盗聴法シリーズ(11) 盗聴法成立史(1・その成立まで)(Ver.1.6)


(付・第145回通常国会で通った主な法案の成立日)

 盗聴法の成立は去る'99年8月12日の事でした。国会会期末が翌13日の金曜日。多くの方が(帰省とか旅行とかコミケとかで)国会どころでは無いという実にやらしい日でしたが、そのためうっかりして見落とされた方がいたかも知れません。そこで、ここに盗聴法が成立するまでを年表形式でまとめてみました。
 年表が明治時代から始まっているのに首を傾げられる方もいるかと思います。
 「盗聴法は平成の治安維持法」と、創価学会機関誌の『聖教新聞』はかつて言いました。残念ながら学会はその後盗聴法賛成派になってしまいましたが、それはともかく、盗聴法賛成派の主張として「治安維持に欠かせない。」(『文藝春秋』1999年9月号101頁、小沢一郎他多数)という意見がしばしば見受けられます。「治安維持」がこの法の大きなKey(鍵)となっているのは間違いありません。こういう法律を「治安立法」というのですが、あまり古くさかのぼっても切りがありませんし、本題から外れてしまいます。本年表では、治安維持法成立の前夜から時代をたどって行きたいと思います。


★政党名の略称一覧(略さない事もあります)

労大=労農大衆党 政友=立憲政友会 労農=日本労農党 共産=日本共産党
民社=民主社会党(1970[昭和45]年以降「民社党」) 自民=自由民主党
社会=日本社会党 さきがけ=新党さきがけ(1998[平成10]年10月〜2002[平成14]年1月「さきがけ」、同1月15日以降「みどりの会議」)
社民=社会民主党 公明=公明党(1994[平成6]年12月〜1998[平成10]年11月までは「公明」。なお、1998年1〜11月までは「新党平和」と二重勢力)
スポ平=スポーツ平和党 民主=民主党 自連=自由連合(1999[平成11]年12月〜2000[平成12]年6月「政党自由連合」)
社大=沖縄社会大衆党 新社=新社会党 自由=自由党 保守=保守党 保新=保守新党
二院=第二院クラブ 改革=改革クラブ(旧)(1998年1月〜2002[平成14]年)と、別党派である改革クラブ(新)(2008[平成20]年8月〜2010[平成22]年4月)、同4月23日以降「新党改革」両方の略称みどり=みどりの会議(旧「さきがけ」) 希望=新党・自由と希望
女性=女性党 無会=無所属の会 新風=維新政党・新風
国新=国民新党 新日=新党日本 大地=新党大地 みん=みんなの党
た日=たちあがれ日本 創新=日本創新党
維新=日本維新の会、維新の党 生活=国民の生活が第一、生活の党 未来=日本未来の党 緑=緑の党グリーンズジャパン み風=みどりの風 結い=結いの党 次世=次世代の党

《第一部 盗聴法以前》
1900[明治33]年この年 電信法制定。有線通信を対象に、通信の秘密を守るよう規定したもの。当時通信は国有で、また無線通信はほとんど普及していなかった。
2月23日 治安警察法成立。内容は集会や結社(何らかの団体、特に政治団体など)設立の許可制、女性の政治活動の禁止、労働者や小作人の団結と争議行為の禁止など。社会運動の弾圧に威力を発揮した。
3月10日 治安警察法公布。
10月10日 逓信省令により、電信法の規定を無線電信にも準用。
1910[明治43]年 5月25日 大逆事件の検挙始まる。最終的に幸徳秋水ら26名が逮捕され、明治天皇暗殺未遂として幸徳氏ら24名が死刑(半分は無期に減刑)判決を受けた。死刑となった12名は翌年処刑された。容疑のほとんどは冤罪で、政府が社会主義運動弾圧に利用したとされる。1960[昭和35]年、最後の生き残りの坂本清馬氏らが再審請求を東京高等裁判所に提出したが、棄却。最高裁への特別抗告も棄却された。
1911[明治44]年 8月21日 警視庁、特別高等課を設置。大逆事件がきっかけといわれる。特別高等警察の起こり。いわゆる政治警察。思想弾圧に威をふるった。現在の公安警察の前身。
1914[大正3]年 5月2日 逓信省令により、電信法の規定を無線電話にも準用。
7月28日 オーストリア=ハンガリー帝国、セルビアに宣戦布告。第一次世界大戦始まる。
この年 第一次世界大戦に参戦したイギリスが、ヘンリー=オリバー海軍少将の命により、ドイツ軍の暗号解読組織を創設。まもなく海軍省旧館第40号室に移した事から「ルーム40」と称される。
1915[大正4]年この年 無線通信法が成立。初めて個人の電波利用を認める。
1918[大正7]年11月11日 ドイツ、連合国との休戦協定に調印。第一次世界大戦終わる(公式には、1919年6月28日調印のヴェルサイユ条約をもって終戦)。
この年 アメリカで世界初の盗聴法が成立。第一次世界大戦のスパイ活動に使われる。
1919[大正8]年この年 イギリスで、海軍暗号解読機関のルーム40と、陸軍のMI1bが合併し、政府暗号学校(Government Code and Cypher School、GC&CS)創設。のちに首相になったウィンストン=チャーチル氏は、この組織の育ての親となった。
1922[大正11]年 2月18日 政府、過激社会運動取締法案提出。(治安維持法の原形。貴族院は通過したが、衆議院で審議未了のため廃案)
7月15日 日本共産党結成(非合法。9月結成説もある)。
1925[大正14]年 2月18日 政府、治安維持法案を衆議院に提出。
3月7日 衆議院本会議で、治安維持法成立のための第二議会開催を、賛成246,反対18で可決。続いて開かれた第二、第三議会で、治安維持法が成立。国体(天皇を中心とする日本の政治体制)を変えようとしたり、私有財産制に反対する団体の設立や加入を禁じた物。共産主義・社会主義団体、特に日本共産党の取り締まりが目的とされた。最高刑は10年の懲役または禁固。
4月22日 治安維持法公布。
5月12日 治安維持法施行。
11月 朝鮮共産党第一次弾圧、66名を検挙。治安維持法適用の最初。
1926[大正15]年 1月15日 京都学連事件。全日本学生社会科学連合会(左翼系の学生団体)関係者の学生38名を逮捕。日本本土(植民地以外)での治安維持法適用の最初。
1927[昭和2]年 5月30日 京都地方裁判所により、京都学連事件一審判決。全員が有罪となった。
1928[昭和3]年 2月20日 第16回衆議院総選挙投票日。初の男子普通選挙、無産政党より8名が当選。
3月15日 治安維持法により、日本共産党員ら約1600人を一斉検挙。三・一五事件(第二次共産党事件)と呼ばれる。
4月14日 三・一五事件に帝国(現在の国立)大学生が多数いたとして文部省は「左傾教授」の辞職か休職を大学側に要求。この日、大学側は受け入れた。これにより東大の大森義太郎氏、京大の河上肇氏、九大の石浜知行、向坂逸郎(さきさか いつろう)、佐々弘雄(佐々淳行氏の父)各氏が「依願免職」の形式の元に追放された。なお、大森氏を始め何人かは、これ以前に自発的に退職していた。
4月27日 治安維持法改正案、衆議院で審議未了により廃案。
6月12日 政府、緊急勅令による治安維持法改正案を閣議決定。枢密院(天皇の諮問機関)へ回付。平沼騏一郎議長以下9名からなる精査委員に付託。
6月28日 枢密院本会議で、緊急勅令による治安維持法改正案成立。
6月29日 政府、緊急勅令による治安維持法改正案を公布。
 最高刑を死刑に変更。また、対象団体のみならず、その団体の支持者(正確には「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為」のすべて)にも適用範囲を拡大した。その結果、共産党の関連団体のみならず、反政府的と見られる多くの団体が共産党の「シンパ」(支持者)とされ、取り締まりの対象とされた。これは、三・一五事件の検挙者の大半が非共産党員であったためだった。この改正案は、先に議会で廃案となっていたもの。
この年 当時禁酒法が施行されていたアメリカで、酒の密造業者オルムステッド氏を捕らえるのに盗聴した事件(オルムステッド事件)の連邦最高裁判決。電話の盗聴は他人の家屋に侵入することがないから捜索自体に当たらず、プライバシーの侵害にもならないという内容。ただ、少数意見としてルイス=D=ブランディス判事が電話盗聴もプライバシーの侵害であり、違憲とする初めての見解を出した。
1929[昭和4]年 この年 無線通信法改正。通信の秘密の保護規定を無線通信に拡大、「通信ノ秘密ノ漏洩」に限って処罰することとした。
3月5日 衆議院本会議で、水谷長三郎代議士(労大)の反対演説、名川侃市代議士(政友)の賛成演説ののち、衆議院本会議で、山本宣治代議士(労農)が反対演説を行おう としたが、与党政友会からの討論打ち切り動議により、山本氏が演説出来ないまま採決。賛成249,反対170で緊急勅令による治安維持法改正を承認。
 反対派の山本氏は、即日右翼団体七生義団員の黒田保久二に殺された。
12月12日 京都学連事件大阪控訴院による控訴審判決。3名が無罪となったが、他の者は三・一五事件の影響で、軒並み刑が加算された。
1931[昭和6]年 9月18日 柳条湖事件。満州事変始まる。
1932[昭和7]年この年 アメリカで電気通信法が成立。盗聴が禁止される。
1933[昭和8]年 1月30日 国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチス)の指導者(Fuhrer、総統)、アドルフ=ヒトラー氏が、ドイツ首相となる。
2月27日 ドイツ国会議事堂放火事件発生。ヒトラー政権は共産党の陰謀と主張。
2月28日 ドイツのヒトラー政権、パウル=フォン=ヒンデンブルク大統領の緊急令として「国民及び国家の保護のための緊急命令」発令。 反共を大義名分に、言論・結社・出版・集会の自由、通信の秘密など、基本的人権を否定したもの。
3月23日 ドイツ帝国議会、ヒトラー政権による民族および国家の危難を除去するための法律(Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich、全権委任法)を可決。議会、憲法を無視して政府が自由に立法出来るようにする物。1937年4月1日までの時限立法だが、この後ナチスは他党を全て非合法化または解散させ、同法はナチス政権が終わるまで更新された。
4月6日 国士舘大教授の蓑田胸喜(みのだ むねき)氏が、官邸の齋藤實(さいとう まこと)首相を訪れ、質問状を突きつけた。
 貴族院議員・東京帝大教授の美濃部達吉氏の論集『現代憲政評論』で治安維持法を「世にも稀な悪法」と評したのは「大逆無道」であり、このような「不逞悪逆」の教授を放置するのは総理の責任だ、という内容。
1935[昭和10]年 3月4日 共産党中央部壊滅、最後の一名検挙。
5月29日 思想犯保護観察法公布。
12月8日 皇道大本教(こうどうおおもときょう)が「国体ヲ変革スルコト目的」とする結社であるとして宗教団体として初めて治安維持法の適用を受け、教主出口王位三郎(でぐち おにさぶろう)氏を始め、987名が検挙。
 大本教の全施設は破壊された。
1937[昭和12]年 7月7日 盧溝橋事件。日中戦争始まる。
1939[昭和14]年 9月1日 ドイツ、ソビエト連邦との秘密協定によりポーランド侵攻。
9月3日 イギリス、フランスがドイツに宣戦布告。第二次世界大戦始まる。ソ連は9月17日にポーランド侵攻。
1940[昭和15]年この年 アメリカ司法省は、「この傍受された情報が司法省の外部に開示されない限り無制限の傍受を許すもの」として、盗聴を解禁。第二次世界大戦での英仏側援助(この時点では未参戦)による、政治的圧力によるもの。
1941[昭和16]年 3月10日 治安維持法改正、予防拘禁制導入。これは治安維持法違反の前科を持つ者に対し、再犯のおそれがあれば既に刑期満了していても引き続き拘禁出来るようにした。この結果、「再犯の恐れあり」との名目で、ほぼ無制限な政治犯の拘禁が可能になった。
12月8日 真珠湾攻撃。アジア太平洋戦争始まる。
1943[昭和18]年 5月17日 英米通信傍受協定(ブルサ協定)締結。この協定は、国際盗聴ネットワーク・エシェロン(ECHELON)の前身になったといわれる。
7月6日 創価教育学会(現・創価学会)の牧口常三郎、戸田城聖(とだ じょうせい)各氏らが治安維持法違反、不敬罪で検挙。
1945[昭和20]年 4月30日 ドイツのヒトラー総統自殺。
5月9日 ドイツ、ソ連軍に無条件降伏。7日にソ連を除く連合軍に無条件降伏しており、これで完全に降伏した。
8月15日 昭和天皇、日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言の受諾を発表(玉音放送)。
9月2日 日本、アメリカ海軍戦艦ミズーリ艦上において、対連合国降伏文書に調印。第二次世界大戦終わる。
9月10日 GHQ(General Headquarters、連合国総司令部)、言論及び新聞の自由に関する覚書を日本政府に示す。
10月3日 山崎巖内務相は、イギリスの新聞記者の取材に対し、「政府形体の変革とくに、天皇制廃止を主張する者はすべて共産主義者と考え、治安維持法によつて逮捕される」と答えた。また岩田宙造司法相も別の記者に対し、刑期満了後も予防拘禁されている政治犯の「釈放の如きは考へてゐない」と答えた。
10月4日 GHQ、政治的・市民的及び宗教的自由の制限除去に関する覚書を日本政府に示し、10日までにすべての政治犯を釈放すると共に、治安維持法・思想犯保護観察法などの廃止も指令した。
10月5日 東久邇宮稔彦王内閣総辞職。政治犯の釈放や治安維持法の廃止・政治警察の全廃などの占領軍指令を実行したく無かったため。
10月10日 日本共産党、合法政党として再建。
10月15日 治安維持法、思想犯保護観察法、特別高等警察など廃止。
12月19日 内務省警保局内に公安課新設。特高警察の後身。
1946[昭和21]年11月3日 日本国憲法公布。
この年 英国GC&CSが、政府通信本部(Government Communications Headquarters、略称GCHQ)に改組。外務省直属、その実首相直属の情報分析機関となる。
1947[昭和22]年 5月3日 日本国憲法施行。
12月17日 警察法成立。「国家地方警察」と「地方自治体警察」の二本立てで、警察の地方分権化を目指した。
12月31日 内務省解体。
1948[昭和23]年 2月11日 地方自治体警察発足。
3月7日 警察法施行。
1950[昭和25]年 この年 電波法制定。すべての人に無線局開設の自由を認める。
1951[昭和26]年 6月4日 警察法改正案可決、成立。
10月31日 法務省、団体等規制法案を与党・自由党に提示。(のち国会提出を断念、破壊活動防止法の原形)
1952[昭和27]年 4月17日 政府、破壊活動防止法案・公安調査庁設置法案などを提出。
5月1日 メーデーのデモ隊約6000人が使用を禁止されていた皇居前広場に入り、約5000人の警官隊と乱闘。警官隊の攻撃により、死者2人、負傷者230人の惨事となった(血のメーデー事件)。
6月2日 午前0時30分頃、大分県直入郡菅生村(現:竹田市)の駐在所が爆破され、近くを通りがかった共産党員の後藤秀生氏と坂本久夫氏が逮捕される(菅生事件)。現場には「(1月に起きた)牛の窃盗犯を捕らえるため」として、数十名の警察官と『毎日新聞』の記者4名が張り込んでいた。しかし記者たちは後に開かれた公判で「駐在所に背を向けて小便」しているときに事件が起こったので現場を見ていない、と証言した。
7月4日 破壊活動防止法成立。
7月21日 破壊活動防止法施行、公安調査庁発足。
11月4日 アメリカの諜報・情報分析機関、国家安全保障局(National Security Agency、NSA)創設。
1953[昭和28]年 この年 公衆電気通信法成立。公共の有線・無線通信の侵害に対する処罰を一本化。
1954[昭和29]年 6月7日 新警察法、参議院で強行採決。市町村単位に細分化されていた地方自治体警察を都道府県単位に一本化し、中央に警察庁を設置するという内容。
7月17日 東京高等裁判所で、新潟十日町事件判決(久礼田益喜裁判長)。1951[昭和26]年、新潟のある共産党員宅に警察官がマイクを取り付けて盗聴し、住人がマイクを持ち去ったのが窃盗であるとして逮捕された事件。共産党系の市民団体が職権濫用に当たるとして告訴したが、判決は「同室内の外観、音響等の利用形態には何等の影響をも来たさない」として盗聴を容認、訴えを棄却した。
1955[昭和30]年 7月2日 大分地裁で、菅生事件の犯人とされた共産党員2名に有罪判決。被告たちは深夜に駐在所を通りがかったのは「(資金カンパして被告らに接近した人物)市木春秋の誘いによるもの」と主張していたが、市木氏は事件以来行方不明になっていた。共産党側は福岡高裁に控訴し、また市木氏捜索を続ける。
1956[昭和31]年12月4日 共産党および菅生事件被告弁護団は、党側が菅生事件の真犯人と見ている市木春秋の本名は当時国警(国家地方警察。新警察法成立に伴い廃止)警察官の戸高公徳であり、現在行方不明なのでマスコミの皆さんの協力をお願いしたい、と発表。警察庁の山口喜雄警備部長は記者会見で、戸高氏が当時巡査部長として国警大分県本部に在職していたのは事実だが、市木春秋と同一人物とは考えられない、と否定。
1957[昭和32]年 3月13日 戸高氏を捜索していた共同通信特捜班は、「東京大学文学部研究生佐々淳一」を名乗る人物が怪しいとの情報をもとに、東京・新宿の春風荘アパートに済む佐々氏と面会。調査の結果、東大には佐々淳一という学生も研究生もいないと分かっていた。記者たちは顔かたちを見て戸高氏と判断したが、佐々を名乗る人物はこれを否定。記者たちは被告側弁護人の一人である正木ひろし氏を呼び、警察庁との交渉の末、翌日記者会見を行うことで合意。
3月14日 戸高公徳氏が警察庁立ち会いのもと、共同通信記者と正式に会見。戸高氏側はみずから名乗り出ることにしたと発表、共同通信側もなぜかこの通り報道。
3月31日 警視庁に公安部創設。
9月17日 大分地検は、戸高公徳氏を爆発物取締罰則違反で起訴。ただし、容疑はダイナマイト不法所持のみで、駐在所爆破は不起訴だった。
1958[昭和33]年 6月9日 福岡高裁は、菅生事件の警察による自作自演を認め、一審で有罪となった後藤秀生氏と坂本久夫氏を逆転無罪。検察側は最高裁に上告。
8月8日 大分地裁は、戸高公徳氏の爆発物所持を認めながら「当時の緊迫した情勢下において(中略)その職責を忠実に果たさんと」した結果であるとして無罪判決。検察側は控訴。
1959[昭和34]年 9月 福岡高裁は、戸高氏の無罪判決を破棄。しかし、戸高氏が「上司の小林未喜警備部長の指示を仰いだのは自首にあたる」として、刑を免除。戸高氏は3ヶ月後警部補として復職。退職時にはノンキャリアとしては事実上出世の限界である警視長にまでなっていた。
1960[昭和35]年12月16日 最高裁で、菅生事件について福岡高裁の判決を支持し、検察側の上告棄却。被告人の無罪確定。
1967[昭和42]年この年 アメリカ連邦最高裁は、盗聴は捜査の一部であると判断を変えた上で、盗聴を合憲と認める。
1968[昭和43]年 5月30日 西ドイツで、非常事態法(有事法制)の一環として盗聴法が成立。冷戦下の共産主義諸国への対抗策であるが、一つには非合法に盗聴が行われており、また第二次世界大戦後、西ドイツの占領国だったアメリカ、イギリス、フランスは独立回復後も依然として西ドイツの通信を盗聴していた。有事法制と引き換えに米英仏三国の盗聴権を放棄させ、また政府による盗聴を公認したものという。
この年 アメリカで改めて盗聴法(包括的犯罪取締及び街路安全法第三編)が成立。アメリカ現行盗聴法の原形。
《第二部 二つの盗聴事件》
1970[昭和45]年 5月〜7月 共産党議長宮本顕治氏宅が、何者かに盗聴される。
10月15日 アメリカで、RICO法(Racketeer Influenced and Corrupt Organizations Statute、組織犯罪の影響下にある団体及び腐敗団体に関する法律)成立。日本の組織犯罪対策三法案の原形の一つ。
1976[昭和51]年 1月27日 衆議院本会議で、春日一幸民社党委員長の代表質問。春日氏は共産党宮本氏のいわゆる「スパイ査問事件」(戦前、スパイとされる人物を殺した疑い)を糾問したが、当時宮本氏が判決で受けた罪状の一つとして、治安維持法違反を全くの注釈無しにそのまま挙げ、当時背景となった治安維持法の存在を当然のものとした内容だった。
1月30日 衆議院予算委員会で、不破哲三氏(共産)が治安維持法の扱いについて政府側に質問、三木武夫首相は「戦前には法律としてこれは施行されておったわけであります。これに対して私がいろいろここで価値評価をいたす立場ではないわけであります。」と答弁。また、稻葉修法務相(いずれも自民)は「当時の日共(日本共産党)というものは暴力で革命をやり、政府を転覆しようとしておった事実があるわけです。それに対して政府がいろいろ防衛手段を講ずることば当然じゃないですか。」と、「当時の日共」とただし書きを付けつつも治安維持法を完全に肯定した。
 また、塚本三郎氏(民社)は「治安維持法は天下の悪法」であり、「治安維持法を善なるものと擁護しているものでは決してありません。」と但し書きを付けた上で、「戦時中の事件はすべて否定することもまた独善過ぎる」としてスパイ査問事件についてさらに共産党を追撃。
1980[昭和55]年 4月8日 自民党、「防衛機密に関わるスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法、あるいは国家秘密法第一次案)発表。
6月 創価学会の山崎正友弁護士が造反し、宮本氏宅盗聴の犯人は創価学会と告白。
8月 共産党宮本氏、創価学会北条浩会長を始めとする被告に対し、総額100万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こす。
1982[昭和57]年 7月2日 国家秘密法第二次案発表。
1984[昭和59]年 8月6日 「国家機密に関するスパイ行為等の防止に関する法律案」(国家秘密法第三次案)発表。
1985[昭和60]年 6月6日 自民党、国家秘密法案提出。
12月20日 国家秘密法、衆議院内閣委員会理事会で廃案決定。
1986[昭和61]年11月27日 緒方靖夫共産党国際部長(現参議院議員)宅が盗聴されていた事が発覚。
11月28日 緒方氏、東京地方検察庁に告訴・告発。
12月12日 神奈川県議会で緒方氏盗聴事件について、中山好雄神奈川県警本部長は「いやしくも神奈川県警が関与していることはない」と答弁。
1987[昭和62]年 2月27日 国家秘密法修正案の正式名称を
「防衛機密を外国に通報する行為等の防止に関する法律案」に変更。
5月7日 参議院予算委員会で、山田英雄警察庁長官は、緒方氏宅盗聴事件について「警察は過去も現在も盗聴はしていない」と答弁。
6月10日 共産党緒方氏、盗聴実行警察官と犯行を承認・支持していた上司を職権濫用罪で東京地検に追加告訴。
8月4日 東京地検の岩村修弐検事は、緒方氏宅盗聴事件の実行犯ら全員の起訴猶予または不起訴処分決定。
8月10日 緒方氏、東京地検の不起訴処分を不服として東京地裁に付審判請求を起こす。
9月8日 緒方氏、同じく東京第一検察審査会に審査申立て。
1988[昭和63]年3月7日 東京地裁、緒方氏の付審判請求を却下。ただし、盗聴が警察官による組織的犯行であると認定。
4月27日 東京第一検察審査会は20日付で、盗聴実行犯の不起訴不当と結論。
9月5日 共産党緒方氏、夫人周子氏・母サワ氏と共に国・神奈川県・盗聴実行警察官に対し、東京地方裁判所に計3308万3792円の国家賠償を求める民事訴訟を起こす。
12月14日 東京地検の樋渡利秋検事は、東京第一検察審査会の結論を受けた再捜査の結果、再び実行犯ら全員の起訴猶予または不起訴処分決定。
12月27日 共産党宮本氏宅盗聴事件で創価学会側が上告を取り下げ、原告勝訴確定。
1989[平成元]年 この年 自民党、国家秘密法修正案の提出断念。
1月20日 共産党緒方氏、検察官の不起訴処分につき国に対し300万円を拡張要求。
1991[平成3]年 6月5日 アメリカでフィル=ジマーマン氏が、メール暗号ソフトPretty Good Privacy (PGP)をインターネット上で無償公開。平和運動家に対する、米政府による盗聴からの防御が目的。
1993[平成5]年10月6日 衆議院予算委員会で、自民党の野中広務氏が神崎武法郵政大臣(公明)に対し、創価学会による共産党宮本顕治議長宅盗聴事件を追及。これは当時神崎氏が創価学会の法律担当だったからである。神崎氏は疑惑を否定。
1994[平成6]年 2月15日 緒方氏宅盗聴事件の一審裁判で、原告側証人として補聴器メーカー元技術者・丸竹洋三氏が出廷。警察庁の依頼で無線式盗聴器を制作・納入した事などを証言。
6月30日 社会党の村山富市氏が自民に擁立される形で、第81代内閣総理大臣となる。自民・社会・さきがけ(自社さ)連立政権成立。
7月10日 ナポリサミットで、世界規模の情報網整備と国際的組織犯罪に関する二つの閣僚会議を開く事を合意。
9月6日 共産党緒方氏宅盗聴事件の民事訴訟で、東京地裁は警察による盗聴があった事を認める判決を出した。国・神奈川県・三人の警察官に206万円余りの賠償の支払いを命じ、さらに県警上層部の関与も指摘した。
9月7日 緒方氏宅盗聴事件の一審判決に対し、被告の神奈川県が控訴。
9月14日 国も控訴。
9月20日 原告の緒方氏らも責任の徹底追及を求め控訴。
《第三部 盗聴法の登場》
1995[平成7]年 3月12日 地下鉄サリン事件起こる。
5月16日 地下鉄サリン事件実行の首謀者とみなされた、オウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)代表を逮捕。
10月30日 東京地裁、オウムに解散命令。オウム側は即時抗告。
12月 この頃、法務省は盗聴法案の内容を固める。
12月14日 政府はオウムに対し、破壊活動防止法を適用する方針を決定。
12月19日 東京高裁は、オウムの即時抗告を棄却。宗教法人としてのオウム解散命令確定。
1996[平成8]年 1月11日 自民党の第一次橋本龍太郎(第82代総理大臣)内閣が成立。
1月18日 オウムに対する破防法適用に関する弁明手続き開始。
1月19日 日本社会党(社会党)、党名を社会民主党(社民党)と変更。
6月16日 与謝野馨代議士(自民)、フジテレビの「報道2001」で、組織的犯罪対策のための刑法・刑事訴訟法の改正を主張。
6月17日 『讀賣新聞』が、刑事訴訟法改正案の中で「通信傍受」の合法化が検討されていると報じる。盗聴法案に関する、初めての大きな記事。
10月8日 長尾立子法相、盗聴法案を含む組織対策法案を法制審議会に諮問。
11月7日 第二次橋本内閣成立。社民・さきがけは閣外協力(大臣を出さない)に転ずる。
12月12日 神奈川県警のS警部補が、「(不倫相手の)女に覚醒剤を三回打たれた」と県警本部に申し出た。
12月16日 渡辺泉郎(わたなべ もとお)神奈川県警本部長、警部補の覚醒剤使用事件の報告を受け、不倫を理由に退職させるよう指令。
12月17日 覚醒剤使用のS警部補、論旨免職(退職金は出る)に。
 神奈川県警外事課は覚醒剤事件をもみ消すため、薬物反応が出なくなる20日までS元警部補をホテルに軟禁した上、尿検査を行った。
1997[平成9]年 1月31日 公安審査委員会は、オウムに対する破防法適用棄却を決定。
6月26日 共産党緒方氏宅盗聴事件民事裁判で、東京高裁は再び原告勝訴の判決。国と神奈川県に404万円余りの賠償を命じる判決を出す。
 ただし、実行犯は賠償の対象から除かれた。
7月10日 共産党緒方氏宅盗聴事件民事裁判で、警察庁・神奈川県警は上告を断念。原告勝訴確定。
7月18日 法制審議会、法相の諮問を受けて盗聴法案を含む組織的犯罪対策法案の骨子を決定。
9月10日 法制審議会、松浦功法相に盗聴法案を含む組織的犯罪対策法案の骨子を答申。野党の民主・共産に加え、閣外協力の社民も反対。さらにさきがけも慎重な姿勢を示した。
10月2日 『朝日新聞』「声」(読者)欄に旭川地方裁判所の寺西和史(かずし)判事補の投稿が掲載された。盗聴法案に対し、裁判官の令状審査は信用出来ない、という内容。
10月8日 『朝日新聞』「声」欄に東京地裁の田尾健二郎判事の寺西氏への反論が掲載。田尾氏は「真面目な裁判官や職員に対する侮辱」と批判。同じ日、寺西氏は厳重注意処分を受ける。
10月17日 与党の自民・社民・さきがけ三党、「与党組織的犯罪対策法協議会」設置を提案。自民は与謝野馨・杉浦正健・谷川秀善(たにがわ しゅうぜん)、社民は保坂展人、照屋寛徳(てるや かんとく)、さきがけは渡海紀三朗(とかい きさぶろう)の各氏が参加。
10月21日 与党三党による「与党組織的犯罪対策法協議会」初会合。推進する自民と、反対する社民・さきがけという構図。'98年1月末までに22回開かれた。
1998[平成10]年 2月 与党組織的犯罪対策法協議会の与謝野馨座長、与党政策調整会に賛否両論併記の座長報告。
2月4日 自民、与党協議で、盗聴法案の修正案を提示。内容は
(1)傍受の対象犯罪の絞り込み、(2)令状請求手続きの厳格化、(3)違法盗聴の罰則強化、(4)傍受を最小限にとどめるための取り締まり。自民の与謝野氏は国会へ提出の上での議論を主張、さきがけも同調したが、社民は拒否。
2月20日 法制審議会、組織犯罪対策法案の原案修正を了承。議会提出前に修正が了承されるのは異例。
2月27日 自民は盗聴法案を、社民の合意がないまま、法務省原案通りの内容で提出することを決定。
3月11日 衆議院法務委員会で、保坂展人代議士(社民)が共産党緒方氏宅盗聴事件について質問。しかし政府委員は「疑惑を招いたことは遺憾」と言うばかりで、まともに答弁しなかった。
3月13日 自民は、社民反対のまま盗聴法案を含む「組織的犯罪対策法案」提出。
4月18日 寺西判事補、東京都内で開かれた盗聴法案を含む組織対策三法案反対集会に一般客として出席。初めはシンポジウムのパネリストとして出席を予定していた。しかし、直前に仙台地裁(転勤していた)の泉山禎治所長は「裁判官の身分を明らかにして集会の趣旨に賛同する行動をとらないように」と警告した。そこで寺西氏は集会で「地裁所長から処分すると言われた」などと、パネリストとしての出席を取り止めた理由を説明した。
5月1日 仙台地裁は、4月18日の寺西判事補の発言を「会場での 発言は積極的な政治運動にあたる」として裁判官分限法に基づく懲戒申し立てを仙台高裁に行った。
6月1日 社民・さきがけ、与党を離脱。
7月12日 自民党、参議院選で45議席(無所属扱いの斎藤十朗議長含む)の大敗。橋本首相は辞任を表明。
7月24日 仙台高裁(小林啓二裁判長)は、「寺西判事補の行動は裁判所法52条1項で禁じた積極的政治活動にあたる」として、裁判官分限法第2条に基づき「戒告」とする決定を出した。寺西氏は即時抗告。
7月30日 自民党の小渕恵三氏が、第84代内閣総理大臣となる。
8月 自民党の竹下登元首相、公明党の支持母体である創価学会秋谷栄之助会長と会談、小渕首相に対する協力を要請。
9月22日 ニューヨークで小渕首相とアメリカ・ビル=クリントン大統領の日米首脳会談。日本経済再生や「新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン法案)」を成立させる問題などについて話し合われた。
 なお、一説によると、クリントン大統領はガイドライン法案成立や北朝鮮に対する備えのために自自連立を迫ったという(『月刊タイムス』'99年4月号「クリントンが仕掛けた自自連立」窪沼悠)。
11月7日 衆議院の新党平和、参議院の公明が統合し、公明党再結成。代表・神崎武法氏。
11月10日 公明・自民が、地域振興券実現で最終合意。
11月15日 沖縄県知事選。自民・新進沖縄・スポーツ平和推薦の稲嶺恵一氏(無新)が、民主・共産・社民・自連・社大・新社推薦の大田昌秀氏(無現)、世界経済共同体党代表の又吉光雄氏(諸新)を破り初当選。これまで大田与党だった公明は表向き大田氏を支持しつつ、実際には稲嶺氏を支援した。
11月17日 「盗聴法・組織犯罪対策法に反対する市民と国会議員の集い」を中村敦夫(無、参議院)・枝野幸男(民、衆議院)・福島瑞穂(社、参議院)・保坂展人(社、衆議院)の呼びかけで開催。出席した公明党代表代行の浜四津敏子参議院議員は、
「盗聴という手段には歯止めが利かない。」と発言。
11月19日 小渕首相、小沢一郎自由党党首と会談。自自連立に向けて協議を始める事で合意。
11月下旬 神奈川県警のU巡査長、暴力団関係者宅から押収した証拠品のネガフィルムを持ち出して写っていた女子大生を脅迫、フィルム代として50万円を要求、さらに交際をせまった。
12月2日 最高裁大法廷(裁判長・山口繁長官)は、寺西和史判事補を戒告処分とした仙台高裁決定を10対5の多数決で支持。寺西氏の即時抗告を棄却する決定を出した。寺西氏の戒告処分が確定。
 戒告支持の裁判官は山口繁、小野幹雄、井嶋一友、藤井正雄、大出峻郎、根岸重治、福田博、北川弘治、千種秀夫、金谷利廣の各氏。反対の裁判官は遠藤光男、河合伸一、園部逸夫、尾崎行信、元原利文の各氏だった。
12月25日 女子大生を脅迫した神奈川県警U巡査長、懲戒免職に。しかし証拠品の持ち出しや恐喝などについては不問に付された。
1999[平成11]年 1月14日 自由党、与党参加。
1月16日 公明党神崎代表、同党所属国会議員を衆院選出ブロック別に召集し、「中選挙区制導入のため自民党との連携を強める」と宣言。
2月2日 中村正三郎法相と杉浦正健衆院法務委員長、服部三男雄(みなお)法務部会長、河村建夫少年法に関する小委員会委員長(以上自民)は、この国会で盗聴法案を含む組織犯罪対策3法案成立を最優先させる事で一致。
3月2日 参議院予算委員会で、福島瑞穂議員(社民)が共産党緒方氏宅盗聴事件について、裁判で警察側が敗訴した事も挙げて「警察は違法盗聴をしていたことを認めますか。」と質問。しかし関口祐弘(ゆうこう)警察庁長官を始め、与党側はみな警察の組織的犯行を否定する答弁を続けた。
3月6日 神奈川県警厚木警察署警邏(けいら、パトロール)隊のK巡査部長が、新人四人を並ばせて体毛を焼いた。
4月13日 自民党野中官房長官らが公明党草川昭三(くさかわ しょうぞう)国対委員長と会談。与党側は公明党に選挙協力などを持ちかけた。
4月下旬 自民党与謝野氏が、原田明夫法務省事務次官、但木敬一官房長官、公明党冬柴鐵三幹事長と密会。
4月27日 東京・赤坂のフランス料理店で自民党野中官房長官、古賀誠国対委員長、公明党神崎代表、冬柴鐵三幹事長、草川国対委員長、自由党二階俊博国対委員長がそろって会談。野中氏は公明党側に入閣を要請。
《第四部 そして成立へ…》
1999[平成11]年 4月28日 盗聴法案審議中の衆議院法務委員会で、参考人として
中央大教授渥美東洋氏、弁護士田中伸氏、慶應大教授平良木登規男氏(以上賛成派)、國學院大教授新倉修氏、大阪市大教授高田昭正氏、弁護士岩村智文氏(以上反対派)、以上六人を招致。その質疑の直後、与党側の緊急動議により審議日程を強行採決。
5月7日 自民・自由・公明(自自公)、盗聴法案の修正で合意。
5月15日 盗聴法反対派である中村氏の秘書の携帯電話に「ハジキ(拳銃)でやるぜ」との脅迫電話が掛かる。この後も携帯電話や中村氏の芸能活動を扱う「中村企画」に同様の電話が数回掛かった。
5月18日 衆議院法務委員会で盗聴法案審議開始。同日、衆議院本会議で「児童買春、児童ポルノに関わる行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(児童買春・ポルノ禁止法)が可決、成立。
5月19日 衆議院法務委員会の盗聴法案審議で保坂展人氏(社民)が、警察の盗聴について補聴器メーカー元技術者・丸竹洋三氏の参考人招致、または証人喚問を要求。なおこの要求がかなえられる事は無かった。
5月20日 公明党、盗聴法案の修正案を決定。
5月21日 法務委員会で自民党の菅義偉氏の「通信傍受法案が有れば坂本弁護士一家殺害事件やサリン事件が防げたのではないか」という質問に対し、法務省の松尾邦弘刑事局長はそれを認める答弁をした。
5月24日 民共社など野党議員有志が、丸竹洋三氏を衆議院議員会館に招待、盗聴について証言を求める。丸竹氏は自分が作って警察庁に納入した「秘聴機」が盗聴に使われていたと答えた。
 この日、参議院本会議で「新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」関連法案可決、成立。
5月25日 盗聴法案審議中の衆議院法務委員会で参考人質疑。
 中央大教授の椎橋隆幸氏、弁護士の山田齊氏(以上賛成派)、弁護士の海渡雄一氏、日本国民救援会会長の山田善二郎氏、北海道大教授の白取祐司氏(以上反対派)が出席。
5月26日 公明の提案をのむ形で、自民・自由・公明(自自公)による盗聴法修正案提出。杉浦正健法務委員長は、定例日でない27日の審議を強引に決定。
5月27〜28日 野党の民主・共産・社民(民共社)三党は全ての委員会を欠席。自自公は完全に無視して委員会を開く。また、与党側は野党欠席にも関わらず、その質問時間を取ってその間何もせずに時間を潰した。
5月28日 盗聴法案、野党三党欠席のまま衆議院法務委員会で可決。
5月30日 但木敬一法務省官房長官の自宅に、ボーガンの矢が打ち込まれ、車のタイヤも千枚通しでパンクさせられていた。但木氏は「組対法が絡んだ嫌がらせだ」と主張。
5月31日 木島日出夫代議士(共産)の議員会館と地元両方の事務所に脅迫電話。
 また、宮崎学氏のホームページ内「国怪フォックス通信」(筆者は匿名の組員)で参議院議員の円より子(まどか よりこ)氏(民主)について「なにしろこの人は元新進党。自由党の人たちとも仲が良いらしいのでヒヨらないか少し心配です。」と指摘。
6月 坂上富男代議士(民主)の事務所に、「反対ばかりしていると落選するぞ」との手紙が届く。
6月1日 衆議院本会議の組織犯罪対策法審議で、野党三党は杉浦法務委員長解任動議を提出。その討論で、保坂展人代議士(社民)、公明党の神崎代表が、かつて共産党幹部宮本顕治氏宅を盗聴した疑惑について野中官房長官が追求した事に触れ、自自公を追求。解任動議は否決。
 本会議で盗聴法案を含む組織対策三法案採決。民主・社民は棄権の上欠席。共産は出席の上反対票を投じたが、自自公三党及び改革クラブ(公明と統一会派=共に行動)等の賛成により可決。参議院に送付。自民のうち田中眞紀子・栗本慎一郎両氏は棄権。栗本氏は後に除名となった。
 衆議院議員会館内で盗聴法案反対の議員により集会。また、佐高信・辛淑玉(しん すご)・田中康夫・宮崎学・大谷昭宏氏等が盗聴法案反対の記者会見を開く。その上で公明党の機関紙・誌に対する執筆拒否を呼びかけた。
 新聞労連と民放労連は「取材・報道の自由などを脅かす危険な法案の廃案を求める」などの抗議声明。日本弁護士連合会も、人権侵害の棄権をぬぐいきれないとして、問題点に踏み込んだ審議を求める声明を出した。
 法務省刑事局はマスコミに対し、「盗聴法」との呼び方を止めるように要請。
6月2日 東京で暴力団の国粋会が、山口組のアジトに発砲する事件が起こる。
 また、参議院本会議で、司法制度改革審議会設置法成立。司法制度改革審議会は、内閣によって設けられたもの。法務省は自民党の了解の元、委員候補に13名を推挙したが、盗聴法推進派の井上正仁氏が含まれていることから投票では共産が井上氏に反対、また同じく推挙された曽野綾子氏も兼職の多さなどから民主、共産、社民いずれも反対した。
6月3日 法務省の「盗聴法」との呼び方を止めるようにという要請に対し、野党の民共社は「憲法で保証された表現の自由への干渉」と抗議。
 宮崎学氏は昨日起きた暴力団の抗争事件に対し、「すぐ抗争を中止せんとまんまと政治警察にやられる」と山口組・国粋会に警告。そのためかどうかは分からないが、結局この日の夜に両者は手打ちした。
6月4日 この日より数日間、松尾刑事局長を始めとする法務省幹部及び与謝野馨通産相等が主要マスコミを訪問。法案の趣旨や提案までの経過を説明して回った。
 また、自民党の森喜朗(もり よしろう)幹事長は、奥田幹雄広報本部長に、盗聴法案を含む組織犯罪対策三法案に理解を求めるためのパンフレット作成を指示。さらに、「盗聴法」表記の報道を「公平に扱っていない」と批判。
 この日、警視庁と神奈川、埼玉両県警は、山口組と国粋会に対し、暴力団対策法に基づく事務所使用制限規定適用の仮命令を出し、執行した。
6月5日 テレビ朝日の番組「ザ・スクープ」が、「監視社会ニッポン」のタイトルで盗聴法案とNシステム(自動車監視カメラ)を特集。数週間後、番組制作者の中心人物、山路徹氏が警察に尾行され、ビデオ撮影するも番組では放映されず。
6月6日 参議院本会議で盗聴法案を含む組織対策三法案の趣旨説明と質疑。参議院での審議開始。
6月8日 参議院法務委員会で、盗聴法案の審議開始。平野貞夫氏(自由)が、5月22日の盗聴法反対集会に過激派の中核派が参加していた事を挙げ、さらに同集会に参加した国会議員として福島瑞穂氏や保坂氏(共に社民)の名前を挙げた。
6月9日 フジテレビ番組審議会の、同局「スーパーニュース」についての審議で、「『通信傍受法案』とするか『盗聴法案』とするかで報道の体質が問われる」との意見が出されたという。なお、フジの報道は一貫して「通信傍受法案」表記であった。
6月上旬 「国怪フォックス」の円氏への記述を、平野氏が円氏本人にプリントアウトして見せる。
6月11日 「国怪フォックス」にて、執筆者円氏に釈明。宮崎氏はこれがきっかけで、後に円氏と会った。
6月17日 民共社、政府のマスコミ行脚に抗議。また、陣内孝雄(じんのうち たかお)法相はこの日収録されたテレビ朝日の番組「あまから問答」で、「横浜の坂本堤弁護士一家殺害事件は、この法律(盗聴法)があれば防げたと思う。」と発言。
 この日、衆議院本会議で自自公改等の多数により8月13日までの57日間に及ぶ会期延長を可決。
6月18日 この日、「あまから問答」放映。 陣内法相、昨日の発言に対し遺族や元同僚の弁護士らの抗議を受け「通信傍受法案だけ、というつもりで言ったのではない。」と釈明。
6月20日 吉田万三前区長失職による東京都足立区長選。吉田氏の失職は共産党系なのが議会に嫌われたため。自民・自由・公明・民主推薦の鈴木恒年氏(無新)が、共産・新社会推薦の吉田氏(無前)を破って初当選。自自公協力のテストケースと言われた。
6月23日 衆議院第二議員会館第一会議室で及川健二・にしかた公一氏の呼びかけで「「国民総管理法」(盗聴法・総背番号制)を考える市民トーク」開催。パネラーとして宮台真司氏、藤井誠二氏、宮崎哲弥氏、東浩紀氏、速水由紀子氏、米沢嘉博氏、田中康夫氏が参加。国会議員では福島瑞穂氏(社民)、河村たかし氏、小川敏夫氏、家西悟氏(以上民主)が参加。
6月24日 東京・日比谷公園で盗聴法案反対集会。佐高・田中康夫・宮崎氏等の呼びかけで開催。民主党菅直人代表、共産党不破哲三委員長、社民党土井たか子党首、さきがけ武村正義代表、二院クラブ佐藤道夫代表、国民会議中村敦夫代表も出席。労働組合は全労連・全労協系(いずれも共産系)のみ参加、連合(民主系他)は笹森清事務局長のメッセージを届けるにとどめた。
6月30日 社民党保坂氏、「あなたの電話は盗聴されている」との知らせを受ける。
6月下旬 神奈川県警のK巡査部長、実弾入りの拳銃を新入隊員に突きつける。遊びのつもりだったという。
7月6日 参議院法務委員会で盗聴法案の審議。電子メールなど、ネット傍受に質疑が集中。
7月7日 社民党保坂氏、被疑者不詳のまま東京地検特捜部に電気通信事業法違反(通信の秘密の侵害)容疑で告訴。
7月8日 野田毅自治相(自由)、記者会見で保坂氏盗聴疑惑について、警察の関与は「あるはずもないし、現にない」と強く否定。その上で組織的犯罪対策三法案成立を妨害しようとした者の仕業ではないかと指摘。さらに「保坂議員にたいする盗聴は何の意味もない。」と言った。
7月9日 社民党保坂氏、衆議院法務委員会で盗聴疑惑について野田自治相の発言を引用して「既に警察内の調査は終了して、盗聴法反対グループの所業であると犯人を絞り込んだと理解してよろしいのですか」と警察庁林則清刑事部長に質した。しかし林氏は、「(警察の犯行は)ありえないことだから、警察内部の調査はやらない」と答弁しただけで、実行犯が誰かについては触れなかった。
7月12日 TBS系列「NEWS23」で、盗聴法リポートを放映。
7月13日 盗聴法案審議中の参議院法務委員会で、公明党の大森礼子氏が前日の「NEWS23」に問題有りと指摘。法務省はこれを受けて、松尾刑事局長名で、TBSの平本和生報道局長に対し、スタジオでのやりとりに問題があるとして抗議。リポートそのものに問題は無かったのだが、TBSはこれを謝罪。
 また、自民党は、保坂議員盗聴疑惑についてテレビ朝日が「盗聴されたのは、平河クラブ(自民党記者クラブ)の電話の可能性が高い」と発表した事に対し、「記者クラブに関する実情を知らない国民に自民党がこの件に関与していたかの ような誤解を与えており、はなはだ遺憾だ」と抗議。
 同日、自民党の森喜朗幹事長と、改革クラブ小沢辰男代表らが東京都内のホテルで会談。森氏が与党入りを要請すると、小沢氏は公明党が与党入りすれば行動を共にすると答えた。
7月17日18時 東京地方検察庁、保坂議員盗聴の現場とされる平河クラブの現場検証。検察側は保坂議員に電話した記者のそばで何者かが聞き耳を立てていたのではないかという説を唱える。
7月21日 新日本宗教団体連合会(新宗連。深田充啓理事長、円応教教主)政治委員会の新井三知夫委員長が自民党に対し、盗聴法案を含む組織犯罪対策三法案と、改正住民基本台帳法案(国民総背番号制)の審議を白紙に戻し、慎重な対応を取るよう求めた「意見書」を、東京都内のホテルで自民の森幹事長らに手渡した。意見書では盗聴法案などについて「基本的人権に深く関わり、国民の生活に重大な影響を及ぼす」と指摘している。
 新宗連は新宗教教団の団体で、創価学会とは対立関係。これまではおおむね自民を支持、反公明でも同調していた。
7月22日 参議院法務委員会で初の参考人質疑。盗聴法賛成は早稲田大教授の田口守一氏、弁護士の田中清隆氏、慶応大教授の安冨潔氏。(いずれも自民推薦)反対は弁護士の神洋明氏、一橋大教授の村井敏邦氏、東北大教授の川崎英明氏。(いずれも野党共同推薦)
7月23日 参議院法務委員会の盗聴法審議で、法務省松尾刑事局長は「衛星携帯電話による通信の傍受は、現在のところ技術的に難しく、傍受は予定していない」と答弁した。
7月24日 公明党、党大会で与党参加を正式決定。
7月25日 改革クラブも両院議員総会で与党参加を正式決定。
7月27日 参議院法務委員会で参考人質疑。携帯電話・インターネットの関係者として、桑折恭一郎東京デジタルホン専務取締役技術本部長、森下俊三NTT東日本常務取締役技術部長、高橋徹東京インターネット上級顧問、本名信雄ニフティ取締役サービス企画統括部長代理の四氏が呼ばれた。桑折氏は携帯電話の傍受が技術的に困難と指摘。
7月29日 参議院法務委員会で、松尾刑事局長は携帯電話を傍受するための開発に取りかかると答弁。
 また参議院法務委員会理事懇談会で、盗聴法案の公聴会(識者や公募された一般人を呼んで意見を聞く。)をいつ開くかについて、与党は 3日(火)、野党は5日(木)開催を主張。結局間を取って4日(水)に落ち着く。なお、委員会の定例日は火と木。
 衆議院本会議で、憲法調査会を設置するための改正国会法が可決、成立。これは日本國憲法の調査、ひいては改正を目指すもの。ただし発議権はない。来年より衆参両院に設置予定。
8月3日 東京・日比谷公園で盗聴法案反対の緊急集会。評論家の佐高氏、連合会長の鷲尾悦也氏等の呼びかけで開催。こちらは共産系組合を入れなかった。この日、法務委員会で松尾刑事局長が「報道機関は原則として傍受の対象としない」と答弁。ただし条文には盛り込まず、運用で対処するとのこと。
8月4日 参議院で盗聴法案の公聴会開催。公述人として出席したのは、賛成が中央大教授の宮澤浩一氏、評論家の鈴木理恵子氏、弁護士の村橋泰志氏。反対が富山大教授の小倉利丸氏、弁護士の小口克巳氏、評論家の佐高信氏。
8月5日13時20分 参議院法務委員会理事懇談会。野党筆頭理事の円より子氏(民主)は直嶋正行党国対委員長代理に盗聴法の成立と引換に民主の賛成する成年後見法と商法改正案の先議を指示された。円氏は反発して理事の辞任を表明し、行方をくらませた。しかし同じく民主党の千葉景子氏が代理で出席したため、予定より3時間50分遅れで理事懇談会は行われた。結局、直嶋氏は指示を撤回し、円氏も辞職を思いとどまった。
8月9日午前 社民党保坂氏らの呼びかけで、宮崎学・川田悦子・佐高信・小倉利丸・本多勝一氏らが盗聴法に反対する記者会見を行った。
16時25分 参議院本会議で国旗・国歌(日の丸・君が代)法案可決、成立。
19時54分 参議院法務委員会開始。
20時14分 『毎日新聞』のオンラインニュース速報で、組織犯罪対策3法案が参議院法務委員会で可決、反対の野党は退席と誤報。この時点ではまだ審議中で、予定稿を誤って流したもの。
20時50分 自民党鈴木正孝氏、法務委員会質疑打ち切りの動議を提出。野党議員が委員長席に殺到、何人が賛成の挙手をしたかはもちろん、何の動議かさえよく聞き取れなかった。しかし荒木清寛委員長は「自自公で過半数を占めているから」との理由でこれを認め、このため共産・社民・オブザーバーの無所属・二院クラブ(後者の二人は議決権なし)の質問が出来なかった。その上で盗聴法案を始めとする組織対策三法案を可決した、とされる。
 野党側は採決の無効を主張。
8月10日10時 民主・鹿野道彦国対委員長が、各党の国対責任者と会談。
昼過ぎ 佐高信・辛淑玉・大谷昭宏・宮台真司・宮崎学の各氏は共同で「昨日の強行採決の暴挙・愚挙に関して」と題して野党、特に民主党と与党との馴れ合いを批判する声明を発表。原文は宮崎氏の執筆。
23時50分 与党、衆議院本会議延会手続きを取り、翌日一〇時開会に決定。
23時52分 民主党の菅直人代表他6名により、小渕内閣不信任案提出。不信任案審議中は他の全ての審議が停止する。
8月11日13時3分 衆議院本会議で内閣不信任案審議開始。
 自自公などの反対により内閣不信任案否決。
 この日、野党側は参議院法務委員長荒木氏の解任決議案、小渕首相の問責決議案(衆議院のみ出せる「不信任案」と異なり、可決されても辞めたり衆議院を解散したり必要は無い)、参議院運営委員長岡野裕氏の解任決議案を提出。
17時6分 参議院本会議で、荒木法務委員長解任決議案審議開始。斎藤議長(自民党出身)が時間無制限の討議を認めたため、野党側は演説を引き延ばして時間稼ぎに出る。
民主党の円より子氏、荒木法務委員長解任決議案趣旨演説開始。
18時9分 自民党が公明党を抱き込んだという内容の円氏の発言に対し、自民党の保坂三蔵氏は「おまえだって離婚しただろう」と不規則発言(野次)。円氏の抗議で審議はストップ。
18時51分 斎藤議長の仲裁で審議再開。
20時4分 自民党の鈴木氏、解任の反対討論開始。
20時10分 民主党の千葉景子氏、解任の賛成演説開始。
 しばらく経って、斎藤議長が「そろそろまとめて下さい」と勧告。千葉氏が無視したところ、自民党の南野知惠子(のおの ちえこ)氏が「難聴なのか」と野次る。しかし千葉氏は気づかなかった。
21時17分 共産党の吉川春子氏、解任の賛成演説を開始。
22時1分 社民党の福島瑞穂氏、解任の賛成演説を開始。
23時15分 斎藤議長、再三演説を止めに入る。ついには社民党議事運営理事の三重野栄子(しげこ)氏が、与党側の理事に迫られて福島氏を止めようとする。福島氏は衛視の導入も覚悟していたが、やむなく終了。
 これで野党側の討議終了。与党、延会手続きを提出。これをしないと午前0時で会議は終了、続きは翌朝9時からになるからである。本会議休憩。
8月12日 0時47分 本会議再開。荒木法務委員長解任投票開始。
 野党は牛歩戦術を採る。
1時46分 斎藤議長、整理権を使って投票時間をあと5分とする。
1時58分 斎藤議長、投票箱閉鎖を宣告。35人の議員が投票出来ず。閉め出された議員たちは「あなたに制限する権利があるんですか」「社民党はまだ(投票)していない」などと抗議。
2時2分 斎藤議長、「もう一度言います。これより開票いたします。投票を参事に計算させます。議場の開鎖を命じます。」
2時5分 否決。
2時6分 首相問責決議案の審議開始。与党、討論の時間を一人10分に制限する動議を提出。まずはそれに対する投票開始。野党は牛歩に出るも、再び議長により投票打ち切り。
3時13分 討論時間制限動議可決。
3時14分 首相問責決議案の趣旨説明開始。続いて討論。
4時20分 首相問責決議投票開始。以下同文。
5時22分 否決。
5時23分 民主党などが盗聴法案採決前に議事運営委員長岡野裕氏の解任決議案を採決する組み替え動議を提出。直ちに投票開始。
 以下同文。
6時15分 否決。
6時16分 民主党などが斎藤議長不信任案を提出。本会議休憩に入る。
7時30分 本会議再開。斎藤議長解任決議案趣旨説明開始。この間菅野久光副議長(民主党出身)が議長を代行。
8時40分 議長解任投票開始。菅野議長代行は整理権を使わなかったが、民主党は同党の議事運営理事の指示もあり、すぐに牛歩を打ち切る。共産、社民は牛歩続行。
9時27分 投票終了。否決。
9時28分 与党側、組織的犯罪対策三法案を直ちに議題とする動議提出。野党側は時間稼ぎのため、上に挙げた他にも法相陣内氏、蔵相宮澤喜一氏、内閣官房長官野中氏、通産相与謝野氏、厚相宮下創平氏、文相有馬朗人氏、自治相野田氏それぞれに対する問責決議案を提出していた。
 この動議は問責決議の審議を後回しにする事で、時間稼ぎの意味を無くそうとしたのである。直ちに投票開始。斎藤議長はまたも途中で投票を打ち切る。
10時30分 可決。
10時31分 盗聴法案を始めとする組織的犯罪対策三法案の荒木法務委員長による委員会報告。野党側の野次多数。
10時34分 野党側、盗聴法案を始めとする組織的犯罪対策三法案を法務委員会に再付託する動議提出。投票開始。
11時32分 否決。
11時33分 参議院本会議で、盗聴法案の討論開始。
 小川敏夫氏(民主)、服部氏(自民)、橋本敦氏(共産)、福島氏(社民)、水野誠一氏(参議院の会)の順に討論。服部氏以外は反対。ただし、水野氏は採決で賛成票を投じています。福島氏に対し、与党側の野次多数。
12時34分 盗聴法案投票開始。
13時41分 斎藤議長、牛歩の野党議員に対し「まだ投票していない諸君はすみやかにご投票を」と催促。
13時58分 投票終了。参議院本会議で、盗聴法を始めとする組織対策三法が、賛成142,反対99で可決。この3分後休憩。
15時37分 参議院本会議再開。野田自治相問責決議案に対する投票開始。野党側は、もはや牛歩をしようとはしなかった。その他問責決議案は陣内法相への一本にとどまり、いずれも否決された。
20時18分 改正住民基本台帳法(国民総背番号制)可決、成立。

*注:国会に関する記述では、「盗聴法案」のみ年表に記した所でも、組織対策三法案全体を含む事があります。また、肩書きは全て当時のものです。

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