との連携自体を悪と認識する、正真正銘反共の側から見れば、「それ見た事か、共産と手を組もうというのが間違いなのだ」と己の「正しさ」を再認識する結果にしかならないでしょう。
 またまた、民主内親石原派高笑いの図です。

分割して統治される野党

 かつて、イギリスの植民地支配のやり方は、「分割して統治する」と称されました。
 イギリスに限らず、大なり小なり同様の手法は用いられていますが(2世紀に最盛期を迎えたローマ帝国の手法がルーツという説があるし、『三國志』にも、魏の田豫(2世紀後半〜3世紀半ば)が北方の非漢民族に対して同様の手法を用いた記述がある)、要するに植民地の複数の勢力(たとえば多数派と少数民族)のうち片方に意図的に肩入れして両者の抗争を仕向け、自らへの不満をそらすばかりか、表向きは仲介者として振る舞うというやり方です。
 以下、引用は「オルタナティブ@政治経済」での私の書き込みです。

 植民地支配の「分割して統治する」って、こんな構図なのかな。
だいたいオール与党体制を批判する時、明らかに「自」ではなく「民公社」への敵意が先に立ってしまう。私が自民より民社への嫌悪を抱くように。
民・社でも、共産なんかと絶対手を組むかと、愛知県知事選でわざわざ共産の協力を蹴って墓穴を掘っている。明らかに損な行動なのに、そうしないと「誇りが許さない」構図に自分を追い込んでいる。むしろ、自民を離れて日の浅い、国民新党の方がこの点では柔軟にさえ見えます。
「オール与党体制」というのは、要するに民公社の立場は自の傭兵だと思う。自に分け前はもらうけれど、一番利益を得るのはもちろんいつも自民党なのです。
共にとって敵の親玉は自のはずですが、矢面に立って戦う傭兵軍団への憎悪を募らせ、傭兵軍団の側も、うまうまと利用する「雇い主」の自ではなく、目前の相手である共への憎悪をますます募らせる。そして自は、その間に選挙運動で票を固め勝つ。そういう構図です。
でも、こういう喧嘩が起こるのは、石原氏落選に現実味が帯びて来たからです。 それは4年前の低調さと比較すれば明らか。
(【レイシスト】石原慎太郎都知事三選を阻止するスレ)

 佐々淳行氏のような確信犯としての反共主義者よりも、共産の助力を望む相手に対する憎悪が明らかに激しい逆転現象。

 私が思いますに、政府による弾圧といっても、自民や公明の議員、あるいはキャリア官僚が直接実行する例は極めて稀でしょう。共産の矢面に立つのは警察官にしろ、役人にしろ、言ってみれば下っ端です。従って、共産にとって、自公政権、特に自民は政策的に批判する対象ではあっても、感情的には主敵にはなりにくい。
 逆に、政策的には自民に比べより近い存在のはずの、民主とか社民とか、市民団体とか、部落解放同盟とか、その辺の団体とは共産と身近に角突き合わせる存在です。
 解同は別にしても(この件調べ出すと切りがないので省略)、政策的には自民より協力の余地のあるはずの相手を敵視してしまい、さらに敵視された相手が自民を頼る事で、ますます「自民に味方するオール与党」と憎悪する結果となります。
 先のnew-era氏の4/5の主張にせよ、そういった角突き合わせる存在への憎悪がなければ、たとえばもし仮に石原氏が共産に協力を要請したのなら、逆にここまで激しい反発はしなかったのでは無いでしょうか。
 言っては何ですが、浅野氏に協力した程度で共産が消えるなら、とっくの昔に消えています。共産が民主に協力した選挙は少数ながらありますし、小澤民主党の牙城である岩手県の陸前高田市長選(今年2月)では、民主系候補に対し、共産系現職の中里長門氏が自民の支援さえ受けています。浅野氏自体より、このケースでは要求に応じる事に著しく誇りを傷つけられたと感じたのだ、と推測するしかありません。
 自民にとっては、そこそこの分け前で傭兵を手に入れ、共産の注意は自党ではなく傭兵に向くのですからこんなうまい話はありません。危なくなったら、適当に互いの対立を煽ればいいのですから。

 上の投稿に書いているように、私も感情論としては自民より旧民社(1994年解党し、現在は大多数は民主、一部は自民などに所属)への敵意が強いです。
 民社系は「反共」の為ならなんでもありというところがあり、これまた、明らかに自民よりも共産への憎悪が際だっていました。何しろ、共産憎しのあまり、チリで1973年、反共を大義としてクーデターを起こしたアウグスト=ピノチェト氏の元へ調査団をわざわざ派遣し、団長の塚本三郎氏は「(クーデターは)天の声」と絶賛した逸話まで残っています。
 ついでながら、前出の土屋敬之都議も保守系ながら民社の後継組織「民社協会」の会員であり、ピノチェト氏支持と全く同じ論理がここにも現れている事がわかります。
 また、『正論』6月号で統一地方選の結果は「保守系圧勝」と主張した遠藤浩一氏も、共産はもとよりリベラルを嫌う強烈な極右で、民社系の人です。

 いずれにせよ、「敵の親玉」よりも、「裏切って敵の手助けをする」連中への敵意をより強く抱いてしまう。その事によって一番利益を得たのが、民社ではなく自民である事を頭では理解しているのにです。

 浅野派と吉田派の感情的対立の中、両者をなだめようと必死に努力した草加耕助氏(「旗旗 - ブログ「旗旗」」)が気の毒でなりませんでした。
 少なくとも、吉田氏個人はここまで浅野氏を立てた側と敵対する事は本意で無かったと思います。
 無念です。


 …とは言うものの。石原氏批判ありきでいいのか、共産批判ありきでいいのか。候補者の魅力を積極的に語るべきではないか。
 私は批判は必要と反論しますが、なおそれでは積極的ではないという指摘は相当程度認めざるを得ません。
 というわけで、次は共産はさて置き、候補者の魅力アピールと今後の展望について考えてみます。

ある読者の意見から

 知事選について、ある読者から意見を頂き、考え込んでしまいました。大略、以下の内容です(筆者の責任で、内容は要約しました)。

a,(石原)都知事を擁護するわけではないが、批判しかしない人間よりも、「俺の考えはこうだ」と筋を通した物言いが出来る人の方が信頼できる。これが都知事が当選した一番の理由と思う。批判ネタなしに「自分の」話が出来る人はそうそういない。
b,「落選させる」という批判ありきの考えでは、いつまでも話は聞いてもらえないだろう。

 私はこの意見に全く不同意です。特に石原氏が筋が通っているという下りは虚を突かれ、ややあって「そんなバカな事があるか」が第“一・五”印象でした。
 しかし、無視出来ないと思えたのは、不特定多数の有権者の「空気」を代弁しているように思えたからです。候補者の思想や政策を念頭に置いて議論している人間とは、違う視点からの内容であるからです。そして、こういう有権者を味方に付けなければ、為政者の暴虐を食い止める事は出来ないと思ったからです。
 個人的に返答はしたのですが、それとは別にこの意見を肴に、選挙での訴え方や、さらに今後の展望についても考えてみたいと思います。従って、体裁は読者の意見への回答ですが、実際は特定の読者を対象にしたものでも、読者を吊し上げる意図もありません。
 (心当たりのある読者の方へ:一部、個人的な回答と見解を変えた部分があります。こちらが現在の見解とご理解いただければ幸いです)

一応の反論は出来るが…

 一応の反論は可能です。

その1。石原氏の発言の、一体どこが筋が通っているというのでしょうか。それどころか、国旗・国歌問題に象徴されるように、石原氏は対立する意見の持ち主について、相手を尊重した上での批判ではなく、まさに「批判しかしない」態度をしばしば取っています。
 しかも、1999年の最初の立候補時には、「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ。」(『毎日新聞』3月13日号)と答えています。その後、石原氏は何をしたでしょうか。なぜ、その変節が咎められないのでしょうか。
 石原氏が本当に自分の意見を持っているのなら、職員会議で教員による採決を禁じるという、惨めな真似をする必要はないのです。批判する教員には、堂々と論駁すればいいのです。
 また、野党が批判しかしないというのは単なる嘘です。都議会では、民主党は(H19年度予算案を除いて)石原都政に100%賛成したではないか、我が党は6対4の是々非々だと共産党にバカにされています(原田あきら「自公民100% ネット98% 共産62% この数字なーんだ?」。原田氏は共産党の杉並区議)。
 しかしいずれにせよ、反対のイメージの強い共産でも、石原氏だから何でも反対する訳では無いのです。これは参議院のデータですが、国会でも野党が機械的に反対しているわけでは無い事はおわかりいただけると思います。(「本会議投票結果」)
 石原氏の発言や、キャラクターがどれほど「魅力的」であったとしても、実際に彼がやって来た事をかき消してはなりません。断じて。政治家は、実際に何を行い、これから何をしようとしているかで評価しなくてはなりません。

その2。批判ありきのどこが悪いのでしょうか。石原氏を批判するために、揚げ足を取っているのではないかというならそれは違います。あくまでも、石原氏の実際の言動、実績に問題があるから批判しているのです。また、選挙は人を"選"んで"挙"げるための手段ですから、よりよい人物を選挙する為に、まず一番悪い候補を落とそうとするのは大いに用いるべき方法と思います。

 なのですが。

「キャラクター」の勝利?

 こうした反論は、あまり意味がないのではないかと考え込んでしまいました。
 この意見は、石原氏や、その対立候補の政策には一行も触れていません。要するに、政策に立ち入らないまま、反対派は、ただ反対したと云うだけで門前払いしているのです。であるなら、石原氏の政策を批判したところで、読者の心に届きはしないのではないか。
 といって、はいそうですかと鵜呑みにすれば、都知事の政策に反対する者は、何も出来なくなってしまいます。

 しかし、です。
 この方が石原氏に投票したかどうかはわかりません。都民で無いかも知れません。けれども、選挙結果を見る限り、石原氏の反対派に同じような心境を抱いた有権者が、相当数に上るのではと私には想像できました。
 確信犯として、石原氏の政策を支持する相手ならば、ただ論戦するだけです。そんな人は私の敵ですから、弾圧されない為にも徹底抗戦するのみ。
 しかし、石原氏に対して中立か、むしろその政策で明らかに迫害の対象とされている人々も、知らず知らずのうちに石原氏に感情移入している。そんな感じです。
 石原氏がどんなに筋が通っていないかを説明しても、それだけではこうした有権者の耳には届かない。
 聞く耳を持たずに黙殺する態度は怪しからんと思うけれど、では聞く耳を持たせるにはどうしたらいいか。そこに反石原氏の側は、なかなか考えが及ばないと思います。はい、私も「正しい事を言っているのだからわかってくれる」そう自惚れている部分があります。「こうすれば、きっとあなたの利益になる」とも思っています。でも、そんなに甘くないのです。

 ここでも「空気」と言いますか、「暗黙知」の世界です。
 私は石原氏に全く賛同出来ないけれども、しかし彼の言動や立ち居振る舞いに、人を引きつける何かがあるのだろう、という事は理解出来ます。

 有り難い事に、演説が動画でアップロードされています。ちょっと聴いてみましょう。他の候補も何人か拾いました。(以下本文は「何も起こりはしなかった」に続く)
 また、取り敢えず、石原氏と浅野氏の公約へもリンクしました。

都知事選挙 公開討論会 全映像 2007/03/16
*告示日前のもの。石原、浅野、吉田、黒川の「主要四候補」のみ招かれたものであることに注意。

「何も起こりはしなかった」

 見れば判る通り、石原氏が他の候補の批判をしなかったわけでも、他の候補が石原氏の(あるいは他の候補の)批判「だけ」していたわけでもありません。当たり前ですが。また、石原氏は選挙中「低姿勢」だったとか「反省した」とか言われました。自らも「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎♥」をキャッチフレーズにしました。
 しかし、良く聴いて下さい。石原氏は、「僕が悪かった」とは一言も言っていません。あくまでも「反省」するのは「説明不足」の部分であり、「共産党や朝日新聞がそれに食いついた」だけと言っているのです。(そしてそれは、最後に紹介する佐々淳行氏の発言にも繋がります)。
 石原氏の個々の発言に対する反論は「人種差別主義者・石原慎太郎氏を阻止せよ」にこれからも追加して行きます。
 一つだけ反応すれば、東京一極集中を賞揚する石原氏が、森林の荒廃を憂う(5つ目参照)のはやはり悪い冗談と思います。
 大野晃氏の提唱した「限界集落」。これは65歳以上の住民が過半数となり、集落の機能維持が限界に達した状態を指すのですが、森林地帯からの人口流出の結果、高齢者だけが居残った集落が多数あり、そのことが「限界集落」化、そして集落そのものの消滅を加速させていると言われています(大野晃『山村環境社会学序説 現代山村の限界集落化と流域共同管理』)。
 山村を去った若者がどこに行ったのか。もちろん、一番多いのは東京です。石原氏は、それを良しとしているのです。

 ハロルド=ピンター(Harold PINTER)という文人はうまいことを言いました。曰く、

 第二次世界大戦が終わった後、アメリカ合衆国は世界中のあらゆる右翼軍事独裁政権を支持し、多くの場合、それを誕生するのを助けました。すなわち、インドネシア、ギリシア、ウルグアイ、ブラジル、パラグアイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グアテマラ、エルサルバドル、そしてもちろんチリの政権です。一九七三年にアメリカがチリに対して加えた暴虐は、けっして拭い去ることも、けっして赦すこともできません。
 これらの国々では、何十万もの人々が死にました。本当に死んだのでしょうか。そしてそれは全てアメリカの外交政策のせいだったのでしょうか。答は、そう、人々は本当に死んだ、そしてそれはアメリカの外交政策のせいだというものです。しかし、そうは見えないのです。
 そんなことは起こらなかった、何も起こりはしなかったのです。実際に起こっていた時にも、それは起こってはいなかったのです。それはどうでもよかったし、興味のもてるものでもありませんでした。アメリカ合衆国の犯罪は、系統的で恒常的で邪悪で容赦のないものでしたが、実際にそれを問題にしたひとはほとんどいません。アメリカには脱帽せねばなりません。それは普遍的な善の味方を装いながら、世界的規模において権力を極めて冷徹に行使してきたのです。それは明敏な、機知さえ感じられるほどの催眠行為で、みごとな成功を収めています。
(ハロルド=ピンター著、貴志哲雄訳、集英社新書『何も起こりはなかった』「藝術・真実・政治」24〜25頁)

 もちろん、アメリカ合衆国を石原氏にたとえるのは失礼でしょう。もちろん石原氏に対して。
 石原氏は、何十万もの人々を殺したわけではありませんし、またピンター氏の言うほど長期間の間、人々を苦しめたわけでもありません。
 しかし、私が選挙期間中に書いた石原氏の批判。
 あれは、確かに実際に東京で起こった事です。国旗・国歌への(実態としては、石原知事とその取り巻きへの)不服従を理由に、職を追われたり、罪人の汚名を着せられた人々がいる事。
 批判を受け入れず、意に染まない発言をする者を左遷したり、職を逐わせたりした事。
 人種差別発言を繰り返し、在日外国人など社会的少数者への偏見を煽った事。
 ありもしない「治安の悪化」をその理由にした事等々。

 これらは全て、石原氏が実際に行った事であり、石原氏を攻撃するために、勝手に事件を捏造しているわけではありません。

 件の読者は当然、こうした批判の内容を読んでいるはずです。
 しかし、そうした内容が事実かどうかさえ、顧慮されていないのです。そう、"Nothing ever happened"、何も起こりはしなかった。「それはどうでもよかったし、興味のもてるものでも」無かったのだと思います。
 読者にそのような感想を抱かせたのは、ひとえに私の力不足です。

 それを承知の上で、書かせて下さい。
 石原候補の選挙プランナーを務めたのは、アスク株式会社社長の三浦博史氏でした。三浦氏は、新潟県知事選(泉田裕彦氏)、神奈川県知事選(松沢成文氏)、埼玉県知事選(上田清司氏)、沖縄県知事選(仲井眞弘多氏)でことごとく候補者を勝利に導いてきたと云う事です。
 もっともこの三浦氏、「「勝てそうで資質の高い候補」の選挙しか引き受けない」(三浦博史『洗脳選挙』光文社ペーパーバックス、ISBN4-334-93351-3、税抜き952円、2005年1月20日初版第1刷、221頁)と公言しているので、勝ち馬に乗って業績を誇っているだけ、と云う事も可能です。自民系、または保守系候補のプランナーしか引き受けていない事への言い訳とも取れます。
 とは言え、「私がプロパガンダを研究するのは、悪質なプロパガンダ vicious propaganda からいい候補者を守るためだ。いい候補者だったら、プロパガンダを使うことは許されよう」(前掲書221頁。英熟語は原文ママ、このペーパーバックスは英語などの熟語をふりがなの一つに使う特色がある)とヌケヌケと言わせて置くのも癪なので、ちょっと彼の説く選挙手法を紹介して置きましょう。

 たとえば、石原候補は「江戸っ子の僕とよそ者の浅野」という構図を作りました。三浦氏もそれを特筆しています(「いよいよ始まる東京都知事選  (2007年3月16日)」)。
 しかし、石原氏の出身地は兵庫県神戸市です。衆院選でも東京都の選挙区で立候補しましたから、浅野氏より馴染みがあるという点で嘘ではない。しかし、「郷土愛」を云うなら、兵庫県知事選に出れば宜しいと突っ込みは可能です。浅野陣営は、この点で有効な反撃が出来ませんでした。

 もう一つ、三浦氏を雇った佐々氏が象徴的な事件として挙げていた例です。
 今年3月20日、2月12日に女性を助けようとして電車にはねられ亡くなった警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦警部(二階級特進による。享年53)の公葬が行われ、石原氏も出席しました。佐々氏曰く。

 他の都知事の候補はどうだったか。一人も来ていない。葬儀があるのはわかるわけだから、浅野氏にも参列するだけの勇気があればよかった。この話を選挙期間中にずいぶん使わせてもらった。四十年前に(引用者注:70年安保の学生運動攻撃で、日大経済学部本館の封鎖を解除しようとして学生側の攻撃を受け殺された)殉職警官を弔ってくれたのも、今回、宮本警部の葬式に来てくれたのも石原慎太郎だけ。浅野という名前はあえて出さないが、「庶民派を名乗って、これから四年間、都政をやろうという人が、どうして庶民の警察官の公葬に来ないのか」。下町で、こんな話をすると、「えっ、行かなかったのか」という声が聞こえる。何百人もの人が聞いているから、話は自然に広がる。
(『正論』6月号、佐々淳行インタビュー、聞き手:平山一城「石原慎太郎の鬼参謀が明かした首都決戦の内幕 「反石原」勢力の実態は『全共闘』だった」140頁)

 つまり浅野は福祉を口にするが、行動が伴わない偽善者であると。
 この点は、悔しいですが浅野氏の失策です。
 左派の支持者は、警察に反感を持つケースが多く、私も盗聴法や警察犯罪では、随分警察を批判して来ました。また、警察という組織が、都政による弾圧の道具として使われているのも事実です。その為、宮本氏の葬儀の重要性に気付かなかったのではないかと思います。
 石原氏は週2〜3回しか都庁に顔を出さない癖にこんな時だけ、とか、社会的弱者を現に死に追いやっている癖に、とか、云っても始まりません。
 そういう事を知っている有権者は、石原氏に投票しない事は始めから判っているのですから。
 誰に投票しようか決めかねている人に対して、この発言は効果的だったと思います。
 石原氏が宮本警部の公葬に出席したのも、他の候補がしなかったのも事実。
 この場合他の候補は、故人の公葬に出席出来なかった事を率直に詫びつつ、石原氏の偽善を暴くのが有力な対抗手段であったでしょう。

 私は、浅野氏が自分の意見を持っていない人物とは思いません。
 しかも、佐々氏が『諸君!』6月号「選対本部長は見た! 石原慎太郎「土壇場の大力量」」で「照れ性で「男は黙って酒を飲む」といった昭和一桁の「男の美学」も災いした」(99頁)と擁護しています。この擁護は、石原氏が話し下手と認識したからに他なりません。
 にもかかわらず、なぜ石原氏は成功したのか。
 三浦氏の説く手法は、「魅力のある「自分の」話」をする候補者が良い、という読者の指摘にドンピシャです。
 また、「「マスコミにいじめられるかわいそうな僕」の演出」でも触れましたが、石原氏他者に対してやった事は巧妙に覆い隠し、その結果石原氏が一方的に叩かれているように見せる事に成功しました。
 浅野氏の側は、浅野というキャラクターを固めきれなかった。
 加えて、石原氏に批判すべき点が多数あったために、浅野陣営内部でも力点が割れてしまった。
 その点、石原氏の方向性ははっきりしていました。口下手であっても、一方向に押せばむしろ有利という計算もあったでしょう。
 「魅力ある話」で、たとえ政策を支持しなくても、心理的に好感を持たせればよかったのです。石原氏の発言を「筋を通した物言い」と思い、批判に対して反発する心理は、石原氏のシンパ(同調者)のものに他なりません。
 不特定多数の有権者を、そうやって無自覚にシンパにする。そして、心理的に同調させる事で、自らの悪事を「どうでもいいこと」そして「『敵』の中傷」と思わせる作戦に、まんまとしてやられてしまいました。
 この「シンパ」は、明確な石原氏の支持者ではない事がミソです。読者が石原氏の支持者ではない、と述べたのは嘘とは思いません。そのような有権者を、石原氏は実質的に自分に同調させ、勝ったという事なのです。
(参考:黒目氏「2007/4/10 「東京都民=愚民論のことなど」」)
 最後に、三浦氏曰く。「駄目な候補者 lousy candidate ほど、得てしてプロパガンダに秀でているものである。それに騙されては、この社会は悪くなるばかりだ。逆に言えば、そうしたプロパガンダを見抜いたあなたの1票で、この国はもっとよくなるだろう。(前掲書222頁)」

醒め過ぎた男

 お待たせしました。さっきも少し触れましたが、浅野候補の側の問題について参りましょう。

 私は結果として浅野氏を支援しましたが、浅野氏にそれほど思い入れがあったわけではありません。選挙中の記事が石原氏の批判に終始したのも、時間の都合もありましたが、まず石原氏を落選させなければという思いからで、対立候補の内実は二の次でした。

 ただ、浅野氏の政策をざっと見て、「悪くはない」、少なくとも現状より遥かに良くなるとは思いました。
 浅野氏の戦術は、雑多な勢力を勝手連として結集させ、そして勝つというものでした。
 メイド喫茶や、同性愛者が多い事で知られる新宿2丁目で演説したのも、その姿勢の表れでした。これらは、石原候補には考えられない行動です。(ただし、浅野氏は選挙後の「時事放談」で「有害ゲームは規制すべき」と主張したという。もちろんこの主張には反対ですが、それについては山本夜羽音氏の「2007-06-16 アナキズムの衝動、ファシズムの誘惑。」を参照)
 国旗・国歌問題でも、浅野氏は「(日の丸・君が代は)嫌いではない」が、「強制し、従わないからといって懲戒処分にするのでは、学校現場はメチャクチャになる」。従って強制は止めると公約しました。
 そう、別に「日の丸・君が代を禁止する」とは言っていません。
 権力者による強制を是とするか否か。「説明不足」と逃げずに批判に聞く耳を持つかどうか。この点で、両者には決定的な違いがありました。
 これは弱点でもありました。
 浅野氏がどういう候補かを規定すれば、やはり保守派の候補です。
 石原氏の側は、浅野氏に「左翼」のレッテルを貼り、吉田氏の側は逆にその保守性を強調し「石原と同じ」と批判したわけですが、石原氏は極右であって、保守とは(産經新聞社や『WiLL』を保守と呼ぶなら別として)また別なのです。

 石原氏を批判する側にとっては、浅野氏にもガンガン批判して欲しいのは当然です。浅野氏が石原氏の1期目について、評価する旨の発言をした事が批判されましたが、何、共産党も石原氏に何でも反対でやっていたわけではありません。浅野氏が、個々の問題で石原氏に「是々非々」の態度を取った事は、間違いではありません。
 問題は、石原氏の政策と、根本的にどこが違うかです。
 ところが一方で、浅野氏支援に乗る形になった民主党は、石原氏と親しい議員も少なくなく(というより前出のように実質都政与党だった)、また都連では独自候補にギリギリまでこだわる向きもあったようです。
 陣営内だけで見ても、石原氏を批判し足りない事に不満を抱く者と、石原氏を批判する事に不満を抱く者が同居していました。
 雑多な人々をまとめる事は、この事一つをとってもいかに難しかったかが想像出来ます。
 山本氏が浅野陣営の内部事情の一部始終を書いていましたが(「2007-04-10 ネタバレ。」)、たとえば手描きのポスター。これ自体は浅野氏が宮城県知事選で当選した時も使った手法であり、急に始めた事ではありません(浅野氏のサイト内「ポスターを描こう」)。それでもこういう混乱が起こってしまう(ポスターについてはJANJAN、安住るり氏「4月3日の浅野史郎さん、意気軒昂 2007/04/04」の写真で判ります。他の候補については初鹿真一氏「活かしきりたい掲示板・選挙掲示板に見る東京都知事選挙(2) 2007/04/05」参照。外山候補は「東京都知事選挙 外山恒一 2007年:[画像]」も)。

 ポスターで思い出しましたが、前出の『世界』6月号で、石田英敬氏が面白い指摘をしていました。ポスターによって「批判などいろいろな所から超越している」印象を与えたと云う事になります。個人的には実感が湧かない部分もありますが、ポスターと見比べて観て下さい。

 政治テクノロジーから見れば、選挙戦が始まった時に勝敗ははっきりしていました。浅野さんのポスター、これはもう確実に敗けるというポスターでした(笑)。それに対して石原氏のポスターは、他の候補とは全然違うポスターです。ちょっと引いた正面からのショットで、奥から笑いかけている。自分が一つ奥にいるという肖像のつくりなのです。浅野さんをはじめ他の候補者は身を乗り出して、いわば参加している。石原氏の「引き」は、自分は超越しているという意味です。争いごとには自分は関与しないという、『1984』のビッグブラザーと同じやり方で不気味に笑いかけている(笑)。しかも、「東京再起動」という言葉遣いもソフィスティケートされた戦術を表しています。
(前掲『世界』6月号44頁)


 そして、浅野氏自身の問題です。
 『朝日新聞』4月14日号夕刊に掲載された、浅野氏の敗戦の弁。

 ――選挙戦を「反省」から始めた石原知事にはびっくりしたのでは。
 「するりと肩すかしを受けた感じ。でも謝ったのは『説明の不十分さ』に対してであって、高額出張など中身についてではない。『反省』の言葉だけ切り取られ、有権者には謝っていると受け取られてしまった」
 ――何が敗因か。
 「一番は図式の問題。『石原都政、我慢できますか』と訴えたが、考えてみると、これを実感しているのは、教育や福祉の現場などで実害を受けている人たち。数は限られていた。スキャンダルと違い、『におい』みたいなものに対する危険性は伝えにくかった」
 「妻は選挙前から『悲鳴を上げているのはごく一部の人たちでしょ』と言っていた。勝算ありと信じた私や参謀は、反対した妻や娘に負けた」
 ――現職の壁は厚い。
 「普通の都民生活には『都政をなんとかしてほしい』という意味の切迫感はなかったんでしょう。そうなると、石原知事のあの強そうなイメージ、あれでいいじゃないか、ということになる。私も宮城県知事選では印象で選ばれましたから」
 ――マニフェストは決め手にならなかったと。
 「数値目標と達成期限を示した本当のマニフェストをぶつけ合うのが選挙だという認識が薄かった。マニフェスト型選挙が定着していないというのが実態でしょう」
 ――初めから民主党の全面支援を受ければよかったのでは。
 「戦略の問題以前に、私らしくない。私らしくやらなきゃ勝てない」
(「「反省」石原氏に肩すかし」 「悲鳴」一部の人たちだけ」より抜粋)

 評論家としては、合格点の内容なのでしょう。ピンター氏の指摘とも重なります。悲鳴を上げているのが「ごく一部の人たち」と認識されている限り、多くの都民にとっては「何も起こりはしなかった」のだと。
 浅野氏の発言を「その通り!」と小躍りして紹介した民主党の長島昭久代議士(「これが政権交代可能な野党か…!?」)――それはすなわち、民主党の親石原派と大いに重なる訳ですが――は、非常に不愉快です。私の立場は、都民の評価を別にすれば、斎藤貴男氏の述懐に遥かに近いです。

 言わぬが花、なのに。だからこそ、今のところはそこまで酷い目に遭っていると実感できていない人が多数派で、けれども石原都政の毒はいずれ権力に近く無い層の全体に浸透していくとわかっているから、僕らは浅野氏を支援したのだ。悲鳴まで上げさせられている人はまだ少数派だからといって、放っておかれてよい話でないことも言うまでもない。腐り果て、知性の欠片も失った東京都民を相手に勝ち目の薄い勝負に出てくれた侠気には感謝するが、そう軽々しく反省されてしまっては、藁をも掴む思いで支持した側の立場がない。
(斎藤貴男「非国民のすすめ」「第24回 絶望的な石原圧勝」『創』6月号、108頁)

 浅野氏のこうした「反省」は、石原氏やその側に立つ人々を勇気づけるものであっても、石原氏のやり方に反発した人々にとっては、絶望と無力感を煽るものでしかありません。
 浅野氏を擁立する運動は、「浅野史郎さんのハートに火をつけよう!」と呼びかけていました。
 冷静さを失ってはいけないけれど、しかし浅野氏には、理屈や論理を超えた熱さが足りなかったのではないか。本当の意味で「ハートに火」は付けられなかったのではないでしょうか。
 浅野氏は、醒め過ぎていたのです。

あまりに大きな「温度差」

 斎藤氏が、浅野候補支援で出席した集会の模様を書いていました。

「史郎」に因み46人の都民が壇上で思いの丈を述べた会合では、障害のある人や在日外国人、高齢者たち石原都政の下で著しく生きにくくされてしまった人々が、「もう勘弁してほしい」と号泣していた。パネルデイスカッションのパネラーに招かれた席では、著名な知識人たちが、「人非人」「次の都知事には、せめて人間を」とまで発言していた。
 褒められた形容ではないと思う。モロに差別された人々ばかりが目立った集会も、いわゆる選挙戦術としては、かえってマイナスだったのかもしれない。
 それでも叫ばずにはいられなかった人々の気持ちが、僕には痛いほど理解できた。ちなみに僕自身はそれなりに抑制した表現に止めておいた。あらぬ暴言を口走って、肝心の浅野候補に致命的な迷惑をかけてしまいかねない危険を恐れた。
 何もかも、しかし、終わった。今さら有権者心理など分析してみても始まらない。とどのつまり都民の総体は彼のコソ泥行為や差別そのものでしかない政治∞行政≠フ一切を容認し、そんなものの支配を受け入れて、独裁者の臣民、奴隷として今後も生かさせていただきますと積極的に表明した。そういうことなのだ。(斎藤、前掲107頁)

 ここに挙げられた知識人達の発言は、やはり容認するわけには行きません。何故なら、石原氏を「人非人」と非難する事を認めれば、それでは中国人の「民族的DNA」を非難した石原氏と同列の差別発言になってしまいます。
 石原氏の悪政は、彼が人間でないから行われたものではありません。
 人間のやった振る舞いとして、同じ種族の生き物として、その業を背負わなければならない問題です。

 しかし、それ以上に痛感したのは、当事者との温度差です。
 浅野候補の集会でなされたこうした発言は、当事者の切羽詰まった状況故と思います。
 当事者には死活問題なのに、世間には全く認識して貰えません。下手すれば「自己責任」「自業自得」とかえって追撃されてしまう。浅野氏支援集会での発言部分のみをごろんと投げ出したら、ほとんどの人に単なる暴言と受け取られるのが落ちでしょう。そのギャップの激しさは、どう表現したらよいかわからないほどです。
 長島氏の小躍りは、むかつくと同時に社会的少数派への冷たさも感じますが、しかし一理ある事は認めます。社会的少数者、変わった存在の権利を正面から訴えても、それが痛切なものであればあるほど、多数派を自認する人々、あるいは少数派である事を恐れる人々は「引いて」しまうのです。
 本当は、そういう人々。つまり今は良くても、「石原都政の毒」に冒される危険性のある人々こそ味方に付けなくてはならないのに。
 山本氏が、浅野氏がメイド喫茶に顔を出した時に危惧したのもその事でしたし、現に新宿2丁目で演説した件については、「2ちゃんねる」などで格好の中傷の材料にされていました。

 そう、確かに他人事なのです。
 私は三重県人ですから、東京都の首長がいかに暴政を布こうと、直接それによって弾圧される心配はありません。少なくとも、今のところは。
 逆に、もし現在進行形で弾圧される立場であったら、このような記事を書く余裕があるかどうか。恐怖のあまり、書く事もままならないのではないかと考えてしまいます。
 多くの都民にとっても、石原氏が社会的少数者を弾圧した事は他人事であり、それよりも選挙でのキャラクターの方を高く買ったのでしょう。
 いや、正直に申し上げますが、私はルワンダで百万人が殺される事より、パレスチナがイスラエルに蹂躙される事より、欲しいゲームソフトが手に入らなかった事に心を痛めてしまうような人間です。
 こういう矛盾は、本当に申し訳ないけれども、ある程度は避けられない事と自分でも思います。森羅万象全ての事件に心を痛めていては、たちまち参ってしまいますから。
 ですから、読者や都民を批判しても、自分に跳ね返って来ます。
 しかし………………。

 それでも、この都知事選は他人事で片付けて良い選挙ではありませんでした。
 真の意味で我が事になった状況というのは、本当に切羽詰まった、あるいはもう手遅れな状況だからです。
 私は東京都民ではないけれど、日本の有権者であり、そして東京は日本の首都です。
 好むと好まざるとに係わらず、石原都政の影響は全国が受けます。
 教育もそうです。「日の丸・君が代」で問題となっているのは小中高校ですが、彼は大学でも都立大を「首都大学東京」に改組し、意に違う研究者、教職員が大勢去って行きました。学問が、政治によってねじ曲げられる危険性は明らかです。
 趣味を扱う「我流のすき焼き鍋」でも特筆したのは、石原都政によってゲーム、漫画、出版、同人活動に直接影響が出ると危惧したからです。これらは表現の自由のみならず、誰でも自由に集会や組織を作ったり、解散できたりする権利である集会・結社の自由にも掛かってくる問題です。
 もちろん、最初に血祭りに挙げられるのは叩きやすい内容(ものすごいエロとか、従軍慰安婦問題のように政治的火種になりやすい内容)でしょうし、自分が「健全」な内容なら他人事、むしろ迷惑に思い進んで弾圧に参加するかも知れません。
 しかし、ひとたび目標にされれば、次に血祭りに挙げられ、抹殺すべき「敵」のレッテルを貼られるのは私でありあなたです。
 だからこそ、絶対に見過ごす事は出来ませんでした。

 そして、それを何とかするのはアメリカ人でも中国人でもロシア人でもルワンダ人でもパレスチナ人でもなく、日本人、あるいは外国人を含めた日本の住人でなければなりません。
 都民でなくても、我々は国外の人に比べれば、石原氏の暴政を阻止する義務と権利は遥かにあるはずです。まして、都知事選の有権者であった都民ならなおさらの事です。
 そうする事によって、己自身を救い、そして石原都政で理不尽に窮している人々を救う力があったのですから。
 ルワンダを今すぐ救う事は出来なくても、東京を今すぐ救う事は出来たのです。そう、まさに当事者として。

明日の希望を語るには

 今回の読者の指摘は、腹立たしいけれども痛いところを衝いた内容でした。或いは、痛いところを衝かれたから腹立たしいと言うべきでしょうか。
 心のどこかでは、薄々意識していたと思います。けれども実感としては、まさに虚を突かれた指摘でした。
 どうしても、他人を批判すると後ろ向きになります。
 もちろん石原氏も他人を批判しまくっているのですが、先にやったもん勝ち。具体的に反論しても、どうしても後手に回って見えてしまいます。

 大同団結して対立候補を。確かに、大連合は、壺にはまればとてつもない力を生み出せます。華々しい成功例もあります。
 そして、今回も勝てるかもと一時は思わせました。しかし、そううまい話は無かったのです。
 実際には、あちらが立てばこちらが立たず、あっちのためにこっちにはこれこれを我慢して下さい、と云う話につい成ってしまいます。何しろ、主義主張もキャラクターも違う集団なのですから。譲り合いはフラストレーションが溜まります。これでは萌えません。
 浅野陣営に「(誰を選ぶかは)都民が決めること」と突っぱねた共産党。弊記事ではそれを批判したけれども、その実、一理あります。
 「最悪の候補を阻止するために次善の候補に入れる」実に地味です。当選者が1人という選挙システム上、仕方が無いと言い訳すると、一層後ろ向きに見えます。
 外山恒一候補は言いました、「我々少数派にとって、選挙ほど馬鹿馬鹿しいものはない」。
 浅野氏も、吉田氏や外山氏も、次善というより遥かに立派な候補者と思いますが、それでも単独では勝てないのが現実です。勝とうとすれば、どこかで妥協しなければならない(かつて、社会党と共産党が統一候補を立てたように)。しかも、妥協したところで勝てるとは限らないし、勝ったところで自分の意見がどれだけ反映されるかわからない。そんな選挙糞食らえ………となるのはある意味必然です。
 既に明治時代に、同じ指摘はされています。

議員選擧に就いて妙な投票をする者がある、それは現在の人物に投票せずして、佐倉宗五郎とか加藤清正とか、又石川五右衛門、鼠小僧、菅原道眞、などゝ歴史上又は稗史中の人物に投票するのであるが、苟も立憲國の選擧人たる者が、斯の如き不眞面目なる投票を敢えてするのは、國民の義務たり權利たる選擧の神聖を侮蔑したものであつて、實に愚劣極まる悪戯である、と云つて新聞雜誌などは、大に此を批難して居る
然し投票する者の精神から云へば、選擧權は固より尊重すべきものに違ひないが、現在に於て候補者だと自分で名乗る奴には、一匹としてロクな者はない、而も外に立派な理想的人物を求めて、それに投票しやうとしても、三人や五人の少數投票では、到底醜運動に麻痺した衆愚の惡勢力に勝ち得べくもないから、眞面目に投票して見す\/惡魔の爲に敗を取るよりも、どうせダメなものなら、寧ろ諷刺的に昔の人物に投票して天下を馬鹿にしてやらうと、糞ヤケ半分に右の如き滑稽投票をやるのである(後略)
(宮武外骨「寧ろ滑稽投票を可とす」隔週刊『滑稽新聞』より。1908年発表)

 99年の時が経ち、制限選挙から普通選挙になっても、有権者の不満は募るばかりです。外山氏が「外山恒一にやけっぱちの一票を!」と呼びかけたのも、私塾のカリキュラムに宮武氏についての学習があるようなので、これを意識した部分があったと思います。

 それでも。
 私は、希望を捨てたくありません。このまま放って良いはずがないですから。

 私は、場の空気を読んで人を乗せるのが大の苦手です。
 ですから、人を乗せるよりも、石原氏の具体的な発言や政策の誤りを指摘するというやり方を取りました。というより、それしか出来ませんでした。そうすれば、事態が少しでもましになればと信じて。
 しかし、そうやって批判しても、民心は簡単には動かせません。石原氏が一向に痛痒を感じず、その弾圧を止める事が出来ないとすると。

 本音を言うと希望を語る部分は他の方に丸投げしたいのですが、ここまで来た以上何とかやってみましょう。
 私にとっての希望は、「『敵』を殺さない」、「様々な考え方を認める」、そして何より「人間を、人間として尊重する」事です。
 不愉快な存在であっても、互いの最小限の領分は守る。領分を犯す行動は断固対処しても、相手の存在そのものを抹殺する事はしない。そして、権力者は権力者だから偉いのではなく、ただ国民の代表として権力を借りているだけだから、その権力の大きさに応じて国民の側から批判されるべきであると。
 「敵」を抹殺するのではなく、互いに共存する社会でありたいです。
 その方が、モノトーンの秩序より、遥かに面白い世界になると思います。どうせ、エントロピーは増える一方です。ならば、無理に抑えつけるよりも、面白く、ごちゃごちゃに、怪しく、カオスにする方向に力を使った方が楽しいと思います。

終わりに――佐々淳行氏の放言と人間の誇り

 この部分は蛇足かも知れません。希望を語って終わった方が、記事としてまとまりはよいでしょう。
 それでも、石原氏の選対委員長を務めた佐々淳行氏の発言は見過ごせませんでした。

 佐々氏は、『正論』『諸君!』6月号に、それぞれ寄稿しました(『正論』は正確にはインタビュー記事ですが)。力点は違えど、両者の記事は似通ったものですが、ここでは特に『諸君!』の「選対本部長は見た! 石原慎太郎「土壇場の大力量」」を取り上げます。

 まず佐々氏は、共産党機関紙『しんぶん赤旗』などの批判を「組織的で悪意に満ちた人身攻撃」と決めつけ、「バッシングされていた事項は、二期八年の長期政権ではあり勝ちな、心のゆるみから生じた人間的ミスであって政策上の大失敗でも危機管理上の人命にかかわる重大ミスでもなく、まして違法行為でもない。アッサリ謝ってしまえば許容範囲内の凡夫のミスや説明不足による誤解の部分もあったのである。」(前掲『諸君!』99頁)と開き直りました。

 そして佐々氏は言います。

 この選挙戦は、石原対浅野の対決などというものではなかった。戦後六十年のイデオロギー対決の準決勝戦(憲法改正が決勝戦だとすれば)ともいえるものだった。「「日米安保賛成」対「反対」、「改憲派」対「護憲派」、 「日の丸・君が代賛成」対「反対」、「国民」対「市民」、「安心安全」対「福祉」、「トップダウン」対「ボトムアップ」、「タカ派」対「ハト派」等々、 まさに戦後六十年のイデオロギー的対立軸が綜合的に「石原VS反石原」となって 激突した。ものすごく意義のある選挙だった。
(中略)
反体制側、全共闘、ベ平連、極左過激派集団のOBたちが、新宿駅東口の浅野氏宣伝カーに集い、赤旗ならぬ青い旗を振り、慎太郎の悪口をくり返している。どっちが勝つ? 戦争を知らない、反安保も文化大革命も知らない二十・三十代の若い有権者が、戦前・戦中・戦後の辛酸をなめつくしたわれら昭和一桁の祖父を選ぶのか、それとも世代交代の必然の流れで全共闘、団塊の世代の「皆で渡れば怖くない」「一人でも反対したらフリーズ」、石原の悪口と福祉しか連呼しない頼りない父の世代の候補を選ぶのか
(中略)有権者は率直に謝った石原候補を許し、ノドン、大地震、子供の安全など「今、そこに在る危機」のための「安心と安全」を、そして「危機管理能力」の高い、実戦経験を持つ強いリーダーを選んだ

(前掲『諸君!』102〜103頁)

 典型的な後出しジャンケンです。「戦後六十年のイデオロギー対決の準決勝戦」だ何て、選挙中にはおくびにも出していませんでした。マスコミも、ほとんどはその点を指摘しようとしませんでした。
 また、共産党が吉田候補を立てた事は全く無視して、浅野候補に勝ったのは保守体制派、改憲派の勝利であると自賛しています。
 この佐々氏の発言は、プランナーの三浦氏にとっては余計な内容だったと思います。
 日本が為政者のみ権利を保障される国権主義に戻るか、民権を守るかの重大な岐路であることを何より熟知し、改憲をゴールにした国家主義の復活こそが最大の目標であったと種明かししたからです。

 要するに、改憲を達成し、国家主義、いや、民族社会主義イデオロギーを実現する「大義」に比べれば、汚職で私腹を肥やすなど些細な事という居直りです。
 もちろん、『諸君!』の内容を正直に選挙で訴えれば、いくらなんでも勝てなかったでしょう。だから目標を達成するため選挙では低姿勢を装わせたのだ。それで何が悪い。毅然としている誇り高い、強い国家を実現する大義のためなんだから…!!
 ふざけるな。
 私はこれほど、人間として屈辱を覚えた文章を見た事がありません。
 そして、国旗・国歌の強制に反対した教職員などへの仕打ちを見れば、その意図はいよいよはっきりします。
 政見放送がネットで好評を博した外山氏ですが、しかし熊本市議選立候補(落選)に際し、こうも言っています。

現在の日本にはすでに言論の自由はなく、例えばちょっとしたビラまきやデモなどで逮捕されることも珍しくありません。そういう事件がとくにここ数年もう頻繁に起きているのに、マスコミはろくに報道しません。その点、選挙に出ると、少なくとも期間中は、形式にはいろいろ細かい制約があるとはいえ、内容については何でも自由にやれます。選挙制度こそは、現在の日本に残された言論の自由の最後の砦であり、本当に云いたいことを云おうと思えば、これを利用する以外にもはや方法がないというろくでもない現実があるのです。都知事選での私の政見放送を見て、日本は自由な国だと再認識したというネットでの書き込みは目立ちましたが、まったく愚かな認識ですね。現実は逆で、この国ではもはや選挙の枠の中でしか、言論の自由は謳歌できないんです。
(「なぜ立候補したんですか?」)

 石原氏や佐々氏にとって、自分たちが私腹を肥やす事は「アッサリ謝ってしまえば許容範囲内」。でも、たった一度、自分の命令に背く事は絶対に許せない。ここでは事の理非はもはやありません。「自分が正しい」しか無いのです。石原氏は、自分が権力者であるが為に免罪され、その部下は、部下であるが故に逆らうなという事なのです。
 石原氏が何を言っても問題にされないのは、言論の自由は権力者の「特権」であるという認識が広まり始めているからに他なりません。そうでなければ、こんな理不尽な事がまかり通るはずがないでしょう!
(「『強制で愛国心育たない』 日の丸・君が代訴訟あす判決 再雇用取り消し元教員 2007年6月19日 夕刊」「原告の請求退ける 日の丸君が代訴訟判決」)

 正直に言って、石原氏や佐々氏が、ここまで腐っているとは思いませんでした。ここまであからさまに、あられもなく手の内を自慢するとは思いませんでした。
 全く都民は舐められたものです。「謝るフリをすれば何をしてもいい」と開き直ったのも同然ですから。
 もちろん、石原氏に投票した有権者の多くは、国家主義を望んだわけでも、人種差別を望んだわけでもないでしょう。それどころか、「福祉に期待して」投票した有権者も多数居た事は、先に紹介した通りです。けれども、「改憲派の勝利だ、率直に謝(るふりをす)ればいい」と居直られればそれまでです。
 一見悪口に見える、斎藤氏の「(都民は)独裁者の臣民、奴隷として今後も生かさせていただきますと積極的に表明した」という批判は、少なくとも今回は100%正しい。何故なら、佐々氏が自ら、斎藤氏の批判を裏打ちする内容の「勝利宣言」をしたのですから。浅野候補も吉田候補も他11名の候補も、何より人間を心底バカにしていなければ、このような寄稿は出来ないでしょう。
 くり返しますが、斎藤氏が都民をバカにしたのではありません。佐々氏が、そして石原氏が、勝てば官軍とばかりに公言したのです。


 よくよく人間を舐め切ってくれましたね、佐々さん。

 私はあなた方の卑劣さを絶対に忘れない! 百年の後まで、この屈辱を青史に残してやる。
 皆さん、佐々氏の『正論』『諸君!』の寄稿は是非とも目を通して下さい。後世の教訓にするためにも。
 悔やんでも悔やみきれないのは、このような人間をコケにした勝利宣言をするような連中に、我々が敗を取った事です!!

 これは、単なる石原氏や佐々氏への批判ではありません。人間の尊厳を護る為に、人間として譲れない一線なのです。
 その為には、あなたの力が欲しいのです。

 最後になりましたが、このような原稿を書くきっかけを与えてくれた、読者の御教示に感謝します。どうもありがとうございました。
 乞、御批判。


 なお、他に参考にした記事を順不同で挙げます。
石神氏「マキャベリストになってくれ 2007-03-23
木走氏「2007-02-11 予言しましょう。石原慎太郎は必ず再選されます
moony氏「2007.03.17 東京都知事選:石原氏への「批判のしにくさ」と「社会の成熟」(上)
kechack氏「2007-03-26 なぜ女性が石原慎太郎を支持?
sean97氏「2007-04-12 本を買う日々
社会主義者氏「石原都政を誰が支持しているのか


神奈川

 知事選は現職・松沢成文氏の圧勝。東京都の石原氏と連携するなど、保守・右派層を中心に強く引きつけたようです。自民党県連は杉野正氏を擁立したものの、党本部は推薦せず、松沢氏を敵に回したくない思惑が感じられました。杉野氏と共産党推薦の鴨居洋子氏は僅差でしたが、どちらもボロ負けには変わりありません。
 ここはミニ政党の日本労働党が1999年までは独自候補を立て、共産候補に迫る得票を得ることもありました。今回目立った動きが見られなかったのが残念です。

新潟

 47都道府県で、唯一字を覚えてないのが潟です。ごめんなさい。
 それはともかく。定数60から53となり、新潟市選挙区が政令指定都市となったことで区別に分割され、小政党には厳しくなりました。ここは比較的社民が強い地域でしたが、選挙前の5から1に激減。自民は推薦含め、10減の29ですが追加公認を合わせると31人となり、さらに数人増やす見込みとのこと(『新潟日報』4月12日「新会派・民主にいがた発足へ」)。民主は6から8に増え、地域政党「無所属の会」は3で変化無し。公明は候補を2から1に減らし手堅く当選、共産は現職が落ちましたが新人当選により1で変化無し。
 自民優位の「二大政党制」なんでしょうか。
 ところで、田中眞紀子氏の存在感は全く無かったようですね。

富山

 国民新党・綿貫代表のお膝元。県議選は定数5減の40。選挙区は13ありますが、選挙戦となったのはわずか5選挙区という無風っぷり。といっても無投票当選は14名(過去最高)ですから、定数の多い都市部では選挙戦になったわけですが、それにしてもです。
 そんな中、NHKでも報道されましたが、富山市第2選挙区(定数3)で「地方選挙には珍しく」国民新・民主の選挙協力が成立。社民の県2区支部連合も推薦を出し、選挙運動では3党の幟が林立する様が放映されていました。結果、2党+1の推薦を受けた場家茂夫氏が当選し、自民の独占を崩しました。
 しかし、自民は実に13人が無投票当選。選挙前34から29と減らしましたが、候補者も31人に絞っており、南砺市選挙区(定数2)も独占はならなかったとはいえ、当選したのは公認漏れの保守系無所属ですから実質は30議席。社民は1減の4、民主は2、公明は1、共産は1で変化無しでした。
 社民・民主など他党は候補者の頭数さえ用意できないという、薄ら寒い状況が見えます。選挙は、行わなくては意味がないのです。

福井

 知事選は、前回は保守分裂の激戦でしたが、今回は与野党相乗りの現職・西川一誠氏と、共産公認の宇野邦弘氏の一騎打ちでは、初めから結果は見えていました。
 県議選では、都道府県レベルで女性空白県(歴代でも女性議員は5人だけ)の一つ。もう一つの島根県は今回解消されましたが、福井県は今回も当選者は全員男性でした。
 県議選は15選挙区定数40中、8選挙区30人分で選挙となり、45人が立候補。無投票当選を含め、自民24、民主2、公明1、無所属13(保守系7、民主系3、その他3)。前回1の共産が議席を失い、自民の強固さばかりが目立ちました。

静岡

 新たに政令指定都市となった静岡市と浜松市の市長選。どちらも激戦でしたが、静岡では現職の小島善吉氏が逃げ切り、浜松市では新人の鈴木康友氏が勝利しました。浜松は珍しい民主系同士の争いでしたが、企業が鈴木氏を支援したようです。一方、静岡では静岡空港建設に反対したため、連合静岡の差し金で対立候補を立てられ参院から落とされた海野徹氏との一騎打ちでしたが、144842対143539とまさに僅差でした。

愛知

 民主というより旧民社の牙城。ともあれ、定数104の県議選では自民過半数割れを目指し、選挙前の29から50人(推薦含む)擁立。9議席増の38人を当選させました。自民は3減の57、公明は7で変化無し。共産は前回に引き続き全滅しました。
 NHKなどでも報じられましたが、前回は無投票だった名古屋市東区選挙区(定数1)で民主は河村たかし氏の秘書であった佐藤夕子氏を擁立。現職の寺本充氏を破り初当選しました。他にも、前回無投票だった選挙区で、新たに民主が立てた候補は落選した候補を含め、かなりの支持を集めています。無投票で信任されたからといって、その人物が本当に支持されているかとなると話は別です。そのことは、民主の積極擁立によっても実証されました。
 逆に、豊田市選挙区では社民党系の候補が引退。トヨタ労組は組織内候補だけで複数当選させられるほどの勢力だそうですが、さすがにそれはせず無投票に。残念な結果となりました。
 58選挙区のうち、無投票選挙区は5減の16。やはり、無投票はいけません。

三重

 筆者の地元ですが、知事選は与野党相乗りと共産推薦の一騎打ち。結果は見え過ぎていました。一応、現職の野呂昭彦氏は前回民主が単独で推した候補に与党が乗った形ですが、野呂氏も元は自民。過去に見られた、野党候補に相乗りして主導権を乗っ取る自民の手に乗らないようして貰いたいものです。共産推薦の辻井良和氏は、お疲れ様でした(今回は投票しました)。
 一方、県議選では民主系地域政党の「新政みえ」が今回初めて公認として候補を立てたことが注目されました(前回は他の民主系候補を含め、全員無所属)。
 定数51に、自民系(29人)と民主系(27人)が双方過半数を狙った全国でも稀な激戦区。結果は自民系20、民主系24で、自民系は2減、民主系は1減。公明は2人を手堅く当選させ1増、前回全滅した共産は2議席に回復しました。結果として、勢力比に大差ないものの自公が微減し、共産が復活したという構図です。
 共産の議席回復については、民主の岡田克也氏が知事選がいわゆる「相乗りオール与党」となり、対抗馬を立てた共産に注目が集まったことが影響した事を認めています(「2007年4月10日 (火) 統一地方選――三重では民主24議席で第一党」)。こと県議選についていえば、民主系は自民に伍する選挙を戦うことができました。次は、知事についても、安直な相乗りには乗らない人材の育成が求められていると言えましょう。
 しかし、伊勢市選挙区は選挙自体より、前々回の市長選で落選した保守系の二人が、それぞれ自民と民主の推薦を受け当選したのは何だかなー、です。
 自民推薦の奥野英介氏は、2005年の市長選では自民推薦として当時の加藤光徳市長の対抗馬として立候補し、落選したのですが、あからさまに市長を中傷する怪文書が出回ったり、実に不愉快な選挙でした(初めて怪文書の実物を目にしたという点では、貴重な経験でした)。その後加藤氏が自殺した(『フライデー』2006年3月17日号によると、無言電話などの嫌がらせを受けていたという)事からも、ただ事ではありません。
 うーん、すっきりしません(匿名氏の「伊勢市長加藤光徳氏の自殺?の背景について」も参照下さい)。

滋賀

 野党系の嘉田由紀子知事のもと、県議選でも県政与党として「対話でつなごう滋賀の会」が結成され初参戦。定数47、17中15選挙区で選挙戦となりました。
 嘉田氏は栗東市の新幹線新駅建設凍結を訴え当選。建設推進の自民が、ここでは「抵抗勢力」と批判される側となりました。もっとも、私はこの用語を政敵への非難に使うのは好きではありません。
 ともあれ、自民系は選挙前から6議席減の21(自民系無所属5含む)と過半数割れ。「滋賀の会」は公認で4(2増)、民主など所属の推薦で8の計12人が当選。民主は2増の13(うち1は「滋賀の会」推薦)。共産は3、公明は2と、それぞれ1増。
 自民は地方議会で勢力を奮うのが強みですが、自公合わせて過半数割れに追い込んだことは大きな成果でしょう。

大阪

 大阪市では、關淳一市長がホームレスなどの選挙権を剥奪する異常事態の元(しかし他所では「もともと取り上げられている」実態があることも確かです)行われた府議選。
 結局2088名が選挙権を剥奪され、一応市側は投票は受け付けると表明したものの、まさに口先だけ。結局投票所まで出向いた44名中、「居住実態が確認できた」9名のみが投票を認められました。断じて大阪市のやったことは民主主義国の所業ではありません(稲垣豊氏「「野宿者に投票権なし」がまかり通っていいのか」、『産經関西(産經新聞)』4/9「住民票大量抹消の大阪市 9人の投票認める」、「釜パト活動日誌」4/3「緊急抗議行動呼びかけ」)。家無き人々の選挙権を認めると「選挙無効で訴えられる可能性がある」そうですが、もしそんな理由で選挙無効の訴訟を起こす輩がいるなら、それは正真正銘人間のクズです。

 さて、府議選は定数112、62選挙区中、選挙戦となったのは50選挙区。ここは自民が議席を伸ばした地区で、5増の45。公明は23で現状維持、民主は19、共産は9、社民は1とそれぞれ1減で振るいませんでした。もともと大阪は公明というより創価学会の牙城ですが、相変わらず手堅い選挙戦です。
 選挙権剥奪事件の現場となった大阪市西成区(定数2)では、公明が新人を立て議席維持。あと1議席は民主から共産が奪還しました。堺市堺区(定数2)は、NHKでも取り上げられていたと思いますが、珍しい自公共の争い。民主が候補擁立を見送り、共産の芹生幸一氏が議席を奪取した数少ない選挙区の一つとなりました。公明は手堅く議席を死守し、自民現職の中野清氏(同姓同名の埼玉の国会議員とは別人)が落選しました。
 大阪市議選は、定数80で自民が4減の30、公明が2増の20。民主は1減の17、共産は4増の16。西成区選挙区(定数5)は自民2、公明1、民主1は議席維持の代わり映えしない結果に。ただ、最後の1議席を保守系無所属に代わって、共産の元職が議席回復しました。

 後期日程では、「革新(確信)無所属=鮮烈市民」こと、戸田久和[とだ ひさよし]氏の立候補した門真[かどま]市議選に注目しています。政治資金規正法違反の被疑で裁判中ですが、戸田氏の場合は生コンクリートの水増し(「シャブコン」)告発などに手を焼いた大手ゼネコン・産經新聞(手抜き告発紙面で批判するという、ふざけた真似をした)などによって嵌められた部分があるようです。
 もちろん戸田氏への批判もありますが、見たところ新聞記事を鵜呑みにしているだけなので省略。興味のある方は検索してみて下さい。
 戸田氏は、前回より票を減らしたものの、2期連続のトップ当選で3回目の当選を果たしました。

広島

 広島市長選挙で、現職の秋葉忠利氏が保守系の二氏を抑え大勝。県議選は自民優位だったので、秋葉氏個人の評価も高かった結果と言えましょう。自民推薦の柏村武昭氏は3位。イラク邦人人質事件の時の被害者への誹謗の後、自分が郵政民営化反対すると全く同じ理屈で自分が非難される羽目になりましたが、どうやら反省はしていなかったようですね。

鳥取

 前回の知事選は、共産が候補擁立を見送り無投票で片山善博氏が当選しました。
 片山氏の引退で自公は平井伸治氏を擁立。共産は山内淳子氏を推薦しましたが、平井氏の楽勝。
 かつては社会党がそこそこ強かったようですが、社民は県議選でも候補すら立てられないありさま。県議選は38議席中自民21(+2)、民主5(+3)、公明2、共産2(+2)、無所属5。民主が議席を増やし、共産が回復したものの、自民圧倒的優位という点では変わり映えしません。ちなみに、女性当選者の5名(+2)は史上最多でした。

島根

 かつては竹下登氏、今は青木幹雄氏の牙城。知事選はこれまた新人同士の対決でしたが、自公推薦が共産公認に楽勝。つまらないので次。
 県議選では、定数37・14選挙区中選挙戦となったのは9選挙区。自民21、民主3、公明1、共産1。自民系は25と4減。民主系は社民、国民新の支援も得て8と3増ですが、まだこれからというところです。
 また、女性の空白県だったのが今回は2名当選し解消されました。これもNHKで報じられていたと思います。

福岡

 県知事選は与党推薦の現職・麻生渡氏に民主・社民推薦の稲富修二氏と共産推薦の平野栄一氏が挑んだ形。しかし、麻生氏が過半数の得票を得る圧勝。知事選はこんなのばっかりです。
 民主は準備不足も祟った形ですが、これで諦めようとは思わず、独自候補を育てて欲しいです。

長崎

 後期日程の一つである長崎市長選。
 現職の伊藤一長候補が、山口組系水心会所属の暴力団員の男に暗殺されました…。ただ哀悼の意を表するのみです。
 補充立候補は、娘婿の横尾誠氏が行う事になりました。仕方がない、のかな…。

 その後、世襲に反対して補充立候補した田上富久[たうえ とみひさ]氏が、市長に当選しました。伊藤前市長の娘は「こんな仕打ち受けるとは」と嘆いたと報じられましたが、田上氏の立候補は妥当です。
 故人への哀悼と、市長の職務は別でなければなりません。肉親が跡を継げばいいというものではないのです。
 …お疲れ様でした。

熊本

 県議選で、荒尾市選挙区(定数2)で無投票当選した岩中信司氏。何と新社会党県議で全国唯一の議席死守です。荒尾市は新社会党の牙城で、市議も6人います(とは言え、定数減の影響もあり、今回の市議選では候補を2人減らしています)。でも、やっぱり無投票はよくないですね。

 後期日程では、熊本市議選(定数48、4減)にあの外山恒一氏が立候補しました。結果は立候補者62人中、61位のブービー負け。辛くも供託金没収は免れました。

宮崎

 先の県知事選で、東国原英夫(そのまんま東)氏が与野党の推す候補を蹴散らし当選。しかし東国原氏は県議選では中立を宣言。圧倒的多数を握る自民に配慮したのではともいわれていますが…。(『讀賣新聞』4/9「東国原チルドレン誕生!宮崎県議選で「知事与党」当選」)
 県議の定数45。16選挙区で、選挙戦になったのは12選挙区。自民は6減の26ながら、党員の無所属当選者が6名いるため実質現状維持。社民は1増の5、民主、公明は3で変化無し。前回全滅の共産は1人回復しました。
 宮崎市選挙区(定数12)では「東国原チルドレン」を名乗る無所属の武井俊輔氏が当選し注目されましたが、全体として自民の強さが表れた格好です。
 もっとも、得票率では自民がやや落とし、他党への流出が指摘されていますが、東国原氏が自民と全面対決する可能性は今のところ低いと思われます。勢力変化に繋がるかどうかは、今後の姿勢次第でしょう。(『西日本新聞』4/9「自民、勢力維持へ自信 県議選総括 無所属会派の結成焦点に 社民5議席、共産回復」)

 ちなみに、東国原氏は去る3月15日に従軍慰安婦問題について「従軍慰安婦が実際に存在した歴史的確証がない。強制的な慰安婦が存在したかどうかは客観的に確かめられなければならない。両国合意の上で朝鮮半島は日本に併合され、1910年から1945年の間、合法的であった売春婦が日本に出稼ぎに来るのに、何の問題もなかった。今頃になって韓国は日本に植民地支配され、慰安婦を強制されたと言っているが、戦勝国アメリカの力を借りて言っているだけ」などと放言しました(『The Japan Times』「Thursday, March 15, 2007 Gov. Sonomanma: What sex slaves?」)。
 しかし、日本のマスコミは、従軍慰安婦強制連行否定を事実上社論にしている『産經』も含め、ただ従軍慰安婦問題に触れたとお茶を濁していました。東国原氏の発言以前に、批判もしなければ、大喜びで賞賛したいはずの産經まで沈黙。これには薄気味悪いというか、落ち着かないというか、東国原氏を矢面に立たせたくなかったということなのか。マスコミは何なのかというのか、もうどう反応してよいかわかりませんでした。(産經本紙の記事はネットになかったので、サンケイスポーツ3/15の記事より「東国原知事がノリノリ“漫談”60分!「襲撃事件」裏側も暴露」)

鹿児島

 統一地方選のある自治体では一番南です(沖縄は米軍占領下からの復帰時期の関係で、統一地方選に含まれない)。
 県議選の定数54、23選挙区で選挙戦になったのは17選挙区。
 一番の注目は、志布志[しぶし]市・曽於[そお]郡選挙区(定数1)。前職の中山信一氏は初当選後公職選挙法違反で逮捕されましたが、結局無罪判決が確定しました。
 こうした事件は、限りなく怪しいのに政治家が逃げ切ってしまうパターンが多いのですが、今回は立件自体が空中楼閣でした。暇人氏が「恐ろしい国へ」で指摘されていますが、安倍晋三首相の地元である山口県下関市長選では、現金での買収があったと認められているのに不起訴で済んでいます。この差は、被疑の金額の大小の問題では無いでしょう。
 鹿児島県警の警部補が中山氏の支持者に対して行った「踏み字」。何を言っても一切聞く耳を持たれず、一方的に「罪人」の結論を押しつけられる状況がどれほど恐ろしいか。
 私は被疑者の名前を晒すことで制裁とする思想に反対ですが、冤罪で中山氏らを陥れようとしながら、取り調べに当たった警察官たちが匿名で守られているのはむかつきます。名前を出せということではありません。冤罪を通り越し、でっち上げ同然に人を嵌めようとしたのに警察や実行者が責任を問われず、「注意」や「訓戒」で済まされるのはおかしいからです(当時の県警本部長だった稲葉一氏は「厳重注意」)。私人ならともかく、公務員が公の職務で人の一生を台無しにしようとしたのに。(『朝日新聞』「県議選公選法違反事件」、荒木勲氏「「中山事件」の闇 (1)」)
 また、2003年当時の曽於選挙区は定数3。これまでは自民独占区で、無投票当選が確実視されていたところに、中山氏が新たに立候補し、見事当選しました。前出『朝日』によれば、中山氏の事件を指揮した警部は対立候補(名指ししていませんが、中山氏の立候補で落選したのは自民の市ヶ谷誠[いちがたに まこと]氏)と親子同然の仲であったといいます「止められなかった「暴走列車」 上 2007年03月07日」。この記事が正しければ、中山氏は無投票を阻止したために恨まれた現職に嵌められたということになります。
 ここまで書いて来たように、地方に多い無投票当選ですが、決して無条件に支持された結果ではありません。現職が対立候補に圧力を掛けて、その座を維持している例は少なくないといわれています(以前中村敦夫氏も詳しく指摘していましたが、残念ながら今のサイトからは消されています)。
 いや、大都市でも、政令指定都市では区別に選挙区が分割されますから、特に定数1の選挙区では現職が無投票で居座る例が見られます。
 しかし、いざ選挙になれば、地盤のない対立候補が善戦したり、中山氏や愛知の佐藤氏が当選したように現職が足をすくわれる例は少なくありません。であるならば、なおさら選挙は行われなければなりません。
 今回、中山氏はその市ヶ谷氏らを破り議席を奪還しました。市ヶ谷氏は西高悟氏(野党系無所属)にも及ばぬ3位で、この結果は当然とはいえ、実に痛快でした。市ヶ谷氏には心からざまあ見ろと申し上げます。
 中山氏は、今度こそ県議として実績を上げ、次の選挙ではその実績を正当に問われる選挙戦を戦って欲しいと思います。どうか幸運がありますように。
 (4/19追記、『朝日新聞』より)「捜査資料、地検「死んでも出さない」 鹿児島12人無罪 2007年4月7日(土)09:23
 これはもう、故意犯でのでっち上げに間違いないでしょう。ふざけるな!

 今ひとつの注目は、奄美市選挙区(定数2)。ここは自由連合の、というより現在は筋萎縮性側索硬化症(ALS)で闘病中のコ田虎雄氏の地元です。
 虎雄氏の引退後、子の毅氏が無所属で衆議院選挙に立候補し、当選。自由連合代表となったのですが、昨年の沖縄県知事選では、自由連合は野党統一候補の糸数慶子氏を推薦しながら、毅氏は告示日に離党表明&与党の仲井眞弘多[なかいま ひろかず]氏支援を表明した裏切り者です(自由連合は沖縄にも一定の地盤がある)。虎雄氏も一度は自民に入党しながら、日本医師会の意向で叩き出され、自由連合を結成した前歴があるので自民志向は仕方がないのですが、あまりに酷い。この裏切りもあって、沖縄県知事選は仲井眞氏が当選。毅氏は見返りに自民入党を果たしました。
 で、奄美市選挙区の栄和弘氏は唯一の自由連合県議(選挙は無所属として当選)でしたが、毅氏に捨てられた格好となり落選。同選挙区は自民が独占しました。全く不愉快な結果です。
 せめて、衆議院鹿児島2区の有権者の方々には、次の選挙で毅氏に鉄槌を食らわせて欲しいと思います。

 県全体では、自民は38(選挙前-5)と、減らしたとは言え圧倒的多数を維持。公明3、民主1(+1)、社民1(-1、しかし前回当選者は4)、共産1。そして無所属は一部野党系もいますが、自民系が多数なので、全体として自民安泰の結果になりました。(『南日本新聞』「[07県議選]議員年齢が二極化 女性は最多タイ/結果分析」)


管理人 K・MURASAME       

2007/04/17 02:24     

最終更新 2007/07/02 19:41     


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