第44回衆議院議員総選挙の総括(後編)

 

2005/10/26 最終更新2007/2/14

このページの小目次


自民党の回復力
マスメディアと政権擁護の論理
日本の公務員は少ない
有権者はバカだったのか
雇用主に甘く、労働者に厳しく
「私は強い者が好きなだけ。」(by『魔界塔士 Sa・Ga』ミレイユ)
自民党支持者の見解について
盗聴法・共謀罪・その他言論の自由
小泉氏はヒトラー?
それでも、自民党が勝ってしまった!

自民党の回復力


自民圧勝導いた小泉戦略
選挙報道を検証 テレビ 『劇場』盛り上げ役に」(いずれも『東京新聞』)

 それにしても忌々しいのは、自由民主党の回復力の強さです。前編で述べたように、1980年の衆参同一選挙、1990年の衆議院総選挙、2001年の参議院選挙、そして今回と、今度こそ野党転落かその危機、という選挙になると俄然強さを発揮し、圧倒的な勝利を得てしまう。今回の自民党の得票率は、過去の自民党の勝利と比べるとむしろ低い方であり(石川真澄『戦後政治史』[岩波新書、山口二郎による加筆あり]に1946年衆議院総選挙から2004年参院選までのデータが載っています)、繰り返しますが小選挙区制のボーナスによる大勝です。
 しかし、そうした制度面も含めて、自民党の強さがあります。
 一例として1980年衆参同日選挙を挙げましょう。ただしデータは衆院選のみです。

第36回衆議院議員総選挙各党得票・議席(及び前回との比較)
第36回衆議院議員総選挙第35回衆議院議員総選挙
政党得票数相対
得票率
絶対
得票率
当選者議席率得票数相対
得票率
絶対
得票率
当選者議席率
《与党・与党系無所属》
自由民主党28,262,44147.88%34.92%28455.57%24,084,13044.59%30.04%24848.53%
保守系無所属
(自民非公認)
864,1881.46%1.07%61.17%985,5951.82%1.23%540.98%
保守系無所属
(自民追加公認)
291,2730.49%0.36%30.59%670,6461.24%0.84%101.96%
与党計
(自民+保守系無所属)
29,417,90249.84%36.35%29056.75%25,740,37147.66%32.11%26351.47%
《その他の保守政党》
新自由クラブ1,766,3962.99%2.18%122.35%1,631,8113.02%2.04%40.78%
《野党・その他》
日本社会党11,400,74719.31%14.09%10720.94%10,643,45019.71%13.28%10720.94%
公明党5,329,9429.03%6.59%336.45%5,282,6829.78%6.59%5711.15%
民社党3,896,7286.60%4.82%326.26%3,663,6916.78%4.57%356.85%
日本共産党5,803,6139.83%7.17%295.68%5,625,52710.42%7.02%397.63%
社会民主連合402,8320.68%0.50%30.59%368,6600.68%0.46%20.39%
日本労働党83,4450.14%0.10%00.00%57,8930.107%0.072%00.00%
諸派25,7230.044%0.032%00.00%11,2080.021%0.014%00.00%
無所属(野党・その他)745,4211.26%0.92%20.39%984,8231.82%1.23%40.78%
野党・
野党系その他無所属計
29,610,93250.16%36.59%21842.66%28,269,74552.34%35.26%24848.53%
総革新・中道・
野党系その他無所属計
27,844,53647.88%34.41%20640.31%26,637,93449.32%33.23%24447.75%
総保守・
与党系無所属計
31,184,29852.83%38.53%30559.69%27,372,18250.68%34.14%26752.25%
合計59,028,836100.00%72.94%511100.00%54,010,120100.00%67.37%511100.00%
無効票+棄権21,896,198----26,159,804----
当日有権者数80,925,034----80,169,924----
投票率74.57%----68.01%----

 この選挙は、大平正芳内閣の下で行われた物です。自民党の「四〇日抗争」と呼ばれた激しい党内抗争からまもなく、社会党提出の内閣不信任案投票で、反主流派の福田・三木派が本会議を欠席したため可決。野党も可決されるとは思っていなかったため「ハプニング解散」と呼ばれています。しかし、衆参同日選挙に持ち込むため、大平内閣側はわざと反主流派に強硬姿勢を取ったとも言われています。
 社会党は公明党・民社党の要求もあり、共産党と手切れして改めて社公民による連立政権構想を立てました。しかし、特に民社党は選挙中塚本三郎書記長が「首班指名では(社会党の)飛鳥田委員長に投票しない」と自民党に秋波を送るなど不穏な動きを見せ、原発容認などのさらなる「現実化」を社会党には要求していました。
 ところが、選挙中の6月12日に大平総裁が急死。このことから党内抗争は休戦状態となり、終わってみれば大勝でした。
 見ての通り、野党の得票はどこも増えています。野党が支持を失ったのではなく、与党が新たに支持を増やした点で、今回にかなり似ています。しかも、投票率・自民得票率ともに大きく上昇したのは都市部で、都市部の常時棄権層・無党派層が自民に流れ込んだことを意味します。田中善一郎氏は、猪口孝『政党支持率の変遷(分析)』を引き、無党派層は保守的な部分が大きいとしています(田中『日本の総選挙1946-2003』138頁)。
 状況によっては野党に行くこともあるが、投票するなら自民優先、という弱い保守層。今回の総選挙も、無党派層をこのように考えるとかなりしっくり来るのです。
 もちろん、無党派層の全てがそうではありません。たとえば、1969年の第32回総選挙では、社会党は51議席減の90議席と惨敗し、280万票減らしました。人口増の激しい時期で、総有権者は620万人増えましたが、社会以外の全党は得票を伸ばし、社会の一人負けでした(ちなみに、自民は得票増が投票者増に追いつかず、相対得票率では却って減っているが、議席は20も増え300となった。社会の議席を奪う一方、公明・共産・民社が自民から議席を奪うには至らなかった選挙区が多数あったためと思われる)。また、投票率が73.99%から68.51%と下がっており、この時社会から離れた有権者は、一部は他党に流れたものの、かなりの部分が無党派層と化したのではないかと石川真澄氏は分析しています(石川『戦後政治史』)。さらに、1993年の第40回総選挙は、またしても社会の一人負けでしたが、高畠通敏氏の指摘であるとして、新党の立候補しない選挙区では、自民・共産の得票率はほとんど変化がなく、社会だけが減っていたということです。(田中『日本の総選挙1946-2003』180頁)
 第40回総選挙の投票率は67.26%。前回の73.31%に比べ、6.05%pointの減でした。昨今の選挙に比べると高そうに見えますが、実はこの時点で総選挙最低記録でした。この第44回総選挙では67.51%。前回より7.65%point上昇したとはいえ、なお第40回の水準に戻ったに過ぎないのです。すなわち、この時社会党に見切りを付け、二度と投票所に戻ってこなかった有権者が相当数いることを示しています。

 自民党の負けパターン、勝ちパターンには一つの法則があります。先ず、連敗はまず無い(1976年衆・79年衆と1995年参・1998年参くらいで、しかもこの間に別の国政選挙を挟んでいる)。次に、衆議院の多数を失う、政権を維持できない真の負けが一度もない(1993年総選挙では政権を失ったが、議席は1だが増えており新党結成組の連立工作が成功したことが大きい)こと。最後に、議席を減らしても致命傷となる負け方はしていないことです。
 社会党に選挙区でも、比例区でも惨敗した1989年の参院選(社会46+追加公認6、自民36+追加公認2)でさえ、衆議院の自民は定数512のうち309議席と絶対安定多数を占めており、総選挙までの間に一息つく余裕がありました。翌1990年の総選挙では、社会党は議席を大きく回復させた(136+追加公認3)ものの、自民は30,315,417票と史上最高票数を記録(得票率46.14%)。投票率の上昇分を社会が奪ったため自民の議席は減りましたがそれでも275+追加公認11。むしろ、社会が公明・共産・民社の議席をかなり奪ったため、公明・民社はこれ幸いと自民に公然と味方するようになりました(それでも与党に入れてもらえず、自民の手先として使われるだけでしたが)。
 この第44回衆議院総選挙でも、2004年の参院選で民主党は50議席と1議席ながら第一党となり、得票でも選挙区・比例区いずれも上回っていたことで、単独政権を標榜。社民党との選挙協力を原則として取り止め、露骨に潰しに掛かりました。逆に社共、特に共産党は民主党との対決姿勢を強めました。私自身もこの民主党の姿勢を不快に思いつつも、この郵政自爆解散は盗聴法廃止のための、人間が人間として認められる政権樹立のための千載一遇の好機と捉えていました。
 その結果がこのありさまです。
 とにかく、自民党が本当に負けそうになると、どこからともなく大量に援軍が現れ、自民党の大勝に終わるのです。

 土屋彰久『50回選挙をやっても自民党が負けない50の理由』(自由国民社、ISBN4-426-11010-6)では、表題通り自民党が負けない理由を分析しています。
 「争点ぼかしで急所を外す」(165〜167頁)については今回は当てはまりませんが、なるほどと思える指摘は数多い。
「50回選挙をやっても自民党が負けない50の理由」の要点
 詳しくは是非とも同書に目を通して下さい。
 たとえば自民党鵺(ぬえ)論。
 カマヤン(鎌倉圭悟)氏はありがちな詭弁術 1;として、「「民主党は、右端から左端までいてバラバラだ」と自民党議員が批難する」を挙げています。先にこう言うことで、自民党の方が酷いと言ってもオウム返しのように見えてしまう詭弁術であると。
 こういった自民擁護のための詭弁はよく見かけますが、しかしバラバラのはずの自民が何故強いのか、ということについては鎌倉氏も説明していません。
 これは結局、自民党が政権維持とその利権のためにまとまっている政党であるが、それ以外の党派は、もちろんそれなりの利権が存在することもありますが、政策・思想によって集まっているからだと思います。
 当たり前のことを言うなと言われそうですが、自民党はそうではない。尤も今回は郵政民営化を金看板にして来ましたが、大勢に反しない限り、個々の思想には実は寛容です。大勢とは、政権を維持すること。有り体に言えば、与党であることの利益を優先するため、己の思想に反する決定がなされても離反が起きにくいのです。
 政策・思想によって集まるのは政党として当たり前のことですが、特に利権より思想の先立つ左翼政党では、細かな政策の相違が直接分裂に繋がってしまう。しかも、Aという問題では対立するが、Bという問題では協力するという是々非々がきわめて苦手。Aで対立すれば、協力すべきBでも互いに足を引っ張ることになりやすい。利権という身も蓋もない吸引力があるからこそ、自民がバラバラさを強みに変えてしまい、他党はそれがないので遠心力に働くということだと思います。野党、ことに左翼政党では、全ての問題で互いに自分に従わせよう、そうでなければ(他の問題では協力できるのに)裏切り者だとなってしまう。一体化を求めすぎるのです。
 民営化繋がりで、国労共闘会議(国鉄分割民営化を利用してJRを追放された方たちの復職を求めている)のサイトから「「原告団は国労の統一と団結を破壊しているのではありませんか」」を挙げておきます。つまり、表題は国やJRに徹底抗戦を続ける国労闘争団側からの、組合全国大会で諦めたと決めたから従え、そうしないのは組合を分裂させようとしているからだという組合側からの批判であり、内容は反論です。ここで挙げられている「民主主義的中央集権制」は共産党の主張としても馴染みがありますが、一見もっともに見えても、ある問題でどうしても納得できないという人間を人格的にさえ潰してしまう重大な弱点があるのです(皮肉なことに、党内決定は全会一致を慣例としていた自民党が、郵政民営化で初めて多数決を取ったことは、こうしたやり方に近づくものであった。京都新聞6/28共同通信社配信「総務会が初の多数決採決 全会一致の原則崩れる」)。
 もちろん、こうした気質の違いに加えて他党非難として自民党の側から流される宣伝に、マスメディアも協力的(新党日本や国民新党が「選挙互助会」なら自民党は何なんだ?)なのも大きな理由でしょう。
 典型が毎度おなじみ共産の小選挙区候補ですが、小選挙区制導入以降に限ってみても――――――――――。(リンクは総務省のデータに繋がっています)

  • 1996年第41回総選挙 自民・新進の二大政党対決といわれたが、小選挙区で新進・民主の共倒れ続出。共産も得票を伸ばすが小選挙区当選は2議席止まり。自民は239議席と過半数割れするも、新進からの引き抜きなどで、第42回総選挙前には271議席に膨れあがっていた。
  • 2000年第42回総選挙 新進に代わり民主が第二党となるが、小選挙区で弱体化。社民がやや復調し、自由・共産もかなりの得票を得たことから、比例区の自民得票率は28.31%と過去最低に落ち込むも、自民は与党に加わった公明・保守と合わせて安定多数死守。逆に共産は小選挙区全滅。
  • 2003年第43回総選挙(PDF) 民主と自由が合併。ついに比例区で第一党となるが、自民も得票を伸ばす。与党の自民・公明・保守新でやはり安定多数。
  •  もし第41回総選挙で、新進と民主が協力していたら。第42回総選挙で民主と自由が合併していたなら。全ての選挙で共産が激戦区(共産自身に当選の目のある選挙区除く)で自党候補擁立を見送っていたなら。恐らく、かなりの確率で自民は野党に転落していたでしょう。ついでながら、共産はせめて第42回で社民と選挙協力に成功していれば、小選挙区でもかなりの議席を獲得できたはずです。
     そして、この第44回総選挙では、小泉政権の打倒のため民主・共産・社民は大胆な共闘を互いに求めるべきでした。

     選挙協力一つを取っても、野党は自民より一歩も二歩も遅い。理由ははっきりしていて、それぞれの感情的・政策的距離が大きいため、のっぴきならない状況にならないと手を組もうとしません。最良の条件ならば、各党ともなまじ善戦でき、まかり間違えば小選挙区でも勝てるかも知れないという希望があったため、無理に他党と手を組むよりは独自の戦いをしてしまうのです。
     上では挙げませんでしたが、社民党最左派の独立した新社会党が、1998年参院選で国会議員が全滅して、さらに国政選挙で2連敗して初めて社民党との本格的な選挙協力を始めたように、協力したころには時機を逸していた例があまりにも多い。
     これは難しいところで、1996年当時の私はまだ選挙権はありませんでしたが、もし成人していたなら、新進に投票するよりは死票となろうとも共産に投票した方がマシと行動していた可能性が高かったと思います。それを承知の上で入力しているのです。
     逆に自民の側から見れば、各党のそうした対立点を煽り立てれば成功しやすい。第41回総選挙では、新進党に加わった創価学会・公明党の危険性をアピールしました。その公明党とヌケヌケと連立した第42回総選挙では、進境著しい共産党を標的にし、「民主政権になれば共産(連立)政権になる」と両者を離間しました。第43回総選挙では、北朝鮮拉致事件を問題にし社民党シフト。そして、いよいよ民主党が勝つかも知れないといわれた今回は、郵政造反VS刺客を煽り立てることで、野党そのものの影を薄くし、野党に対しては民主党を集中攻撃し、「何でも反対の民主党は共社と同じ」といった離間策も怠りありませんでした。しかし、共社そのものははさほど脅威ではないと見切られていました。
     共産党やその支持者の側から見れば民主党も保守政党の側に過ぎず、政策的に自民に近い存在というのは共産党の分析で触れました。だから「民主と共産は同じ」という自民の攻撃は全く的外れなのですが、しかし民主が保守色の強い政党だからこそ、この攻撃は意味を持ちます。
     実際の共産党や社民党の政策と比べて、民主党はどうかということは問題ではないのです。保守系有権者にとって、共社に抱いている「負」の印象だけを利用しているのです。民主党だけでなく、保守系の有権者は、共産と同じと言われるとつい動揺してしまう。そして、その動揺につけ込めば、さらに民主党を自らの側に引きつけることができる。野党が与党の政策に反対することは当たり前(じゃなきゃ野党じゃない!)なのに、それが罪悪であるかのようにマスメディアも喧伝し、自民の援護射撃するからです(たとえば必ず野党の対案を要求することなど。これは、与党の法案はどんな形でも成立させなければならないという前提がなければ出てこない要求)。これを見て共産の側が「民主は自民と同じ」と言ってみても、民主が自民のなすがままにされるのを指をくわえて見守っているのと同じです。もちろんこれも自民にとっては計算通り。いわば「民主主要打撃論」をまんまと成功させたのです。あまつさえ選挙後、衆議院の代表質問で「反対のための反対はしません」(9月28日衆議院本会議)と宣言した前原民主党新代表。ああ。

     そして、ここが自民党のずるいところで、民主が共産と組むと攻撃しても、いざとなったら自分は共産ともしっかり共闘する可能性が高い。それでうまく行くのかって? 政権維持という果実が、「共産」への嫌悪に勝るのです。長く対立してきた社会党、直前まで激しく批判してきた公明党と連立したにもかかわらず、支持者の大部分は自民党を離れませんでした。一時公明党・創価学会批判が盛んでしたが、今や一部の雑誌を除いて忘れ去られたかのようです。多分共産でもそうなるでしょう。あるいは「これも○○の戦略」と言い訳するでしょうか。思想に殉じて自民支持をやめる、という支持者はさほど多くないでしょう。逆に共産支持者は呆れて逃亡する人間が増えそうです。従って、自民党は時を見て勢力を回復すれば共産党を捨てるだけ。これも今まで繰り返されてきた光景です(公明だけは今のところ別ですが…)。
     これも、「与党であり続けること」を、支持者も支持の理由とする自民党ならではの強さです。「総力戦はやらない」という指摘も、自民が余裕こいているのではなく、常に最悪の事態に備えているということだと思います。
     郵政民営化法案に反対した造反議員がその姿勢を貫くなら、思惑はどうあれ政策によって動く本来の政党政治の役割を果たしたはずです。しかし、新党結成組と平沼赳夫氏・野呂田芳成氏・亀井郁夫氏を除き、総選挙後の採決では全て賛成に回りました。これも、政策より「与党であり続けること」が自己目的化しているからではないでしょうか。民営化反対を公約に当選したのですから、いくら自民が勝とうと、反対票を投じなければ有権者への裏切りになります。しかし、そういった原則論は造反議員にとって二の次のようです。
     全野党による自民包囲網が形成されたら、ほぼ確実に自民の天下は終わります。しかし、自民は野党間の矛盾を存分に衝くことで、その勢力を維持しているのです。総選挙はその性質上総力戦に近く、個々の候補者はもちろん本気で闘っているでしょうが、党全体としてはどこかで余裕を持たせている。
     無論、かつては参議院で過半数割れしても単独政権を維持していたのに、今は公明党と連立しているように、自民も譲歩を迫られています。自民党の小選挙区得票率47.77%は、1969年・1990年総選挙を上回り、1980年総選挙に次ぐものですが、当時は公明票の下駄は(ごく一部の選挙区を除き)ありませんでした。それだけ自民の基礎票は減っていることになります。余裕が減っただけ、手段がえげつなくなっています。
     刺客戦術とそれ一色になったマスメディアの現況は、「野党は、その勝機が見え始めてきたあたりから、この四方八方から飛んでくる切り札攻撃との困難な闘いを覚悟しなければならない」という指摘を痛切に思い起こさせました。これが自民の切り札というものなのかと…。

    マスメディアと政権擁護の論理

     次はマスメディアの番です。
     第44回総選挙のマスメディア、分けてもテレビの自民贔屓は露骨でした。まあ見事に流しそうめんの如く、郵政ばかり流してくれたこと。「郵政私営化」といえばちょっとはイメージも変わるのに(実際、「民」の字面を最大限利用している)。
     なにテレ朝やTBSは野党偏向だと。とんでもない。特に公職選挙法の規制を受けない公示日前は、自民党候補と造反候補の話題ばっかり! 野党は辛うじて候補者の存在が報じられる程度というありさまでした。私は特定のマスメディアが与党支持の姿勢を明言した上で報じることは勝手と思っていますが、相手の存在自体を無視するのは明白な偏向報道でしょう。
     田原総一朗氏、古舘伊知郎氏、みのもんた(御法川法男)氏、福留功男氏、みーんな郵政ばっかりで自民党の後押しをしました。古舘氏が堀江貴文氏に喧嘩を売ったというのも、投票終了後、後の祭りに過ぎません。強いていえば、野党寄りといえたのは筑紫哲也氏くらいでしょう。それにしたって、小泉氏を批判はしても、実は野党そのものは大して取り上げていないため、野党候補者にとってどれだけ有利になったのかはかなり怪しいのです。
     あたかも自民党の意のままに報じることが「公平中立」であるかのような主張がはびこりましたが、とんでもない話です。
     ここ数年来、しばしばその強化が自民側から上がっている盗聴法はどうなのか。共謀罪を含む刑法改正案は。青環法などの言論統制法は。人権擁護法案は。イラク派兵の是非は。北朝鮮拉致問題は。配偶者控除や医療控除など、各種控除の削減による実質増税と、高額所得者減税の是非は。靖国神社参拝の是非は。数々の人を馬鹿にしてきた国会答弁(「この程度の約束は大したことない」「(大量破壊兵器をイラク侵略支持の根拠にしたのに)大量破壊兵器が見つからないからといって、なかったとは言えない」など)は。失業・景気対策は。4年間で14万人の自殺者を出していることは。財政赤字を140兆(ただし2001年度予算との比で、小泉政権下の予算だけで比較するなら117兆)も増やしたことは。そして、全てをひっくるめた小泉政権業績の是非は。
     たとえば主要全国紙は全て郵政民営化支持を表明していましたが、しかし郵政が最重要争点であるとは、少なくとも各社の世論調査では現れていませんでした。解散後郵政への注目が集まったあとでもなおです。

    讀賣「(4)景気対策 (2005年8月28日) 関心高いが郵政に埋没
    朝日「「郵政が最大争点」52%否定、内閣支持上昇 本社調査 2005年08月17日
    毎日「クローズアップ2005:衆院選・終盤世論調査 マニフェスト「参考」76%
    共同「自民31%、民主15% 比例代表の投票意向
    ただし、産經・FNN合同の8/19世論調査では様相がやや異なります。しかし、郵政民営化と他の争点の比較がない設問であることは留意すべきでしょう。「【2005総選挙】本社・FNN世論調査 政治手法 「造反組排除」に賛否
     しかし、他の争点はみんな、吹っ飛んでしまいました。

    日本の公務員は少ない

     さらには当の郵政民営化法案です。私はこの法案についてはさほど関心を持っていません。だから郵政法案で言論問題が吹き飛んでしまったことに非常な危機感を覚えました。しかし、小泉氏はこの一本槍で勝ったことになっていますから、避けるわけには行きません。小泉氏の解散時の発言を挙げましょう。
    小泉内閣総理大臣記者会見 [衆議院解散を受けて] 平成17年8月8日

    「なぜ民間にできることは民間にと言いながら、この郵政三事業だけは民営化してはならないと、私はこれが不思議でなりませんでした。郵便局の仕事は本当に公務員でなければできないのか、役人でなければできないのか、私はそうは思いませんでした。(中略)
     私は、そういう意味において、本当に行財政改革をやるんだったらば、公務員を減らしなさいということはみんな賛成でしょう。郵政事業に携わる国家公務員、約二十六万人、短時間の公務員を入れると約十二万人、併せて約三十八万人が郵政事業に携わっている。郵便局の仕事に携わっている。これは本当に公務員じゃなければできないんでしょうか。(中略)
     約四百年前、ガリレオ・ガリレイは、天動説の中で地球は動くという地動説を発表して有罪判決を受けました。そのときガリレオは、それでも地球は動くと言ったそうです。(後略)」

     自由民主党政務調査会編『郵政民営化に自民党は再挑戦します――早わかり郵政民営化――』でも、「38万人の公務員を民間人とする行政改革。「小さな政府」を実現。」(冊子版1頁)としています。
     現在、郵便局を運営している郵政公社は独立採算制です。要するに一円の国費も使われておらず、逆に利益の50%を国庫に納付しています(日本郵政公社法37条)。「公務員」を強調することで、何となく彼らを金食い虫のように見せかけているのですが、「国家財政の節約になる」とは言っていない。うまい言い方だと思います(ちなみにかつて民営化された国鉄や電電公社も同じく独立採算だが、公務員ではなかった。しかしスト権禁止など公務員に準ずる制限を受けていた。国鉄に国費が投入されたのは赤字が深刻化した末期のみ)。また、本当の常勤公務員は26万人で、残りの12万人はパート・アルバイトです(法律上は国家公務員の扱いを受ける)。

     しかし尻尾は出るものです。
     中川秀直自民党国対委員長が、8月9日にテレビで言ったとされる以下の発言。実は本人の発言か怪しい説もあるのですが、本人の発言として流布しており、それに対する意見として引用します。「歳入が40兆円しかないのに支出が80兆円もある。こんな事で国が持つ訳が無い。80兆のうち40兆は公務員の給料。それを削るには公務員を減らすしかない。だから経営が優良な郵政からやる。これが出来なきゃ公務員なんか減らせるわけ無い。日本は持たない」(「2005/08/13 郵政解散」の8月13日の項目)
     よく見ると郵政は「経営が優良」と認めているのですから、民営化しても国家財政には影響しないはずです。しかし、あたかも郵政民営化により国家財政の赤字が改善されるかのように巧妙に歪曲しています。また、80兆のうち40兆という数値も間違いです。
    (3) 歳入(平成17年度版 地方財政白書)
    5 地方経費の構造 ア 人件費(同上)
    予算・決算(財務省、国家予算)
     おまけに、日本の公務員数は、先進諸国ではむしろ少ないという総務省統計が出ています(「人口千人当たりの公的部門における職員数の国際比較 (未定稿)」データは2001年)。『フジサンケイビジネスアイ』10月17日号掲載の「2005.10.22 [フィナンシャル i] 国際比較で見る公務員人件費」(鈴木準氏)に拠れば、公務員給与を15%引き下げれば、民間との給与格差についても問題はないとの試算が出ています。

     そして解散直後から郵政民営化推進を突然強調し始めた、gori氏の記述はこうなりました。「もし周りに「郵政民営化?良く分かんな〜い」とか言ってる人にはこの二つの発言だけでもプリントアウトして見せりゃいい。この考え方に賛同する人は自民党を応援すればいいし、反対する人即ち「大きな政府、官主導で結構、役人天国もやむを得ない」という人は民主党か自民党から公認を与えられなかった守旧派に投票すればいい。」また、小泉氏の著書『コイズム』によると、小泉氏は「今、この国の借金がどれだけあるか、知っているかな」「なぜ、郵政三事業の民営化なのか僕が郵政三事業(郵便、郵便貯金、簡易保険)の民営化にこだわっているのは、これがストレートに行政改革に結びつき、しかも、国民にはかり知れないメリットやサービスをもたらすと信じているからなんだ。」と述べているといいます。そして、gori氏は「今の民営化反対派(マスゴミ含む)は根拠に乏しいデマまがいの反対論や印象操作でこの問題の本質をズラしている事が多い。」(傍線は引用者)と主張する。(「やはりマスコミがひた隠しにする郵政解散の理由と争点」8/9)
     マスコミがひた隠しというタイトルは小泉発言の要約記事で、公務員26万人云々の下りがなかったことを指すのでしょうが(しかし全国紙全てが賛成派であることはgori氏も認めている)、「根拠に乏しいデマまがいの論や印象操作でこの問題の本質をズラしている事が多い」とはおのれのことでしょう。マスメディアに自民党政権擁護のための政府広報となるよう要求しているのですから、勘違いも甚だしい。法案は郵便局員・特定郵便局長を対象とし、高級官僚には関係ないのに、両者を意図的に混同しているテクニックも見られます。中川氏のものとされる怪しい発言を何の検証もせず飛びつく方も飛びつく方ですが、引っかかる方も引っかかる方です。
    おかしな郵政解散擁護論」(kikori2660氏)
    ■[時事] 郵政民営化ってどうなのよ。」(Dr.マッコイ氏)
    甘いおやつ
    ★詐欺師の話は単純でわかりやすい(民営化のウソ)9/16」(おばけうさぎ氏)
    「自民党は分かりやすかった」の構造 − 客観認識と価値判断」(thessalonike2氏)
    このサイトに騙されてはいけない!第一回『イレギュラーエクスプレッション』」(czk_camel氏、トラックバック
     gori氏の印象操作については以上のサイトが参考になりました。また、日本郵政公社の収支データも挙げておきましょう。
    第2期 日本郵政公社決算の概要(総裁会見)」(2005/6/29)経常利益は前年度2兆5,488億円。今年度は6,657億円減の1兆8,830億円。
     しかも、6月6日、衆議院郵政民営化に関する特別委員会では、郵政民営化が実施された場合の骨格経営試算について、竹中平蔵国務大臣はこのように答弁しています。「税引き前の当期利益が、二〇一六年度でございますけれども、二〇一五年度のプラス二百億円から二〇一六年度にマイナス六百億円になるということでございます。」「公社が続いた場合は、民営化される場合に比べまして、これは、租税を払わない、そして預金保険料を払わないということになりますから、その租税が上乗せされ、そして預金保険料が上乗せされた形になりますので、単純にそれを計算いたしますと、千三百八十三億円という数字が出てまいります。
     ただし、この千三百八十三億円は、民営化の場合だったら払っていた租税八百四十八億円、預金保険料千百三十五億円を払わない場合ということでありますので、その分の利益が上乗せされて出ているということになるわけでございます。」(いずれも佐々木憲昭氏の質問に対する答弁)。公社のままなら国庫納付金を差し引いてもなお692億円の黒字です。預金保険料とは破綻した時のための積立金ですが、私営化のために新たに必要になる出費です。結局のところ、「民営化」は自己目的となって終わっているのです。

     ただし、郵政私営化には恐らくこの理由もあるだろうというのは推測できます。政敵の排除です。特定郵便局長と労組(日本郵政公社労働組合全日本郵政労働組合)を攻撃すれば、亀井氏のような保守勢力内の“守旧派”と民主党の双方にダメージを与えられます。彼らに問題がないとは言いません。ただ、彼らを攻撃し、打撃を与えることは、小泉氏の政敵にとってダメージとなり、小泉氏にとってプラスになります。それだけの話です。
     かつて国鉄分割民営化で、社会党支持の牙城であった国鉄労働組合所属の人間を選別してJRから排除したのと同じです。「国鉄とJRは別会社だから、国鉄が不当労働行為をやってようが知ったことじゃない」という逃げ口上で、まんまと大量首切りに成功しました。当時の首相である中曾根康弘氏は「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」(『AERA』1996年12月30日・1997年1月6日合併号)と自慢しています。つまり、分割民営化は民営化自体、労働者の首切り自体が目的ではなく、国労の背後の社会党を潰す政治的目的があったのです。(念のため書いておくが、もちろんこの時点で自民党に次ぐ第二党は社会党であった)
     民営化による責任逃れのカラクリは、現JR東海会長の葛西敬之著、東洋経済新報社刊、ISBN4492061223『未完の「国鉄改革」 巨大組織の崩壊と再生』を参照下さい。このカラクリを考案した国鉄法務課の人間(国労闘争団の意見陳述によると、現・東京高裁判事の、江見弘武氏であるという)ともども、その悪知恵を高く評価し、後世に至るまで卑劣さを晒すべきでしょう。(私はこんな野郎の会社に金を落としているんだよな…)

     ついでに、「民主党よ郵政民営化から逃げるな!」には私からは「自民党よ、gori氏よ、増税から逃げるな、イラク侵略から逃げるな、言論統制から逃げるな!」と返しておきましょう。さんざんイラク侵略反対派を侮辱して置きながら、空中楼閣の理由でイラクを侵略した米国には「既にアメリカの戦争の大義とか日米関係がどうのこうのじゃないんだよな。もちろん菅直人みたいに政争の道具に使う問題じゃない。目的はイラクの復興。世界平和を希求する精神からも、イラクの復興のための助走機関の今は丸腰の文民ではなく軍隊を派兵することで協力するのが国際社会がイラクへ差し伸べられる唯一の手段。」(「イラク問題で駄々こねる幼児達」2003/12/2)。だったら朝日新聞にも駄々こねるんじゃない(注:言うまでもないが皮肉。私が朝日の全てが正しいという立場でも間違っているという立場でもないことはサイトを読んで下さい)。
     当の小泉氏も、8月29日の6党首討論会で、民主党・岡田氏に「税金は一切使われておりません」と突っ込まれると「それは全く誤解ですね。民営化すれば、民営化した会社は法人税も納めますよ」(47分45秒〜)。もちろん、剰余金の1/2を国に収めていることは岡田氏にも指摘されています(さらに付記するなら、法人税率より剰余金収納率の方が1割高い)。民営化の根拠としてあげた数字がデタラメなのに、何事もなかったかのように民営化と訴えるのはあまりにもおかしい。
     しかも、9月1日、日本テレビ放送の討論会で小栗泉キャスターに郵政民営化法案の冊子について「小泉総理はもちろんお読みになっていると思いますが……」と水を向けられると、「そんなの全部読めるわけないじゃないか。だいたい政治家でそんなもん全部読んでる人なんていませんよ」と返したといいます(『現代』11月号64頁)。他ならまだしも、さんざ自分で争点にしておきながら肝心の法案を読んでいないとは。一体何を考えて政治家をやっているのですか。
    「郵政民営化はわかりやすい争点」というのも、実は自民・マスコミの刷り込みでした。
    「郵政民営化はわかりやすい」としなければなりません。
     さらに、「政府による郵政民営化法案への賛否」と「郵政民営化への賛否」は明らかに別物ですが、これも意図的に混同されました。
     こういう言わずもがなの大嘘に感動する人間が続出したのですからたまりません。
     小選挙区法案で反対派に「守旧派」のレッテルを貼り付けた連中と同じ手に、またもまんまとしてやられるとは。前者の残党が民主党に多く、他ならぬ守旧派扱いされた人が今回他人にレッテルを貼った総大将であることは歴史の皮肉ですが、小泉氏の支持者はどうして小泉氏の行動の矛盾に平気でいられるのでしょうか。

    有権者はバカだったのか

     総選挙後、「この国の選挙民の政治水準では選挙など何回やっても民主主義は確立されないムダであることが分かった」(『日刊ゲンダイ』9月13日号)「国民はバカだ」という批判があり、それに対して「国民はそんなにバカではない−衆院選結果は、報道に対する信用の無さの証明では」(『サンケイスポーツ』9月18日号土屋克己。記事は2ちゃんねるニュース速報+板「【社会】国民はそんなにバカではない-衆院選結果は,報道に対する信用の無さの証明では」より。にくちゃんねるにミラーあり)との反論が見られました。
     ここでも、現実には郵政民営化推進側の報道が圧倒的分量であったことを黙殺して話をすり替えています。確かに、テレビでも反対意見を採り上げたことがなかったわけではないし、雑誌媒体では反対の論陣を張ったメディアもかなりありました(土屋氏も書いているが講談社の雑誌など)。しかし、テレビを中心に垂れ流され、新聞でも郵政の話題が主であったことを無視することで、メディア一般への不信感を郵政私営化や与党を批判したマスコミにうまくすり替えたのです。自省として記事を書くならまだしも、こういうすり替えをやった側こそ、真に国民をバカにしています。
     一方、同じ産經の本紙で、森喜朗前首相が「勝利宣言」しています。「森元首相、政局を語る 首相はノーサイド精神を(09/13)」「もともと国民の関心は、年金や税制の方が上で、郵政は下の方だった。でも選挙になると郵政は年金に次ぐ二番手になった。理由は賛成派も反対派も郵政のことばかり話したからだ。小泉さんも「郵政」「郵政」って余計なことをしゃべらせなかった。みんな見事にひっかかった。小泉さんによる報道管制が敷かれたようなものだよ」と。
     それでもマスメディアが反郵政であるかのように思われる方へ。本気で郵政民営化以外の争点を提起するなら、選挙中にやっていなければおかしい。共産党の『赤旗』記事も、共産党の記事だからと黙殺してよい内容ではなかった。共産党に限らず、米国による年次改革要望書(2004年版は規制改革要望書、リンク先は米大使館の訳文)の存在はたびたび指摘されましたが、9月1日「報道ステーション」で、共産党の市田忠義氏と新党日本の小林興起氏が共に指摘すると古舘氏は「あるかないか分からない密約を報道出来る訳が無い」。密約じゃないよ。米国政府も大使館も公開している公文書です。形の上では日本も要望を出していますが、米国の要求は次元が違います。

    テレビ朝日「ニュースステーション」政党討論会での古舘氏の“犯罪的”司会ぶり」(あっしら氏)
    規制改革及び競争政策イニシアティブ」(経済産業省、日本側の年次改革要望書。米国側へのリンクも)
    2005年10月15日(土)「しんぶん赤旗」 郵政法案 だれのための民営化か」(10/13参議院郵政民営化特別委員会より)

     このように、テレビ・全国紙は郵政以外は通り一遍にしか扱いませんでした。これこそ、少なくともテレビ・全国紙の主流が自民擁護であった証拠です。
     一部では「B層」も野党が自民党支持者をバカにした文句と言うことにしたいようですが、もちろん有限会社スリードによるものです(更新履歴9/10も参照)。このことを無視して「反自民」のマスコミ「が」国民をバカにしたかのように報じる事自体が情報操作。みんな、忘れるな!

     前出、9月28日の衆議院代表質問で、民主党の前原氏に「今後、重要法案が否決されれば、また国民投票のような解散を行うつもりですか? 総理の議会制民主主義に対する、根本的な考え方をお伺いしたい」と問われ、小泉首相は「憲法上認められた解散権の行使」とした上で、「(郵政民営化と同時に)総理大臣に就任以来進めてきた、金融・税制・規制歳出に渡る広範囲な構造改革の方針とその成果について、広く国民の支持を頂いたものと受け止めております」(「衆議院インターネット審議中継」前原氏の3分45秒目あたりと28分40秒あたり。会議録は未公開。要旨は「前原民主代表と小泉首相が初論戦−衆院本会議代表質問の詳報 (ブルームバーグ)」)。再度の解散について応えるよう重ねて問われましたが(51分あたり)、この時は小泉氏は答えていません。9月30日の衆議院予算委員会で糸川正晃氏(国新)が「国権の最高機関たる立法府の衆議院を一法案の可否をめぐって解散するということは果たして妥当だったのでしょうか。私どもは、これは憲政史上に疑義を残したと考えます」と改めて答弁を求めると、小泉氏は「これはしょっちゅうするものじゃないんです。異例中の異例であるということは認めます。だから、こういうことがあるから、次もまた参議院で否決されたら衆議院を解散するのかということをよく聞く方、あるいはそう話される方があると思いますが、こういうことはめったにありません」。つまり、今回は特例と答弁しました。(「国会会議録検索システム」より)
     1978年の江川事件(リンク先はwikipedia)の時、「空白の一日」を利用したドラフトに拠らない江川氏の読売ジャイアンツ入団を金子鋭コミッショナーが認めました。プロ野球実行委員会は江川氏の読売入団を「この件は特例であり、慣例および前例とはしない」としましたが、小泉氏の答弁とほとんど同じ理屈です。

    雇用主に甘く、労働者に厳しく

     スリードの文書で失業者が馬鹿扱いされているように、小泉政権は敗者、弱者に冷たく、強者の権利に熱心な政策です。

     これは自民党政権の一貫した方針ですが、法人税率は、最高で30%です。1984年時点では43.3%でしたから、15年間で10%point以上の低下です。また、所得税率は最高37%ですが、低額所得者の負担はほとんど変化がなく、最高額所得者の負担は25年間で38%pointも減っています。法人税減税による減収と、消費税創設による増収はほぼ等しいといわれています。(「2005年3月19日(土)「しんぶん赤旗」 結論は消費税の増税 あれこれ理由つける小泉内閣 大金持ちと企業は減税」)
     自民党は「政府税調のサラリーマン増税ありきを自民党は許さない!」とサイトに見解を載せています。しかし、増税しないとは書いていません。政府税調は「議論に向けた一つの方向性を示したのに過ぎ」ないからこの通りになると決まったわけではない、と書いていますが、しないと明言もしていないのです。

     「平成18年度税制改正に関する提言 2005年9月20日 (社)日本経済団体連合会 」。見ての通り日本経団連の要求ですが、

     など、俺達から税金を取るな、消費税でまかなえという実に分かりやすい要求です。
     また、10月11日、政治献金などの基準として「2005年政策評価の発表にあたって」を発表しました。企業献金受け入れを表明しているのは自由民主党と民主党なので、両党を評価したとあります。上に加えて、原子力発電推進、憲法改正、日米軍事同盟強化などを+の評価基準としています。
     次に、選挙前の6月21日発表の「
    2005年度日本経団連規制改革要望」から、雇用・労働問題に絞って要求を挙げます。

     最後に、同じく5月17日発表の「若手社員の育成に関する提言 〜企業は今こそ人材育成の原点に立ち返ろう〜」。
     「2 これからの人材育成のあり方」に"長期蓄積能力活用型・高度専門能力活用型・雇用柔軟型"という分類が登場します。
     これは、日本経団連の前身の一つである日本経営者団体連盟(日経連、経済団体連合会(経団連)と合併)1995年5月発表の『新時代の「日本的経営」−挑戦すべき方向とその具体策−』の分類を踏襲しています。

     すなわち、正社員を減らし、「柔軟」に雇ったり首を斬ったりできる派遣社員・パート・アルバイト・日雇いなどの割合を増やそうということでした。ちなみに、「高度専門能力活用型」は、岩木秀夫『ゆとり教育から個性浪費社会へ』(ちくま新書)によりますと、米国の経済学者が「シンボリック・アナリスト」と呼ぶ金融、財務、経営、市場調査、広告などのプロフェッショナルが、これに該当するとのことです。
     5月17日発表の日本経団連文書では「短期的なコスト面での最適化だけを追い求めることなく」と但し書きを付けており、育児休業や中途採用、復職などについても触れてはいます。

     しかし、「総務省労働力調査」では、平成10年度〜15年度の間、一貫して常雇いが減少、臨時雇いが増加しています。平成16年度に歯止めが掛かりましたが、日本人材派遣協会「高まる派遣需要とその概況」にもあるように、雇用主側が正社員を減らし、臨時雇いを増やす方針はほぼ一貫しています(平成16年度の常雇4582万人、臨時雇・日雇は736万人)。
     日本の労働分配率(労働者の取り分)は、バブル崩壊以降上昇していましたが、2005年は1992年の数値に戻っています(「日米の労働分配率が語る「従業員主権」の死角」(伊丹敬之氏))。単に戻っているだけではなく、臨時雇いの増加によって労働者の取り分を削っているところに、これまでにない変化が現れています(「労働分配率 国民所得の労働者の取り分」2005/2/15『讀賣新聞』)。また、平均収入は確実に減っています(「20050814 国民生活4年連続悪化の実績」キタノ氏のものだがデータは厚生労働省に拠る)。この変化を放っておけば、企業の取り分の高止まりになる可能性が非常に高いです。
     大企業の余剰資金は2004年12月現在で82兆円に達し、2005年6月末現在でも80兆円(「法人課税の公平性 発表日:10月18日(火) 〜法人税率の引き上げは不公平構造を温存する〜」第一生命経済研究所 経済調査部)。これは、補正予算を除く国家予算を上回る規模です。ここでも、大企業が己の取り分を増やし、しかも税金は払わない実情が数字に表れています(もっとも、第一生命経済研究所はだからといって大企業から増税するなと主張しているが)。
     共産党の公約にも書かれていましたが、出典を書いていないのはマイナスです。ここはちゃんと書くべきでした。(「財界・大企業と二人三脚 余剰資金は82兆円」など)。「積み上がった82兆円 何に使う 企業の「資金余剰」 (週刊エコノミスト)」もデータが詳しく参考になります。

     2003年の保険医療費自己負担額の値上げ(基本的に2割→3割)、2004年の老年者控除の廃止、2005年現在審議中の障害者自立支援法案(リハビリや職業訓練などへの援助をする反面、従来は収入に応じた「応能負担」のもと大半が無料であった障害者福祉の利用が、原則1割負担となる「応益負担」になる)。最後の障害者自立支援法案では、入所施設利用者であっても手取り最低保障額は月25000円であり、自宅などから施設に通う場合など赤字のケースもままあるということです(10月04日参議院予算委員会における、小池晃氏(共産)氏の質問より)。また、月25000円の根拠とは、「家計調査によりまして、家計調査で年収二百万未満の二人以上の世帯平均でその他生活費が幾ら掛かっているか、家計調査におけるその他生活費が幾ら掛かっているかというので二万一千円という数字が出ております。したがって、その二万一千円よりも、障害をお持ちの方、日常生活費もう少し御入り用な部分もあるのではないかということで四千円を乗せて、二万五千円は手元に残していただこうと、こういう根拠にいたしております」(前出、小池氏に対する尾辻秀久厚労相(自民)の答弁)。はっきり言えば、最低限の生活で飼い殺しますと宣言しているに等しい。また、「サービスは買うもの」(10月6日参議院厚生労働委員会、福島瑞穂氏(社民)に対する中村秀一厚生労働省社会・援護局長の答弁より)ともあります。国家の福祉は無条件で受けられる物ではなく、金を出して買わなければならない原則にするという宣言です。
     この他、政府税制調査会は、定率減税の廃止や消費税の値上げ(現状の5%から10-15%に)などの増税策を中間報告で行いました。企業減税の「IT投資促進税制」廃止も含まれますが、『日経』の「(10/24)消費税率10−15%例示、福祉目的税化を提言へ・自民財政研」「定率減税の2007年廃止を提言へ・政府税調」は個人増税の方が実現性が高いというトーンで記事にしています(ただし紙面版)。
     そして、個人消費は多少和らぎつつも、なお冷え込み続けています(キタノ氏「20050909 総務省家計消費状況調査:選挙の争点隠し?」、データは総務省家計調査報告速報値)。

    「私は強い者が好きなだけ。」(by『魔界塔士 Sa・Ga』ミレイユ)

     近年、高額所得者の、貧乏人が俺達の収益を持って行きやがるという反発が露骨に出て来たように思います。人間として守る相手ではなく、自分の権益を侵す相手として平気で憎悪します。成功者の俺様が、何でこんな奴らのために金を出す必要があるのかと。そうした意識が、日本全体に徐々に広まっているように思います(いささか蛇足ですが、gori氏がイラクで人質となった邦人に激しい敵意を露わにしたのは、俺様の税金が俺様の大嫌いな連中を助けるために使われるのは屈辱だ、という意識があったからと思えてならない。人間だから助けるという意識はかけらもない)。
     しかし、いかな高額所得者であっても、回り回ってみれば大多数の低・中額所得者の消費が積もり積もって、自らの富を生み出しているのです。決して自分一人の力ではありません。一体、年収百億の人間が、百万の人間の一万倍努力しているからと、どうして言えるでしょうか。百万の人間が、一万分の一の努力しかしていないからだとどうして言えましょうか。貧乏なのは努力が足りないからだというのは所詮主観的な評価であり、言い訳に過ぎません。
     しかも、生きて行くために削れない出費(エンゲル係数)の割合は収入が低いほど高くなりますから、もともと高額所得者はより富を生み出しやすくなっているのです。ですから、高額所得者ほど負担の重い累進課税は理に適っています。ところが、小泉政権は、高額所得者や大企業の負担はそのままかむしろ一層軽くし、中産階級や貧民から、つまり数の割に自民党にとって取りやすい相手から金を取ろうとしています(竹中平蔵氏に至っては人頭税、つまり人間の頭数に応じて同額の税を徴収することが「公平」だと主張している! こうなると貧乏人ほど税率の高い過酷な逆進課税となる。櫻井よしこ氏との対談「内閣法制局こそ違憲である」『Voice』2001年5月号など参照。ただし、この対談は大臣就任直前のもの)。それなのに、マスメディアは共産や社民の主張として、通り一遍に取り上げただけです。そして、たとえば『讀賣新聞』9月6日号社説にいう。「日本の社民、共産党は所得税と法人税の最高税率引き上げを訴えている。国際化が進んだ今、こうした増税は企業の海外流出と活力の低下を招きかねない。両党はこの疑問にどう答えるのか」

     誰だって増税はいやです。ところが、逃げ場のない中産階級以下に対しては居丈高なのに、一番収入を得ている大企業や富裕層に対しては、国外逃亡されては困るから優遇しようと平気で追従する。もし税金払うのいやだから逃げ出そうといった人が「プロ市民」であるとか、「郵便局員」であるとか、「野党支持者」であるとか、彼らに非難される属性の持ち主であったなら、どれほど手ひどい罵倒を浴びなければならないでしょうか!? 企業や大企業を敵視するなと意見されれば、恨みを買う不正な真似をして敵を作っているのはあなた方だと答えます。 これほど露骨に、強い者の味方であることが賞賛されたことは近年になかった。少し前までは、まだしもそれを言ってはおしまいという遠慮があったはずです…。
     讀賣の言う企業の所得も、多くは大多数の低〜中所得者の消費が積み重なって自らの利益となっているのです。目先の利益だけを考え、低所得者層だけから税を取り立てれば、消費どころではなくなり、企業の首を絞める結果になるでしょう。あるいは、大企業はそうなったらやはり国外逃亡するかも知れない。そうなったら、誰が責任を取るのですか。あとに残るのは、大多数の人間の無意味な苦しみだけです。
     テレビ朝日の「たけしのTVタックル」は選挙後になってようやく取り上げましたが、アリバイといってよいでしょう。10月17日放映では法人税だけ減税のままなのは日本経団連の意向であると小池氏が述べましたが、同じ番組で民主党議員(名前失念)の何故大企業から金を取ろうとしないからとの追及に、スタッフを介した形で自民党の片山さつき氏は「社民党と同じ」とはねつけました。日本の経済を引っ張って行くのに必要だからと説明していたと記憶します。仮に発言がこの通りのものとして話を進めますが、つまり景気回復の果実を手にするのは。一議員の発言であるにしろ、こんな人物に熨斗をつけて鴨ネギを差し上げたのですからバカみたいな話です。大多数の人間が票を投じても、重税でもって応えるだけと居直ったのです。
     日本経団連は、前述の評価基準を元に、自民党に多額の政治献金を行いました(平成16年度では、自民党向けが前年比四億円増の二十二億二千万円と全体の97・3%。民主党向けも二千万円増加し、六千万円。「経団連会員の政治献金22.6%増加 16年は23億円 実施、600社に拡大」『産經新聞』8月24日)。今回の総選挙では、早々と奥田会長は自民党単独支持を表明(「自民党支持を公式表明へ 経団連」)。奥田会長のお膝元であるトヨタ自動車は、これまでは組合と民主党候補が結びついているため会社としては距離を置いていましたが、この総選挙では自民党候補の選挙運動に積極的に協力(「【2005総選挙】トヨタ、自民支援鮮明 愛知の集会に経営陣続々」『産經新聞』9月7日)。そして、選挙後はさらなる政治献金の増額を奥田碩会長は求めています(「政治献金の増額、会員企業にお願いしたい=経団連会長」)。そして、労働組合が選挙で野党を支援するのはけしからんという論者は、この事には見事に触れません。なんて分かりやすいのでしょう。

     そもそも、小泉政権やその支持者は郵政私営化はもちろん、増税の理由として国家財政の悪化を挙げています。しかし、政府の借金がかさんだのは誰の責任なのでしょうか。
     小泉内閣の元で予算を組んだ平成14年度(2002年度)以降の3年間に限っても、特例公債(赤字国債)は86兆円の増加。建設公債(建設国債)を含めますと、増加額は117兆円に達します(ただし17年度は現在の予定、財務省「公債残高の塁増」)。繰り返しますが、小泉内閣の責任により組まれた、そして組まれようとしている予算です。
     内閣総理大臣の官職を帯びて、日本の国務を執り行った小泉純一郎氏は、何故その責任を問われずにいられるのでしょうか。税を納めない国民が悪い、私は悪くないとでも言いたいのでしょうか。小泉氏は国債発行額30兆円以内などの公約を守れなかったことを菅直人氏(民主)に追及され、「大きな問題を処理するためには、この程度の約束を守れなかったというのは大したことではない」と答弁しました(ちなみに他の公約違反の内容はペイオフ解禁と8月15日の靖国神社参拝)。認めたくはありませんが、小泉氏は日本の代表者です。要するに、問題の大小、実行不実行は全部小泉氏が気ままに決める。俺が大きな問題と決めたから大きな問題だ。小さな問題と決めたから破っていい公約なんだ。他人がどう判断しようと知ったことではない。事前に「これは守れなくても大した問題ではない」と明言していたならまだしも、です。また、反対意見に従ったからと釈明もしない。ただ野党が悪い、抵抗勢力が悪い、果ては世論が間違っていると(正確には「ある場合は世論に従って政治をすると間違う場合もある」、2003年3月5日参議院予算委員会)。他人には「自己責任」を要求し、自分は決して責任を取ろうとしません。
     『自民党が負けない50の理由』(そうこの話はまだ続いていたのです)で「覚悟効果」と解説されていますが、国家財政の破綻を避けられない天災のように装い、責任者である自分だけは責任を取らず、国民の覚悟だけは要求するやり方です。
     とはいえ、憲法上、小泉氏を選んだ責任は有権者にあります。有権者にとって、国家財政の破綻の責任を問うには、財政の責任者である小泉氏を選挙で落とすか、少なくとも政権の座から引きずり下ろすしか事実上無いのです。私たちは、小泉氏を選んだ責任を取ることに失敗しました。
     大多数の人間を税を取る対象と、ただ票を頂く対象としてしか考えていない小泉政権。私利私欲にかまけて国民国家としての責任を放棄しています。

    自民党支持者の見解について

     その他、「後ほど触れる」と書いてそのままになっていた、自民党支持者の触れた点にも簡単に。民主党は中韓の手先云々という主張は、更新情報9月10日の項で繰り返したように、元となる根拠として持ち出されたのは悪質な流言が主でした。EUのような通貨統合を主張した改憲案が「中国に日本が乗っ取られる!」という話に化けたデマの広がりぶりと、デマに対する民主党の無力さはいっそ見事なほどでした。岡田克也氏は『毎日新聞』10月25日号でぶつくさ言っていますが、このような言い方では言い掛かりであると容易に逃げられるためむしろ逆効果です。「禁じ手」を使われたというのは、『自民党が負けない50の理由』で解説された心理効果に加え、何らかのネット上の工作を指すのでしょうが、少なくとも、明らかに組織的に垂れ流された「中韓に乗っ取られるシリーズ」の傾向と対策はきっちり行い、他にもネット工作があると言うなら総力を挙げて調査すべきです。
    2005年09月12日 日本人の特色」(「豪快! 伊勢エビジュース!」)マスメディアでも自民党支持報道が主流でしたよと。また、「これからの改革の激流と競争社会、勝ち組み負け組に分かれる日本を覚悟しての小泉支持」というのは、まさに覚悟効果に他なりません。また、そうした覚悟を国民が持っているのは正しいか否かと問われれば、それは間違っています。国民に覚悟だけ要求し、適当な外敵を作って(このblogでも「敵」として「財政再建、公務員のリストラ、極東三馬鹿、国防、部落在日利権」を挙げているが、小泉政権そのものは無謬を自明としている)責任逃れをする政権を、決して信任してはなりません。それは、もはや国民国家としての責任を放棄しているからです。
    2005年09月12日 ・小泉自民党圧勝の意味 〜下された国民の審判〜」(「アジアの真実」)10月17日、小泉氏は確かに当てつけのように靖国参拝しました。しっかりマスメディアを引き連れて。私人であるというならマスコミ払いして行けばよいものを(政教分離規定に反するゆえ公人としては行くべきではない。ちなみに大阪高裁の違憲判決で妙な騒動が起こっている模様。「弁護士山口貴士大いに語る」より「【続々】小泉首相の靖国参拝はやっぱり違憲でしょう」。thessalonike2氏の反小泉連合の呼びかけは大いに評価すべきと思うが、この件に関しては分が悪い。今回に限れば、トラックバックしているgori氏の方が説得力があるぞ…)。
     小泉氏や自民党がいかに国民を馬鹿にした情報操作をしてきたか。本稿でも繰り返し紹介しました。従って、この前提を無視して国民の審判を強調する主張に憤慨しています。しかし、選挙というものは、勝てば靖国だろうがイラク侵略だろうが認められたことにされてしまうのは、また事実です。私から朝日にコメントするならば、「小泉氏がおかしいと思うなら、選挙に徹底批判すべきだった。後の祭りではアリバイにしかならない」。竹山徹朗氏の「2005.09.16 Friday 改正版:投票日翌日の三大紙」も参照。
     以下続く…(2005/10/26 01:57)

    盗聴法・共謀罪・その他言論の自由

     続きます。
     総選挙公約(マニフェストなど)で盗聴法に直接触れたのは民主党(「(5)盗聴法、住基ネット法、個人情報保護法を見直します。」)だけ。共産党・社民党は公約には入っていません。強いていえば、自民党が「自民党 政権公約2005」では、(073. 犯罪のない世界一安全な国づくり)で「組織犯罪、サイバー犯罪、少年犯罪に対処する関連法整備を推進する」盗聴法強化にさらりと触れた程度です。これも、予備知識がなければ盗聴法のこととは分からないでしょう。(そこへ行くと、盗聴法強化を選挙の度に訴える讀賣新聞は、記事は大いに問題があるとはいえ、最低限問題提起の役目は果たしている)
     実は、小泉氏の「郵政公務員26万人」云々は、しばしば次の内容とセットになっています。

    ○内閣総理大臣(小泉純一郎君)
    (中略)
     郵政事業は、二十六万人の常勤の国家公務員を擁しています。国民の安全と安心をつかさどる全国の警察官が二十五万人、陸海空すべての自衛官は二十四万人、そして霞が関と全世界百数十カ国の在外公館に勤務している外務省職員に至っては六千人にも及びません。今後も公務員が郵政事業を運営する必要があるのでしょうか。(2005年9月26日衆議院本会議、施政方針演説。同様の発言は「山崎宏之のウェブログ」「 2005年 8月 26日(金)」など参照)

     郵政公務員を悪と見なす一方、警察官を「国民の安全と安心をつかさどる」と好意的に挙げ対比させています。このことは、警察官が毎年一貫して増員され続けている事実と重ね合わせることで、より浮き彫りになります。平成17年度予算から3年間で、さらに1万人増員される予定です。小泉氏にとって、公務員として必要なのは警察官であり、さらに言えば治安維持の――単に犯罪を取り締まる司法警察ではなく、犯罪を「未然」に防ぐための行政警察(警備・公安警察)の――拡大なのでしょう。盗聴法の成立や共謀罪設置と表裏一体です。
     それは、住民に対する福祉から、住民を虞犯者と見て常に監視しようとするために人材を振り向けるという意思表示です。
     一体、神奈川県警に端を発した6年前の警察不祥事はなんだったのでしょうか。そもそも、神奈川県警の犯罪が明るみに出たのは盗聴法成立の直後で、法成立のために伏せられていたのではないかとなおのこと批判されたものです。警察不祥事は報道されなくなっただけで、無くなったわけではありません。警察の是正はうやむやにされたまま、数を増やし続けています。
    警察官の増員」(宮崎学氏)
    麻生総務大臣折衝後記者会見の概要 平成16年12月22日(水)

     共謀罪は現在会期中の第163回特別国会が11月1日までのため、今国会での成立はほぼ無くなりました。しかし、10月26日に衆議院法務委員会で参考人質疑が行われました。参考人を呼んでから採決、が基本的な展開なので、このまま継続審議になっても、来年冒頭の通常国会でいきなり成立に走る危険性は極めて高いです。
     「共謀罪の今国会審議終了」(10/28、保坂展人氏)。案の定、「組織犯罪対策」の建前がいかにいい加減かが現れています。衆議院審議は録画が公開されていますので、近く公開されるであろう国会会議録ともども検討してみたいです。

     これまでに盗聴法、国民総背番号制、個人情報"反故"法、有事法制などが成立しました。審議中のものや今後提出が予定される法案では共謀罪、青少年健全育成基本法案(漫画・ゲーム等規制)など。いずれも、自民党(公明党その他も含め)政権は一貫して言論統制を進めています。このような政権にとって、言論の自由とはどういうものでしょうか。
     自民党が「言論弾圧」という時、それはNHK番組政治介入問題の朝日の報道を指します。また、小泉首相は、10月17日の靖国神社参拝の根拠として憲法19条の「思想および良心の自由は、これを侵してはならない」を挙げ、「靖国の参拝というのは憲法に保障されている」と主張しました(10月19日国家基本政策委員会合同審査会(党首討論))。
     そしてこのお方です。
    July 20, 2004 放送法改正にビビる毎日新聞」(例のgori氏)
     自民党が放送法を盾にマスメディアを批判すると、もちろん悪いのは批判されたメディアの方である。ところが、自民党が自分のテレビ局を持とうとすると、一転して放送法が邪魔になったので中立規定の削除を検討しました。毎日新聞が資金力のある与党に有利だと批判すると「毎日新聞の反応見て分かるのは、やっぱこいつら既得権益に胡座をかいてるんだなぁ、と。規制が解除される事によって新規参入される事が怖くて怖くてしょうがないんじゃない?」…そう、再び、自民党に法改正を決意させたマスメディアが悪いのだ!
     この人は、政府自民党は全て正しいということに決めているらしい。政府が正しいというのが先にあって、理屈はあとから貨車で付いてくるのでしょう。私も盗聴法廃止・言論の自由擁護の立場から随分野党に肩入れしてきましたが、こんな論理破綻してまでは出来ませんよ、人間として恥ずかしくて! ちなみに関連記事。
    2004年 07月 20日 放送法と「自民党チャンネル」
    イラク派遣に不安(ブチッ)←政府による言論統制を正当化。所詮は自分にとって都合の良い存在だから心配しているフリをしているに過ぎないのに(イラク人質への悪罵は絶対に忘れん)、「自衛隊への批判=悪」イメージを刷り込もうと必死。その偽善っぷりに反吐が出る。そして、gori氏にとって「言論弾圧」とは、マスコミを批判した井内顕策東京地検特捜部長への反発であったり、民主党岡田代表(当時)がアジア太平洋戦争肯定論者を「そんな事絶対許さない!絶対間違っている!!」と批判したことであったり、そしてもちろん安倍晋三・中川昭一氏への批判であったりします。私が「気に入らない人質の抹殺を望んだり郵政民営化論で嘘八百を書いたgori氏は人でなしだ、悪辣なデマゴーグだ、絶対に許さない!!」と言えば、gori氏にとっては言論弾圧なのでしょう。

     そして、両者の主張には重大なすり替えがあります。たとえばgori氏は井内氏の発言への反発を「この国からマスコミを批判する自由を奪い去るマスゴミ」と批判しますが、『朝日新聞』記者が出入り禁止になった件では、井内氏による言論弾圧ではないかとは一ミリも考えない。そして、井内氏のような官職に就いている人間を批判するためには、公式発表だけで、つまり官庁の側の自主申告だけで事足りるのであろうかということにも思い至りません(ちなみに、井内氏が朝日記事に怒った理由は3月29日の衆議院法務委員会に拠れば、村上正邦氏を取り調べた際、「ここで腹を切ってみろ」というようなことを言ったと書かれたからだという。もし「腹を切って」と言われたのが朝日記者であり、発言者が政府の誰かであれば、gori氏がどのような反応をするかは明白ではないか)。
     煎じ詰めれば、マスメディアは政府や行政機関の意向を慮って記事を書けということであり、政府広報、大本営発表に徹せよとの主張に他なりません。何故なら政府は常に正しいからであり、政府が失敗するのは常にマスコミなどの外部に邪魔されるからである。そういう思想です。言うに事欠いてマスコミの妨害で事件が潰されたと主張していますが、「そういう事件」あったでしょう。しかしそれがただの言い訳でしかない反証が多数あることも、神奈川県警による共産党・緒方靖夫宅盗聴事件を刑事事件で起訴できなかった顛末を見ても明白です(伊藤榮樹『検事総長の回想 秋霜烈日』朝日新聞社)。
     マスメディアは、何と言っても人間で構成されているのですから、誤りがあればその都度ただして行けばよいのです。
     しかし、それは井内氏、政府の側にとっても同じ事です。さらに、政府の官職に就いている公務員は、相応の権力を国民から一時的に借り受けているのであり、権力に応じて批判の目を厳しくしなければなりません。何故なら、そうしなければ過ちを誰にも止められなくなるからです。
     自民党は、これまでに挙げた言論統制法の数々や改憲案を見ても、自分は弾圧する「側」にだけ立ちたい意図はこれまた明らかです。
     彼らにとって、「言論の自由」とは、政府の官職を帯びた人間のためのものなのです。見事な新語法です。
     どちらの内容も、Heads I win, tails you lose.(表が出れば私の勝ち、裏が出ればあなたの負け)という都合の良さです。
     私は、このような主張をする人間がいることそのものに、頭がくらくらします。

     だがしかし。ここでは、政府の側こそ「弱者」で、強大な何かに「弾圧」されているという世界観が共有されています。そして、相当な支持を得ています。政府による言論弾圧は言うまでもなく悪いことだと思っている私のような人間の常識は通用しないのです。在りし日の『噂の眞相』は、検察がどれだけ政治的に捜査を行い、また手心を加えたのかをしばしば記事にしました(バックナンバー検索)。検察を単なるマスメディアの被害者とする見方とは、あまりにもかけ離れています。
     さらに言えば、『産經新聞』などは元より、『朝日新聞』など反政府的と叩かれるメディアも、明らかにこの世界観を共有しかけています。政府を批判して何が悪いと、どうして真正面から主張できないでしょうか。
     小泉氏は言いました、「新聞の報道で道路公団改革は失敗したというのは、朝日新聞の虚偽報道です。私は先日も朝日新聞の記者に申し上げたんですよ、本当のことは書かなくても仕方がないけれども、せめてうそだけは書かないでくれと。私と親しいある閣僚経験者が、小泉がそう言ったと。親しい閣僚経験者はだれだか言わない。私は、そんなこと一度も言ったことはない。こんなに大きな画期的な改革は珍しい」(2月3日衆議院予算委員会)と。時の首相に嘘吐き呼ばわりされて、反骨心をたぎらせなければまともな操觚者ではありません。どうして小泉氏に言いたい放題させておくのでしょうか。明らかに、政府批判する事への後ろめたさのようなものが朝日の記事にはあります。それが自公政権やgori氏のような言説を、ここまでのさばらせて来た原因に他なりません。

     小泉政権の政策は明らかに強者の味方ですが、支持を得るために時として自分を弱者に見せるテクニックを使っています。これは単なる技術ではなく、本気で弱者と思っている節もあります。常に何かに怯えていて、「敵」を殲滅せずにはいられない。
     それは全くの嘘ではなく、確かに自民党及びその支持者は有権者の多数派ではありません。保守合同以前まで遡っても、総保守の絶対得票率が過半数を超えたのはただ一度、1952年の第25回総選挙だけです。この時、保守政党は自由党、改進党、日本再建連盟の三党の公認と追加公認だけで23,732,785票。当日有権者46,772,584人に対し、50.74%の得票を得ました。今回の自民党は選挙区でも31.58%ですから、三分の一にもなりません。しかも、選挙区得票には公明党支持者の票が多数含まれています。ですから、自民党に反対する人間が束になれば負ける程度の強さであるという点では「弱者」といえます。マスメディアが、本当に反自民一色になるならば負けるであろうとも言えます。
     しかし、自民党及び公明党は、現に政権を握り、マスメディアその他の言論を直接統制する力を持っています。敢えて逆らおうとするなら、相当の困難を覚悟しなければなりません。この点で、国内の大半の人間にとって強者であることもまた明らかです。
     また、『50回選挙を〜』にも挙げられていますが、直接の言論統制は目立ちますが、気に入らない言論を無視する「黙殺効果」は、地味ながら効果が高いです。自民党やマスメディアがどれだけ都合の悪い事を黙殺してきたかは今後も延々と書き続けてやりますが、たとえばメディア規制について。自民党やその政治家がある報道を「偏向報道」と批判したことは知っていても、それ以外の政党や政治家が批判した事件について、どれだけ知られているでしょうか。
     たとえば、8月9日、民主党は「ここ一両日の報道ぶりには自民党内の報道が多く、偏りが見受けられる。公正・中立な報道をお願い申し上げる」とマスコミ各社に申し入れました(『毎日新聞』9月13日号「選挙:衆院選 自民圧勝/埋没した民主 勝敗分けたメディア戦」)。民主党の主張の是非以前に、民主党が抗議した事実がどれだけ知られているでしょうか。今回の選挙ではありませんが、2001年参議院選挙の政党広告の扱いで、社民党が抗議した事実がどれだけ知られているでしょうか。

     最も極端なのが、マスメディアに当選の見込み無しと判断され、主要政党の候補でもないいわゆる泡沫候補の扱いです。マスメディアで「主要三候補に聞く」と記事があり、4人目の候補者がいるのに無視されている事がありますが、その無視された候補者のことです。最近は又吉光雄氏などかなり少なくなりましたが、かつては雑民党の東郷健氏、大日本愛国党の赤尾敏氏など名物候補が多数いました。これらの候補に対し、朝日・毎日・讀賣は当時の自治省ともグルになって報道で閉め出す協定を結んでいたと岩瀬達哉氏は指摘しています。「主要三候補」もそのための手段の一つなのです。その中には、候補者が抗議して来た時に「報道・評論だからニュース価値の判断から新聞独自にやるもの」などと退ける想定問答まで用意していたといいます(岩瀬達哉『新聞が面白くない理由』講談社文庫、別冊宝島356『実録!サイコさんからの手紙』に森岡健作名義で収録「泡沫候補撃退マニュアル!!」)。自民党に対し、同じ台詞で抗議を突っぱねた話は聞いたことがありません。
     そして、鹿砦社社長逮捕事件や、共産党ビラ逮捕事件(何件かありますが、この総選挙では厚生労働省職員が捕まった。ただし東京地裁が検察側の拘置請求を却下したため釈放された。「ビラ配布の公務員釈放 拘置請求 異例の却下 東京地裁」『西日本新聞』9月14日号。しかし、東京地検は起訴に踏み切った。「世田谷ビラ配布弾圧事件 東京地検が不当起訴」『しんぶん赤旗』9月30日号)は、どれほど知られているでしょうか。どれほどその言論弾圧の深刻さが報じられたでしょうか。「共産党のビラだから逮捕されて当然」という珍説でさえ、自民党への「弾圧」を批判する主張の多さに比べれば、ほんの一握りに過ぎません。さらに、厚生労働省職員が捕まったことは知っていても、その後の経過までフォローする方は少ないと思います。
     自民党の抗議が知られているのは、その主張が他の候補者の抗議より正当性があるからではなく、自民党に力があるからです。自民党が政権与党であるからこそ、その主張も報じられるのです。ところが、その前提を無視することによって、「自民党はこんなにマスコミにいじめられている」という全く正反対の結論が導き出されるのです。あなたはどこでそのことを知ったのか。自民党サイトや機関紙の購読者も中にはいるでしょうが、大多数はマスメディアの報道からではないか!
     「暗いニュースリンク」は、ジョージ=オーウェル『1984年』の

    に引っかけて
    戦場は非戦闘地域である
    裏切りは公約である
    広報は報道である
    と自公政権を皮肉りましたが、私ならそれに加えてこうするでしょう。

    2005.05.07 Saturday 憲法の背景(その1)」(竹山徹朗氏)
     日本国憲法は国民主権の原則にもあるように、政府は国民の代表者でしかありません。また、憲法に基づいて(つまり政府より憲法の方がエラい)、政府が国民の代表から外れて勝手なことをやらないよう歯止めを掛ける、立憲主義の原則が取られています。
     小泉氏が憲法19条を挙げた事のおかしさの一つは、思想および表現の自由は政府による弾圧から守るためのものであって、その逆ではないからです(だからこそ、政府の官職を離れた私人としての参拝は守られるが、内閣総理大臣の官職を誇示すればそれはもう私的なものではないのである。ちなみに、今ひとつのおかしさは、政教分離を定めた憲法21条による。そのためか、自民党改憲案はこれを緩和しようとしている)。
     ところが、自民党政権の主は、自分は永遠の支配者であり、憲法より遙かにエラいと思っているので、憲法による掣肘が鬱陶しくてならない。自分はもっと偉いはずなのに憲法より下位の存在という現実が、自分こそ弱者であるとのねじれた思想を補強していると思います。逆説的に言えば、自分が国民の多数の支持を得ている存在ではないと分かっているからこそ、永遠の支配者の地位から引きずり下ろされないよう、国民統制することに思い至れるのでしょう。

     『1984年』は、共産主義的全体主義の恐ろしさを主張した作品とされていますが、こうしたねじれはやはり全体主義への道と思います。自分は正しいと思っているからためらいがない。自分を弱く、敵を強く思い込むことで、油断しないという効果の他に、「敵」への非道な弾圧を正当化する効果も生んでいます。「敵」への恐怖に駆られて、自分ではそれが非道と気づこうとしない。また、自分が政府の側であることそのものを正当性の理由にしているので、主張の整合性は全く問われません。
     私は思います。このようなすさんだ思想で日本を、この世界を覆い尽くしてはならない。断じて殺伐と敵意の世界にしてはならない。

    小泉氏はヒトラー?

     亀井静香氏(国新)の発言に「小泉首相は非情な人。ヒトラーより、もっと独裁的な政治をしている」(8月31日日本外国特派員協会主催の講演会より)というものがあります。
     国民新党の4コマ漫画でも、小泉氏をアドルフ=ヒトラー氏になぞらえた作品が掲載されていました(現在は削除されたが「国民新党の4コマのガイドライン・倉庫」で見る事ができる)。
     もちろん、今のところ小泉氏はヒトラー政権のように大虐殺を行ったわけではありません。米英に従いイラクを侵略しましたが、なおヒトラー政権の暴虐には及ばないでしょう。政府批判への圧力が強まっているとはいえ、小泉氏を批判すれば殺されるところにはなお遙かに遠い。
     また、政策的にも、ヒトラー政権はアウトバーン(高速道路)建設など、新自由主義とは逆の、公共事業によるケインズ主義的政策を行っています。
     では両者の共通点は何かといいますと、Demagogue、すなわち(煽動的)民衆指導者であるところです。小泉氏は現に何を成し遂げたかではなく、何をするかを期待させる事が抜群にうまい。ほとんど本能的に。

    「すなわち宣伝はだれに向けるべきか? 学識あるインテリゲンツィアに対してか、あるいは教養の低い大衆に対してか?
     宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである!」
    (中略)
    「宣伝におよそ学術的教授の多様性を与えようとすることは、誤りである。
     大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、その言葉によって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように継続的に行われなければならない」
    (中略)
    「宣伝の学術的な余計なものが少なければ少ないほど、そしてそれがもっぱら大衆の感情をいっそう考慮すればするほど、効果はますます的確になる。しかしこれが、宣伝の正しいか誤りであるかの最良の証左であり、二、三の学者や美学青年を満足させたどうかではない。」
    (中略)
    「イギリス人やアメリカ人の戦時宣伝は心理的に正しかった。かれらは自国の民族にドイツ人を野蛮人、匈奴だと思わせることによって、個々の兵士に前もって宣伝が、戦争の恐怖に対する準備をし、幻滅をおこさせないように努力していた。いま自分に向けられたどんな恐ろしい武器も、かれらにはただ、かれらにいままで与えられた啓蒙が正しかったことを確認した以上には感じられず、他方、極悪な敵に対する怒りと憎悪の念を高めると同様に、政府の主張が正しかったという信念を強めたのである。というのは、かれらは、自分たちの武器がおそらく――しかもほんとうに――もっとほんとうに恐ろしく効力があるということを考えるいとまもなく、かれら自身が、敵の側から体験させられた武器の残酷な効力が、すでに先刻承知の野蛮な敵の「匈奴的」残虐の証拠だと漸次考えるにいたるからである。」
    (中略)
    「たとえば人々が、ある新しい石鹸を吹聴しようとしているポスターについて、そのさいまたほかの石鹸も「良質」であると書いたなら、人々はなんというだろう?
     人々は、これにはあきれて頭を横にふるよりしかたがないだろう。
     政治の広告でも、事情はまさしくそのとおりである。
     宣伝の課題は、たとえば種々の権利を考慮することではなく、まさに宣伝によって代表すべきものをもっぱら強調することにある。宣伝は、それが相手に好都合であるかぎり、大衆に理論的な正しさを教えるために、真理を客観的に探究すべきではなく、絶えず自己に役立つものでなければならない。」
    (中略)
    「宣伝によってもたらされるべきものの内容を決して変えてはならず、むしろけっきょくはいつも同じことを言わねばならない。だからスローガンはもちろん種々の方面から説明されねばならないが、しかし考察の最後はすべていつも、新しいスローガン自体に戻らなければならない。そのようであってこそ宣伝は統一的であり、まとまりのある効果をおよぼすことができ、また効果がおよぶのである」
    (アドルフ=ヒトラー著、平野一郎・将積茂[しょうじゃく しげる]訳『わが闘争』角川文庫、ISBN4-04-322401-X。「第六章 戦時宣伝」236〜243頁より)

     こうしたヒトラー氏の手法は、小泉氏と大いに共通するものです。論理の整合性よりもひたすら郵政民営化=改革を訴えたこと。それ以外の論点を無視したこと。「抵抗勢力」がいかに強大な敵であるかを喧伝したことなど。
     単にワンフレーズなら、護憲を訴えた共産党も社民党もやっています。しかし、政策の実現のためではなく、勝つための手段と割り切って宣伝を繰り広げた点において、小泉氏の右に出るものはありません。(この件については「2005-09-04 ■ [politics]ヒトラーに擬えるに当たって」(bewaad氏)の記事が参考になります)
     ヒトラー氏が今に至るまで繰り返し悪人の代名詞とされるのは、民衆を煽ったあげくに世界を巻き込む侵略戦争を起こし、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)、障害者など数百万人を虐殺したからです。しかし、たまたまミニ政党だったドイツ労働者党(ヒトラー氏により民族社会主義ドイツ労働者党と改称)に入らなければ、売れない画家で終わったかも知れない。ヒトラーという「極悪人」だからこそなしえた犯罪ではなく、煽りに乗って突っ走れば、誰しも似たようなことをやらかすかも知れない。人間は名分があれば、どんな非道なこともやってのけることは、哀しいかな過去も昔も同じです。
     現在の小泉氏は政策的にはヒトラー氏ではありません。しかし、政策ではなく煽動によって人々を動かすやり方は非常に似通っており、そのデタラメなやり方を止めなければ、同じ危険はあると思います。
     ちなみに、小泉氏とヒトラー氏を同列視するのはおかしいという主張から。
    <「ヒトラー、大政翼賛会」を持ち出すばからしさ> [2005年09月15日(木)](たむたむこと田村重信氏。花岡信昭氏のメールマガジンの引用)
    恥ずかしい男(shigezo69氏)
     shigezo69氏の指摘通り、小泉氏は非合法に野党議員を追放して議会を支配したわけではありません。何しろ、当時のドイツは純粋比例代表制なのですから、小選挙区制の魔術が使える日本とは前提が違うのです。(しかし比例制だからヒトラー氏のような人間が現れるわけでもないのが選挙の難しいところ)
     現実は、さらに質の悪いことになっています。日本國憲法より。

    第五十五條 兩議院は、各々その議員の資格に關する爭訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多數による議決を必要とする。
    第五十八條 兩議院は、各々その議長その他の役員を選任する。
    2 兩議院は、各々その會議その他の手續及び内部の規律に關する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多數による議決を必要とする。

     衆議院で三分の二を握ったことで、小泉政権は合法的に議員の追放が可能になりました。憲法改正は衆参両院で三分の二が必要なので即座に発議されるわけではありません。しかし、代議士を追放する権限を合法的に手にしてしまったことは、あまり報じられませんが決定的な意味を持ちます。
     もちろん、見識ある総理なら安直に追放することは無いと思います。しかしながら、追放規定を発動しないまでも、全ての代議士に使える切り札となります。いざとなれば、適当な「敵」を血祭りに上げようとするための最高のオモチャを手にさせてしまったのです。
     これが、第44回衆議院議員総選挙で示された「民意」でした。

    それでも、自民党が勝ってしまった!

     例によって長々とした文章になってしまいました。資料を調べながら書いて行くうちに、こんなにとんでもない分量と時間を費やしてしまいました。はっきり言って、ここまで長いと時間の無駄です。
     自公政権の出鱈目さを改めて告発して来ましたが、むなしさは消せません。
     小選挙区制の魔術に触れたのは、「小泉信任こそ民意」を振りかざす手合いに対し、有権者の内訳はそうではないこと、しかし小選挙区制の元自民党が大勝したことを抑えておく必要があったからです。
     しかし、そうであっても小選挙区比例代表制で選挙が行われ、その制度の下自民党が大勝したこと。その選挙に参加した以上、自民党勝利が民意と見なされてしまうことは認めるしかありません。

     選挙中、自民党勝利を覚悟しつつも、反面ではずっとそんなはずはないと高を括っていました。
     私にとって、小泉内閣は、表現規制法の数々とイラク侵略荷担の二つだけでも憲政史上でも最低クラスの評価に値する悪行でした。のみならず、小泉政権の悪政はあまりに多岐にわたりすぎ、指折り数えることが困難なほどでした。しかも、始まって間も無い政権ではなく、丸4年間たっぷり実績を積み上げた上の総選挙でした。当然、政権を失う大惨敗してしかるべきでしたし、少なくとも単独過半数獲得はあってはならないことでした。
     総選挙の結果は、私の想像をあまりにも飛び越えていました。
     今の日本では、悪政を布けば布くほど勝ててしまうことが証明されてしまった!!
     
     いいトシをしたオトナが、いい加減な駄文・詭弁を弄して小泉政権を大挙して応援している。夢で済ませたい、けれども現実の出来事としてそれは日本で展開されました。一体あなた達に人間としての良心はあるのですか。腸が煮えくりかえる思いです!!

     ……………………………………………………………………………………………。

     いかにむかついても、自民党の側が素早く郵政民営化を旗印に主導権を握り、私たちの側が後手後手に回ってしまったことは儼然たる事実です。その結果、さらなる言論統制に拍車が掛かってしまったことも。
     あまりの結果に、己の行動の遅さを後悔する気力すらなかなか出てきません。

     気の利いたことを書いて締めくくりとしたいのですが、なかなか思いつきません。
     ただ、総選挙から1ヶ月以上が過ぎ、「腸が煮えくりかえる」思いも少し薄らいで来ました。いくら憤っていても、時間は否応なく流れて行きます。
     言論統制する側も人間であることを救いに、残務処理から始めるつもりです。
     コミックマーケット69の当落にかかわらず、『盗聴法について考える』冊子改訂版は出します。そして、冊子版はこれで打ち止めになるはずです。
     そして、しばらくの間はゲームや漫画に比重を移します。
     最後に、この項のために参考にした他のBlogなどを挙げます。暇があれば、これらについて加筆する機会もあるでしょう。

    2005.09.01 Thursday Respectable Right〜「お上品な右翼」(フレッド・クック『極右』、安倍晋三、笹川正博、本田靖春『村が消えた』、山崎豊子『大地の子』、共同通信社会部『沈黙のファイル、ホリエモン、ジョン・バーチ協会、満州)(竹山徹朗氏)
    2005.09.11 Sunday 「本当の味方」〜前号の詳論〆政治的な対立軸、あるいは思想戦について(同)
    ヤラセの世論調査(きっこ氏)
    勝者の非情・弱者の瀰漫(内田樹氏)
    (トラックバック)
    2005.09.13 弱者の倫理は二度失効する。(hirakawamaruこと平川克美氏)
    June 05, 2005 『働くということ』(1)
    9年遅れで発見された「特異な病像」(徳保隆夫氏)
    小泉自民寄りくっきり 20代のココロ(『東京新聞』9月13日号)
    2005.09.18 毒電波受信 小泉や大衆を貶めたがる人々(匿名氏)
    二大政党体制からファシズム体制の時代へ − 民主党の終焉(thessalonike氏)
    2005年衆院選を振り返って(「たゆたえど沈まず」より)

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