盗聴法シリーズ(4) 盗聴法賛成論に反論(下) 国会編(Ver.1.4)


最終更新 2018/08/04

>この名前でははじめまして(笑)お久しぶりです。相変わらずすごい、怒涛の
>ようです。一応、元法学部としては何か書くべきなんでしょうが・・・・
>むずかしいな(苦笑) (189番 STUDIO HAZUKI氏)

 失礼しています。
う〜ん、ともかく、「組織犯罪者ではない一般人が巻き込まれる」「しかも組織犯罪者にとって盗聴を防ぐのは簡単なので意味が無い」「盗聴は歯止めが利かない」この三つは何度でも強調して置きたいです。“特に”、インターネットなど、コンピュータ通信利用者にとって危険なのです。これについては最終回で、もう一度述べます。
 現に、保坂展人代議士(社民)の盗聴事件で、携帯電話の盗聴が不可能な事が発覚しました。それは今から開発するという。後に保坂氏の質問で、警察が携帯電話の通信記録を盗聴している事が判明したので(衆議院個人情報の保護に関する特別委員会2003年4月15日、法務省刑事局長の樋渡利秋氏の答弁)、成立からこの時までの間に開発が終わったのでしょう。しかしその間に、組織犯罪者側の盗聴逃れはさらに進歩しているでしょう。効果はどうでも良い。「初めに法案成立ありき」というのが良く分かります。
 ともかく調べれば調べるほど出鱈目な法律でうんざりします。こんな事をいくら書いても仕方が無いので、今度は国怪(by宮崎学氏)でのやりとりの章です。


主張18, 野党は反対を叫ぶばかりで、対案を示せなかった。(『自由民主』'99年6月15日号、『公明新聞』'99年8月13日号、他)
反論18, 原則論として、「盗聴はいかなる修正をもってしても歯止めが利かない」と何度でも言います。対案を出せば済むレベルでは無いのです。また、法案自体の内容が問題ならば、対案を出すよりも「何もしない方がまだまし」なのです。

 とは言え。少なくとも民主党には対案を出す動きがありました。これは同党が社民・旧社民連・旧民社・さきがけ・旧民政(旧日本新・新生・自民出身者中心)出身者の寄り合い所帯で、前二つ以外の政党出身者の中には、盗聴法賛成者も少なくなかったからです。例えば、盗聴法衆議院通過後のテレビ朝日「朝まで生テレビ」('99年6月25日放映)で、民主党の枝野幸男氏は、「立会人」と「(被傍受者)への通知」をしっかりして、チェック機能を整えれば賛成する、と言っていました。(ただし番組を直接見た訳では無いので間違っているかも知れません)また、同じく当時民主党の松沢成文氏は、見ての通り成立後のものですが、
>通信傍受法や住民基本台帳法は、個人的には必要な法整備だと思いますが、
>人権やプライバシー保護に関する重要なことであり、もっともっと法案の問題点を
>チェックして、修正にも柔軟に応じるべき法案であったと思います。
>(http://web.archive.org/web/20031226064533/http://www.matsuzawa.com/old/tackle/koku51a.htmに保存、太字は引用者)
と自分のホームページに書いていました。さらに、盗聴法採決を退席した江本孟紀氏(当時民主)からは、私が党議拘束がなければどうしていましたかと質問したところ、賛成していましたとの回答を頂いています。
 実際、公明党の代議士会では、赤羽一嘉氏が「民主党の修正案を待って採決した方がいい」と発言したそうです。(『讀賣新聞』'99年5月29日号「国際社会の要請にこたえる」「公明、民主の亀裂、決定的に」)しかし、公明党は結局待たずに成立させた訳です。


主張19, 議会運営に何の問題もなかった。杉浦正健衆議院法務委員長、荒木清寛参議院法務委員長の解任動議を始め、野党側の提出した同様の動議が悉く否決された事でも明らかだ。(『自由民主』'99年6月15日号、8月24日号、『公明新聞』'99年8月10日号、他)
反論19, ここまではっきりとは書かないものの、『産經』や『讀賣』も、野党の悪あがきを批判して与党の議会運営には触れないという具合です。しかし、自自公が数で勝るのですから、解任動議が多数決で否決されたのはむしろ当然。確かにやたらと(解任などを求める)動議を連発して時間稼ぎをするというのは野党、特に旧社会党の常套手段でした。しかし、それを理由に議会運営が問題無かったというのは大間違いです。

 まずは衆議院の杉浦氏から。4月28日、法務委員会において「参考人質疑」を終えた直後に、与党側・自民党の橘康太郎氏の緊急動議で盗聴法案の審議日程を強行採決しました。委員会の審議日程は、ふつう理事懇談会というものを開いて決めます。しかも、日程はなるべく全会一致で決めるという慣習がありました。そもそも、参考人を呼んで置いて、その場で日程を決めてしまうという事は有り得ません。つまりまともに参考人の話を聞くつもりが無かったという事でしょう。
 実は野党側は、'99年の第145国会(1999年1月19日〜8月13日)で、この時まで盗聴法の審議に応じようとしませんでした。そこで与党側は、「とにかく一回、参考人を呼んでの質疑だけは行わせてくれ」と野党に要求しました。形だけで良いから審議させてくれ、という訳です。その結果がこの通り、みごと採決までの日取りを決めてしまいました。一度審議を開いてしまえばこっちのもの、と与党側は目論んでいたのでしょう。後知恵を言えば、「野党は絶対に盗聴法の審議に応じるべきでは無かった」となります。しかしもちろん、与党側が圧倒的に悪いのです。しかも、「質疑時間は、各党とも委員一人当たり四時間は保証する」という与野党間の取り決めも、与党側は破ったのです。つまり、民主5、共産1、社民1の計7人、28時間の約束を、それぞれ4時間、1時間20分、1時間、計6時間20分しか取れなかったのです。
 5月26日に公明党案を元とした盗聴法修正案が自自公三党により提出されますと、杉浦委員長は翌日の委員会開催を強引に決定。野党側は抗議の意味で欠席しましたが、与党側は勝手に委員会を開いて可決しました。しかも野党の質問時間をわざわざ取り、その間何もせずに時間を潰していたのですから筋金入りです。欠席した野党が悪いと言いたいのでしょうが、こういうふざけた行動を取った与党に抗議するのは当然の事です。

 もっと酷かったのが、参議院の荒木氏です。法務委員会で盗聴法が「可決」されたとされるのが8月9日。議事録は「国会会議録検索システム」(http://kokkai.ndl.go.jp/)で見ることが出来ます。また、中村敦夫氏のホームページ内「盗聴法 -自由の消える日-」(http://web.archive.org/web/20050305190646/http://www.monjiro.org/tokusyu/tochou/top.html)にも表記を多少変えてありますが、議事録の写しが載っています。

 委員会では自民党の鈴木正孝氏の動議により、自自公などの賛成多数で可決された、と与党側(andマスコミ)は言いますが、議事録を見ますと……………。
 会議録の登場人物は、円より子氏(法務委員理事・民主党)、荒木清寛氏(法務委員長・公明党)、鈴木正孝氏(参議院法務委員会理事・自民党)が中心となります。

○円より子君 では、これは多分理事懇か理事会での協議になると思いますので、委員長、ぜひ総理への質問ができるように総括質疑を開いていただきたいんですが、明確なお答えをいただけませんでしょうか。
○委員長荒木清寛君) 理事会で協議をいたします。ただし、そのようなことであれば、どうして金曜日の八月六日の理事懇の際にそういう御主張がなかったんでありましょうか。大変私は不思議に思うわけでございます。少なくとも……(発言する者多し)
○円より子君 私どもはまず──皆さんちょっとお静かにしていただけませんでしょうか。(「理事会、理事会」と呼ぶ者あり)私どもは、六月一日に衆議院からこの法案が送付されたときに、まず質疑の日程について全体にこういう形で質疑をしていこうという提案をいたしました。そのときに、しっかりと総理を招いての総括質疑をお願いしたいと申しております。先週の金曜日は、そういったことの話し合いもできないうちに、荒木委員長が御自分の裁定できょうの組織三法の委員会を開くと、それこそ強行なさったわけで、今ごろ、金曜日になぜ言わなかったのか、そんなことをおっしゃるとは思いませんでした。今ぜひ、もしあれでしたら今から理事懇を開いていただきたいと思います。(「そうだ」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)
○委員長荒木清寛君) 円理事に申し上げます。質疑を続けてください。──質疑を続けてください。
○円より子君 理事会を開いていただくということの確約がありましたら、私、これから質問したいと思います。(発言する者多し)
○委員長荒木清寛君) 円理事に申し上げます。質疑をお続けください。(「答えは」と呼ぶ者あり)先ほど申し上げましたように、理事会で協議をしますということは申し上げましたが、それは今やるべきことではございませんから、質疑を続けてください。──質疑をお続けください。
○円より子君 今、理事会を開くとおっしゃいましたよね。協議をするとおっしゃいましたね。いつそれはなさいますか。
○鈴木正孝君 委員長。
○委員長荒木清寛君) 後刻、後刻……(議場騒然、聴取不能)
 鈴木君提出の動議に賛成の方の挙手を願います。(議場騒然、聴取不能)
   〔委員長退席〕
   午後八時五十五分

 ちょっと上に補足しますと、この時委員会は委員以外の野党議員が多数見守る中で行われていました。そして鈴木氏が「委員長。」と声を掛けたところで野党議員が委員長席に殺到し、会議録や委員長のマイクを奪おうと揉み合いになりました。マイクを落とす映像が残っていますが、これは野党議員がやったようです。
http://web.archive.org/web/20050219060630/http://www.fukuyama.gr.jp/old/Repport_Photo_1999b.htm
http://web.archive.org/web/20041025215601/http://www.monjiro.org/tokusyu/tochou/Utimaku.html
http://web.archive.org/web/20070329095421/http://www.incl.ne.jp/hase/schedule/s199908/s990809.html
上から福山哲郎氏(民主)・中村敦夫氏(国民会議)・馳浩氏(自民)のサイト)
 そこで上の議事録をご覧下さい。鈴木氏が声を掛けたのは分かります。しかし、何の動議かさっぱり聞き取れていません。しかも、委員長は賛成多数を確認しなければならないのですが、それもしていません。(自自公で多数なのが分かり切っているから可決とみなしたという。無茶苦茶です。)
 そもそも動議が認められるためには、動議を出したい人に対し、委員長が指名しなければなりません。「動議」と言っただけでは不規則発言、つまり野次に過ぎません。ここではまず「審議を打ち切る動議」を出し、それに対する採決を行い、さらに盗聴法案を含む組織対策3法案に対する採決を行う必要がありました。野党が「『採決』は存在しなかった」と主張したのも、もっともな事です。しかも、まだ共産・社民・オブザーバーの無所属・同じく二院クラブの質問がまだ残っていたのに。特に二院クラブの佐藤道夫氏は、元々法務委員会の所属では無いのですが、発言させるとして呼んだのです。それを無視するとは、荒木氏達は一体何のために佐藤氏を呼んだのですか。鈴木氏や荒木氏達はかねてからの打ち合わせ通りに事を進めただけなのでしょうが、おかげで意味不明の結末となったのです。何しろ委員長は閉会宣言もしないまま逃げ出してしまい、委員会が終わったのかどうか分からなかったため、

>速記官が20分ほど委員会室の速記官席に座ったままであった。(中村敦夫氏
>ホームページ)

というドタバタぶりでしたから。
 ただし、会議録に記録されていなくても、採決が有効になった先例はあります。1987[昭和62]年4月15日、衆議院予算委員会で昭和62年度予算案が強行採決されたのですが、この時の会議録はご覧の通りです。

○砂田委員長 これより会議を開きます。(「委員長、委員長」と呼び、離席する者、発言する者多く、聴取不能)……賛成の諸君の起立を求めます。(拍手、発言する者あり)起立多数。よって、可決すべきものと決しました。(拍手、発言する者多く、聴取不能)
 これにて散会いたします。
    午後二時四分散会

 やはり、砂田重民委員長の発言からは、何が採決の対象になったのか、また可決したのか、意味不明です。しかし、これで予算案が可決したことにされたのです。
 『エピソードで綴る 国会の100年』(前田英昭著、原書房)では、こう説明されています。

会議録のその部分が空白である場合でも、正当な手続きに従って会議が進行し議決があったと認められる場合、その議決は有効とされるというのが衆参両院の解釈である。その解釈は、第一九回国会が警察法改正案の審議で混乱したとき、堤康次郎衆議院議長が混乱の中で議長席に着かないまま指を二本立て、それをもって会期の二日間延長を宣告したものと認めたとき(昭和29・6・3)に始まるのであろう。(265ページより)

 では、会議録ではどうか。

○議長堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつてさように決しました。
 この際暫時休憩いたします。
    午後四時三十一分休憩
     ――――◇―――――
    〔休憩後、午後十時三十五分電鈴、議長(堤康次郎君)議場に入つたが、議場騒然、議長席に着くことができず、会議を開くに至らなかつた〕
     ――――◇―――――
    〔午後十一時五十分電鈴があつた後の議事は、議場混乱と騒擾のため聴取不能であつた〕
     ――――◇―――――

 これのどこが会期延長を宣告したのかという話ですが、会議録には[参照]として以下補足があり、「開会午後十一時五十六分
 明四日から二日間、国会の会期延長の件(議長発議)
  右件は、可決した。
 散会十一時五十七分」ということにされています。
ともかく自自公は、これらの先例を利用して採決したことにしてしまったのでしょう。荒木氏らのやり方は到底「正当な手続き」とは言えませんが、誠に残念ながら、先例からしてこれで通用すると判断したのでしょう。
 ちなみに「緊急動議」の直接のきっかけは、荒木委員長の「理事会で協議をいたします。」という発言に与党側が慌てたからです。つまり、協議に応じてしまうと、時間切れで盗聴法が廃案になる恐れがあるので、それを阻止しようとしたわけです。
 『自由民主』'99年8月24日号ではこの採決での野党の抵抗を「良識の府にあるまじき暴力」と評していましたが、あなた達に言われる筋合いはありません。

 この「採決」の出鱈目さについては、翌々日の参議院本会議で、円より子氏(民主)を始めとする皆さんがたっぷりと指摘されています。円氏に対するセクハラ発言が飛び出した、曰く付きの国会です。「国会会議録検索システム」(http://kokkai.ndl.go.jp)を検索するか、またはhttp://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/145/0001/14508110001044a.htmlで直接読めます。


主張20, 審議は十分尽くされた。参議院で衆議院を上回る約50時間を掛けて審議したではないか。('99年8月11日参議院本会議・荒木清寛参議院法務委員長、『公明新聞』'99年8月10日号、他)
反論20, では荒木氏に伺いますが、わざわざ法務委員でもない佐藤氏を自分達で呼んで置いて、彼を無視して質疑を打ち切ったのは「正当」なのですか?「十分時間を掛けた」といいますが、それまでに時間を掛けていたから正当な質問の機会を奪って良い、とは言えません。それでは議会政治の意味が無くなってしまいます。
なお「野党は同じ質問ばかりして時間を潰した」という批判もありましたが(世耕弘成[せこう ひろしげ]ホームページ「通信傍受法案可決について」
http://web.archive.org/web/20040606031519/http://www.newseko.gr.jp/action/zakkan/zak04.htm、他。初めに見つけたのは別のものですが、出典を見失いました。分かり次第報告します)、それは盗聴法について誰が見ても同じ問題点があったのにもかかわらず、与党側が改めようとしなかったためです。だから同じ質問を何度もせざるを得なかったのです。「緒方靖夫共産党幹部宅盗聴事件」で、野党の質問に対し、延々警察が組織的関与を否定し続けたのがその良い例です。


主張21, 野党の行った「フィリバスター」や「牛歩」は理不尽な時間稼ぎに過ぎない。(『自由民主』'99年8月24日号、『公明新聞』'99年8月10日号、『産經新聞』'99年8月13日号「主張」、『讀賣新聞』'99年8月13日号「解説と提言 程遠い「責任野党」」、他多数)
反論21, 「フィリバスター」とは長演説などの時間稼ぎ全般、「牛歩」というのは投票するのに時間を掛けて歩く事での時間稼ぎを指します。もし会期いっぱいまで時間稼ぎが出来れば、その法案は潰せるからです。
 PKO法案の時もそうでしたが、この戦法、特に牛歩は評判が極めて悪い。どうしても悪あがきに見えますし、参議院の場合、押しボタン式投票を導入しているのに、という理由もあります。(出席議員の五分の一以上の申し出があれば、今まで通り白札[賛成]か青札[反対]を議長席にある投票箱に記名投票するという方式が取れる。今回の牛歩もこの規定を使って行った)
 日本の帝國議会・国会で牛歩を初めて行ったのは、帝國議会時代の立憲民政党(自民党の源流の一つ)とされています。1929[昭和四年]年3月9日、小選挙区制法案審議で意図的にゆっくり歩いて投票し、「病牛が屠所に引かれていくかの調子で登壇して投票した」と報じられました(『東京日日新聞』1929年3月10日号、前田英昭「床次の小選挙区制法案と議事妨害」http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17032/KJ00000114223.pdf。床次は床次竹二郎の事)。  第二次世界大戦後も、社会党など数党が1946[昭和二一]年の第九〇回帝国議会で牛歩を行いました。(『毎日新聞』1992年6月4日号)また、日本自由党(小沢自由党とは別、自民党の前身の一つ)が牛歩を行ったのは、1947[昭和22]年の事です。この時は社会党の片山哲内閣で、自由党(旧)は野党でした。その時は何と、五日間にわたって牛歩を続けたのです。つまり、野党になれば保革問わず牛歩したのです。
 また、自民党の河本敏夫元国務相も、「牛歩戦術や不信任案連発は少数野党の反対手段として残すべきもので、物理的抵抗ではない」と言っていました。『自由民主』は「民主政治否定する野党の牛歩戦術」と批判していますが、野党の質問時間を奪ってまで「採決」した事にしようとした民主政治の否定者に対しては仕方が無かったと思います。つまり「そっちがその気なら、こちらにも覚悟がある」という訳です。

 ただし、野党側も、もっとみんなを味方に付ける努力が必要でした。1987[昭和62]年に消費税が成立したとき、社会党(当時)と共産党、二院クラブが牛歩しましたが、この時はさほど風当たりはありませんでした。それは消費税への反対が圧倒的に多かったからです。「牛歩してでも潰さなければならない法律なんだ」ともっと多くの人に理解を得させなければならなかったのです。しかし参議院の斎藤十朗議長は投票時間制限を設ける事で牛歩を潰しました。投票というのは議員にとって最重要の行動で、これは絶対に取り上げてはなりませんでした。もし牛歩によって盗聴法が潰れ、それが間違っていたならば選挙で与党が勝つでしょうし、またそうなる様に努力すれば良かったのです。もちろん、その場合私は自自公(自公)に入れませんが。(^^;


主張22, 憲法59条では参院の審議時間は60日と定めている。野党は時間稼ぎをしてはならない。(自民の服部三男雄氏、古賀誠国対委員長、自由の二階俊博国対委員長、公明の冬柴鐵三幹事長、他)
反論22, これは別名「参議院否決みなし規定」とも呼ばれています。日本國憲法第五十九条四項にはこうあります。

> 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つたあと、国会休会中の期間を
>除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決
>したものとみなすことができる。

これに従えば、7月30日以降であればこの条文が適用可能でした。また『公明新聞』'99年8月10日号では、「一定の期間(六十日間)審議すれば、採決して結論を出すのは当然」と、強行採決の正当化に使っていました。
 しかし、盗聴法成立までにこの規定が適用されたのは1952[昭和二七]年7月の一度(三法案)だけでした。と言いますのは、この規定に従えば参議院の意味が無くなってしまうからです(その後、2008年に5法案、2013年に1法案がこの規定を適用されました)。
 実際、60日を超えた法案はたくさんあります。何故この規定を持ち出したのか。それは、この憲法同条二項が絡んで来ます。

> 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で
>出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。

 こういう訳です。自自公で衆議院では三分の二を超えているので、この規定を使えばそこで成立させる事が出来るという訳です。結局参議院でも可決されてしまったので、この手は使われずに終わったのですが………………。


主張23, 「数の暴力」というが、多数決で物事を決めるのは民主主義の原則である。(『産經新聞』'99年8月11日号「産經抄」石井英夫、'99年8月25日「朝日新聞懇話会」演説、小渕恵三。翌日付けの『朝日新聞』に収録、他)
反論23, また補足ですが、石井氏は国旗・国歌法案の賛成議員が全体の4分の3以上に達した事を挙げ、

>この多数決による審議が「自由は死んだ」ことになり「戦後が揺れる」ことに
>なるのなら、議会制民主主義もハチの頭もない。

と反対派の新聞を批判していました。しかしこの「自由は死んだ」というのは盗聴法案成立に対する円より子氏(民主)の台詞ですし、「戦後が揺れる」というのも盗聴法案を含んだもので、また歴史に残る法案ですからこの表現でも不自然ではありません。石井氏は意図的に歪曲しています。

 では本題。石井氏は日本國憲法前文に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(以下略)」とあるのを取り上げ、「(国会における代表者の議決に反対しているのだから、反対者は)金科玉条のごとくおしいただいている日本国憲法を踏みにじっている。すぐ憲法の改正か廃棄を着手した方がいいだろう。」と主張しています。
 これは一見正当に見えて間違っています。と言いますのは、まず選挙では、前回の衆議院・参議院とも、自民党は過半数を取ることが出来ませんでした。特に'98年7月の参議院選では、改選数61に対し、45議席(無所属扱いの斎藤議長含む)の惨敗でした。これで自民党の参議院での過半数割れは21にも達したのです。この時、自民以外の全政党が野党でした。つまり、日本国民は、国会の代表者を正当に選挙するに際し、自民党に否を突きつけたのです。しかし衆議院では新進党(当時)議員の引き抜きにより、参議院では御存知自自公連立により過半数を回復したのです。これは「正当に選挙された」結果では決してありません。「悔しかったら勝てば良いんだ」と言った人もいましたが、自民党を勝たせた訳では決して無いのです。
 また、選挙当時の主張とも食い違っています。'93年、日本新党の細川護煕氏が首相になった時、野中広務氏(自民)は公明党の神崎武法郵政大臣(当時)に対し、創価学会の盗聴疑惑を問い詰めたのは前に触れました。(同年10月6日衆議院予算委員会)また小沢一郎氏とも激しく対立し、'96年5月に発売された著書『私は闘う』(文藝春秋、現在は文庫版も発売)でも一章を設けて小沢氏を批判しています。他にも同党の亀井静香氏(念のため書きますが、男です)は「宗教団体で政党を作ったのはオウムと創価学会だけ。オウムは小銃とサリンで、創価学会は(引用者注:公明党が参加していた新進党を通じて)選挙で政権を掌握しようとしている」とまで言っていました。その亀井氏が小沢氏との「保・保連合」をしようとすると、野中氏は「悪魔と手を握るような悪魔は、ぶっ殺すぞ」と叱りつけています。他にも盗聴法成立の中心人物である八代英太氏は、'96[平成8]年の衆議院総選挙公報に、「自由社会を守る=vという小見出しで、こんなことを書いています。
>(前略)政党を作った宗教団体は、オウムと創価学会です。信教の自由は守ら
>なければなりませんが、「王仏冥合」の立教精神のもと、宗教政党として、
>権力を握るための野望から、自由社会を守らなければなりません。
またこの間自民党は、創価学会名誉会長の池田大作氏の証人喚問を要求しています。
 自由・公明の側もそうです。'96年の衆議院選挙当時は「新進党」として、自民党に対抗していました。その後内紛が起こって分裂しますが、'98年の参議院選挙では、自由・公明とも野党として反自民を唱えていました。特に公明(この時衆議院の「新党平和」と分裂中。その後「公明党」として再統一)は何度も言った様に、盗聴法に反対していました。どこから見ても、両者がくっつく道理は無いのです。ところが野中氏は、「小沢氏にひれ伏してでも」と、自由党との連立に踏み切りました。(この時亀井氏が「あんたは、あんなことを言って、悪魔と手を結んで、どうするんだ」と言った所、野中氏は「そのうちにちゃんとする」と答えたという。『週刊現代』'99年7月1日号201頁)
この時は公明党は自自連立を批判する側でした('99年1月20日衆議院本会議代表質問他)。しかし、'98年時点から既に「地域振興券」等を自民側が受け入れることにより、徐々に与党寄りを強め、結局東京都知事選挙で自民党推薦(事実上公明側の打診)の明石康氏を都本部レベルで推薦。その間の野中氏による働きかけもあり、自自公連立に進んでいったわけです。
 国会議員は国民の代理であり、だからこそ代議士と呼ばれます。(ただし参議院議員をそう呼ばないのは選挙で選ばれなかった貴族院時代の名残、だったと思う)そして選挙の時に訴えた政策を元に国民が代表を選ぶ、という事になっています。当然、その時の発言に責任を持つ必要があるのです。それなのに、選挙の時に対立した相手と組み、それで法案を通して「民主主義でござーい」と言われたら、選挙の意味が無くなってしまいます。
 こういう事を言うと、「そんな節操の無い議員を選んだ方が悪い」という人がいます。しかしもちろん議員の方が圧倒的に悪いのです。
 確かに政策が変わる事があるのは仕方がありません。しかし、ここまで選挙の結果に反した連立に踏み切ったのですから、当然衆議院を解散するなり総辞職するなりすべきでした。それで自自公政権が勝ったなら、まだ分かります。
 もっとも、自自公としては解散総選挙は初めから無理な相談でした。と言いますのは、審議中の法案は片方の院(この場合は衆議院)で可決されていても、衆議院が解散すると自動的にその法案は廃案となるためです。自自公連立が決まった時点で解散しますと、それと同時に盗聴法案は消滅していた事になります。どんな批判を受けても、ともかく法案を通してしまえ、という事だったのでしょう。

 かつて野中氏は、自民と新進がくっつく動きを「大政翼賛会」と批判していました。('97年4月11日衆議院本会議、この発言は議事録から削除)しかし自自公連立をあちこちからそう言われるとまともに反論せず、また民主党の石井一氏が「変節」と批判した事から喧嘩になったりもしました。また亀井氏は取材に対し、自自公以外にも手を広げていけば良いと主張し、「大政翼賛会などと批判されるものではない。平時ではありませんから。」と言っていました。(『毎日新聞』'99年5月29日号「政局のキーマンたち」聞き手:有田浩子) 私はもちろん「大政翼賛会」を直接は知りません。しかし、それの成立したアジア太平洋戦争下では、「今は非常時だ」というのが常套句だったと聞いています。亀井氏の発言こそ、まさに大政翼賛会的です。ちなみに亀井氏は警察官僚出身で、盗聴法推進者の一人。嫌な「静香先生」もいたものですが、それはさて置き。
 主張への反論に戻りますと、「多数決だから何をしても良いのだ」と言うのには怒りを覚えます。その一言で、議会での数々の無法を全て免罪し、反対者に責任を押し付けようとしているからです。多数決というのは、話し合いがまとまらない時に止むを得ず行なうもので、基本は飽くまで話し合い、議論する事なのです。
 大体それならば賛成と反対を取るだけで良く、議会は不要です。議会制民主主義を否定しているのは、まさにこうした発言をした方です。しかしこうした発言が恐ろしいのは、「自分達のやっている事は正しいから何をしても良い」という意識が窺えるからです。大義名分を元に無理を押し通し、異論を排除したのが、まさに大政翼賛会でした。
 小渕首相(当時)はさすがに「数があるゆえに横暴があってはいかんとの批判には耳を傾けるが」とも言っていますが、(『産經新聞』'99年8月27日号「小渕日誌」)「数があるゆえの横暴」を嫌と言う程見せてくれたのがこの盗聴法成立国会だったのです。
 政党が政策をころころ変えるのは残念ながら良くある事ですし、自民は公明よりももっと政策の違う社会(社民)と連立を組んでいた事もあります。しかしこの「自自公」のやった事は余りに酷すぎました…………………………。
 この盗聴法成立は、大げさでなく日本史を変える出来事となるでしょう。私(村雨)の時代には、近代史の試験によく出る問題点として学校で勉強させられる事になるはずです。
 それまで日本がもてば、の話ですが。

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