盗聴法シリーズ(6) なぜ野党は負けたのか(Ver.2.005)


>ジオシティーとかXOOMなどいくらでもフリーでページを置ける所はあるんで、
>そこで全部まとめて置いて、ここにはそこのURLを書くようにしたら?
>毎回こんなに「重い」データを読み出すのはCGIにはキツイと思うし。
>(210番 うしとら氏)
 済みません、あと、もう少し……………。ああっ、早くハードディスクを買わなきゃ。
>ふおっ!久しぶりに来たら政治談義の場と化している・・・
>いつの間に趣旨替えなされたんですか?(笑)(213番 GMK氏)
 震源地のMURASAMEです。政治ではなく、盗聴法(通信傍受法)のはずだったのですが、いつの間にか。飽くまで盗聴法がメインです、はい。(でも、実はまだ政治ネタが有るんですよね)
>#ただ、206の年表は私としてはあまりここに書くべきものじゃないような気は
>しましたが。
>(214番 鷹月ぐみな氏)
 確かに。見ての通り不完全版ですので、完成(Ver.1.0)次第、新しいメールアドレスを取得して希望者に配布するつもりです。ご期待ください。

 追伸:年表はホームページともども、おかげさまで一応完成しました。もちろんここで見る事が出来ます(第1114回)。

 去る1999年葉月13日、第145通常国会が閉会しました。盗聴法を筆頭に「ガイドライン法」「地方分権一括法」「情報公開法」「産業活力再生特別措置法、改正租税特別措置法(リストラ・ベンチャー企業支援法)「不正アクセス禁止法」「国会法改正案(憲法調査会設置法)」「国会審議活性化法」「国旗・国歌法」「国民総背番号制」
・・・全てが悪法とは言いませんが、良くもまあこれだけの重要法案が通ったものです。内閣提出の法案124本中108本、成立率は87.1%。この108本という成立数は戦後最高だそうです(その後、2003年の第156回通常国会で126本中122本と更新しました)。
 ここで今更(旧)自由や公明の悪口を言っても始まりません。(次の選挙では別)今回は、盗聴法の土壇場になってもなお、足並みの乱れた野党側を見て行きたいと思います。
 まず衆議院をあっさり通過後、6月6日に参議院法務委員会で審議が始まりました。ところが、一応反対派の民主が、隠れ賛成派を抱えている事もありなかなか足腰が定まりません。与党に付け入る隙は色々あったのですが。
 そして、終盤の8月5日に事件は起こりました。は「議事運営理事懇談会」で決められますが、民主党の理事・円より子氏が行方をくらましました。流会にして時間稼ぎを図ったともいわれましたが、実際は与党との妥協を図る党の国対に反発したものでした(後述)。ところが、代理出席した千葉景子氏により無事懇談会が開催。しかも千葉氏は、「6日に盗聴法審議をやろう」と自ら言い出す始末。
 さらに、大詰めの8月9日。参議院法務委員会で、盗聴法の審議中、鈴木正孝氏の「動議」で「可決」したことにしてしまったのは前に述べました。

 実はこの時、社民党が荒木清寛法務委員長解任決議案を提出する予定でした。ところが、寸前になって民主党の国対が社民党に圧力をかけ、この計画が飛んでしまいました。次は法務委員会で、民主党の質問の時に、委員長不信任動議を出すことになったのです。ところがそれも民主党がやらないということが分かったので、仕方がないから共産党の質問のときに提出しようということになりました。そうするとそれを察知したかのように、民主党の円議員の質問中に自民党から「動議」が出され、あの騒動になったのです。
(中村敦夫氏ホームページ
http://web.archive.org/web/20041025215601/http://www.monjiro.org/tokusyu/tochou/Utimaku.htmlより)

 しかも、民主党議員は「強行採決反対」というプラカードを手に手に持っていました。何故そんなものが用意出来たのか。あらかじめ強行採決を知っていたからではないか・・?(自民党の馳浩氏も、推進側から同じ指摘をしています。第4回で挙げた「はせ日記」のURLの他、http://www.incl.ne.jp/hase/media/houseki-199909.html参照)
 最後の最後、8月11日から12日に掛けても、なおチャンスはありました。参議院本会議。『週刊金曜日』1999年8月20日号の「風速計」、佐高信氏の記述に従って箇条書きしましょう。(敬称略は佐高氏の原文ママ)
1,民主党の円より子が荒木清寛の解任決議案の趣旨説明を行ったとき。
 この時、円が「自民党が公明党を抱き込んだ」という意味の発言をしたとき、自民党の保坂三蔵が「おまえだって離婚しただろう」と野次った。円の抗議で審議はストップしたが、議長の仲裁ですぐ再開してしまった。その場で保坂の謝罪なり何なりを求めるべきだった。野党側は逆転ホームランにできるものをヒットにとどめてしまった。
2,民主党の千葉景子が賛成演説をしていたとき。
 斎藤議長の「そのまままとめて下さい」という勧告を無視して千葉が発言を続けたところ、自民党の南野知惠子(のおの ちえこ)が「難聴なのか」と不規則発言(野次)した。しかし千葉は気づく事ができずにそのままになってしまった。
3,社民党の福島瑞穂が賛成演説に立ったとき。
 反対派はいずれも時間稼ぎをすべく、延々と演説を続けていた。福島も一時間十五分に迫った。当然斎藤議長も止めに入る。ついには社民党の議事運営理事の三重野栄子(しげこ)が福島のそばに立って、今すぐやめよと言い出した。自分の立場しか考えず、盗聴法を本気でつぶそうとは思っていなかったのだ。
 福島は、衛視に連れて行かれるまで続けるつもりだった。もしそうなっていれば、大きく報道され、盗聴法はつぶれたかも知れない。
4,議長不信任案の審議が始まったとき。
 議長不信任案の審議中は、副議長が議長を代行する。菅野久光副議長は民主党出身(議長と副議長は在任中無所属となる)だった。直ちに休憩を宣言するべきだったのにしなかった。とくに民主党の国対に毒がまわっていたようだ。

 またこの他同誌では、荒木氏解任決議案の審議で、野党三党で賛成演説に立った三人がそれぞれあと15分粘っていれば午前0時になり、徹夜するための「延会手続き」が取れずに大幅に時間稼ぎが出来たこと。菅野副議長が議長を代行していた時が、投票時間制限をした斎藤議長がいないため、野党が牛歩を延々続ける唯一のチャンスだったこと。しかし50分で終わってしまったこと、などを挙げました。
 これらの抵抗を阻止する方向で動いたのが与党であることはもちろんですが、もう一つ、今まで何度か出て来た国対(国会対策委員)も大きな役割を果たしてしまいました。
 国対とは、与野党の談合係です。これは国会の場で調整出来なかった問題をこっそり決める係で、時にはその政党の党首すら知らずに勝手に話を進めてしまうこともあります。盗聴法成立時、各党の国対委員長は次の通りです。(表中敬称略)

政党氏名選挙区
自由民主党古賀 誠(*注1)福岡7区
自由党二階 俊博(*注2)和歌山3区
公明党草川 昭三(*注3)愛知6区
改革クラブ中野 清(*注4)埼玉7区
民主党鹿野 道彦(*注5)山形1区
日本共産党穀田 恵二比例 近畿
社会民主党前島 秀行(*注6)比例 東海

(*注1:現在は森山 裕、鹿児島4区。
(*注2:その後党は民主党と合併。2012[平成24]年、再独立の後に出来た自由党(新)の国対委員長は、玉城デニー、沖縄3区)
(*注3:現在は大口 善徳、比例 東海)
(*注4:その後党は解散)
(*注5:後継政党・国民民主党の国対委員長は泉 健太、京都3区)
(*注6:現在は照屋 寛徳、沖縄2区。前島氏は2000[平成12]年2月10日死去、享年58歳。社民党は、国対委員長を一時院内総務会長と呼んだが、2000年7月29日の党大会で、呼称を国対委員長に戻した)
(*注7:この他、立憲民主党の国対委員長は、辻元 清美、大阪10区。日本維新の会の国対委員長は、遠藤 敬、大阪18区)

 特に古賀・二階・草川の三氏は自らを「だんご3兄弟」と呼ぶほどの結束を誇っていました。という訳で、野党、特に民主党の国対が与党側に妥協してしまったので、盗聴法が成立したという結論です。まずい事に、民主党の国対は保守派が多く、その中には盗聴法賛成派もいました。与党側からお金(官房機密費)をもらっていたという説すら有ります(「国怪フォックス通信」http://web.archive.org/web/20040129040522/http://www.ajibun.org/miyazaki6/txt/k-fox/k-fox25-0805.html)、画像一部消失。実際、さっきの中村氏ホームページからの引用や、『一人でも変えられる 「生活者主権」、盗聴法をめぐる攻防』(円より子著、日本評論社)にあるように、民主党の国対が盗聴法反対に消極的だったのは事実のようです。円氏によると、直嶋正行民主党国対委員長代理から民主の賛成する成年後見法と商法改正案を先に審議するよう指示があり、盗聴法は「どうせ通すなら、(強行採決という)見せ場を作れば野党にとってもいいだろう」と言われたというのです。盗聴法成立と引き替えに、与党(与党側は青木幹雄氏が交渉)と取引をしようという提案でした。円氏は反発して理事を辞めると宣言。しかし、結局直嶋氏は撤回し、慰留を受けたこと、また代理の千葉氏が与党の言いなりであったこともあり、法務委員に復帰したというのです。(前掲書117〜122ページより要約)
 余りの事に、8月10日には佐高信・辛淑玉・大谷昭宏・宮台真司・宮崎学の各氏が共同で「昨日の強行採決の暴挙・愚挙に関して」と題して野党、特に民主党と与党との馴れ合いを批判する声明を発表したほどです。「国怪フォックス通信」によりますと、民主党の一部では「盗聴法成立を阻止するよりも、強行採決させてしまうことで自自公VS民主の構図を鮮明にした方が有利ではないか」という意見があったといいます。本当なら情けない話です。当然、阻止することによって国民の支持を勝ち取るべきでした。
 ただ、今までの国対では、与党側もそれなりに妥協して来ました。「官房機密費」(別名毒饅頭)はもちろん、野党の望む法案の成立を抱き合わせにすることで妥協して来たのです。実際、盗聴法や国旗・国歌法、憲法調査会設置法などは、今までも与党側が成立を望んでいた法案でしたが、野党の反対が大きいので無理はしなかったのです。今回も民主の国対は「国旗・国歌法案などで花を持たせたから、せめて住民基本台帳法案くらい何とか継続(審議)にして欲しい」と望んでいましたが、自民側はこれを一蹴しました。(『毎日新聞』1999年8月11日号「「不信任案」時期探る民主」)野党側は今までのつもりで妥協を望んだが、いざ自自公が調子に乗ると為す術がなかった、というのが本当のところでしょう。
 しかし、逆に言えば、自民党としても今までのように、野党の妥協に応じる余裕がもう無いということも出来ます。参議院での自民党は、10年以上前から過半数を割っていました。連立政権が出来るまでは、公明・民社(民社党。民主と社民の事ではありません)の協力を得たこともありますが、両党を入閣させることはありませんでした。何故自由党や公明党の大臣を出してまで、自民党はここまでするのでしょうか。特にPKO法案では、公民は内閣信任決議案に賛成するなど、完全に与党化しました。それでも自民は両党を入閣させようとはしませんでした。
 何故自由・公明の大臣を出してまで、自民はここまでするのでしょうか。有力なのは、自公民と自社さ、自自公、自公といった連立の間には、日本新党を中心とした非自民連立政権があった。そこで、初めて野党のつらさを知った自民が、与党にしがみつくため連立を進んでするようになったのだという説です。
 しかし、それは自由や公明、保新といった政党から入閣させる説明にはなっても、次から次へと法案を押し通した行動の説明には説得力が不足しています。一部で言われているように戦争を起こしたいからなのか、米国の意向なのか、それとも……………………………………………………?

 それよりも個人的にショックだったのは、三重野栄子氏の方です。三重野氏は社民の、しかも日教組出身の議員でした。日教組(日本教職員組合)というのは、日の丸・君が代に反対するなど、左翼的な組合との批判を受けがちです。(ん?あの先生はどうなんだろ)そこの出身者が、盗聴法の成立に手を貸すとは。私は国会の業の深さを徹底的に思い知らされました。
 もう一つ残念だったのは、やはり菅野氏が議長を代行した場面です。ここで民主党が牛歩を行わなかったのは、「与党が対抗措置として民主党出身の菅野久光副議長に対する不信任案を提出することもありうる」(『毎日新聞』1999年8月11日号前出)という警戒があったからです。自自公が多数なので、そうなれば菅野副議長不信任決議案が可決してしまうからです。「賛成票を投ずるのに、なぜ自(みずか)ら時間を引き延ばす必要があるのか」(『公明新聞』1999年8月13日号、ふりがな挿入は原文ママ)という与党側の批判もありました。しかし、投票中は不信任出来ないわけで、極端な話、会期末まで牛歩する手もありました。かつてのPKO法案では、共産党の14人だけで1時間20分粘りました。この時は牛歩から離脱していた社会党や連合の会が参加した下条進一郎参院国際平和協力特別委員長(いずれも当時)問責決議案では13時間6分。斎藤議長不信任に賛成したのは92人でしたから、最低でも8時間40分。五日間は無理でも、日が変わるまで続けることは十分可能でした。万一菅野氏の首が飛んでも、その無法を訴え、次の選挙での勝利につなげることが出来たはずです。また与党側の批判に対しても、「牛歩という野党の権利を取り上げた斎藤議長に対する抗議だ」とでも、いくらでも理屈は付けられました。どうせ時間稼ぎなのですから、なりふり構ってはいられなかったはずです。

 盗聴法そのものの議論については、明らかに反対派が勝っていました。
『公明新聞』は、「(MURASAME注:野党が時間が足りないというのは)その党派の質問内容がいかに稚拙(ちせつ)なものであったか」(1999年8月10日号)、あるいは服部三男雄(みなお)氏(自民)が「(盗聴法に)反対してる人はみんな不勉強で・・・」
(1999年6月29日参議院法務委員会)と批判していますが、そんな事はありません。
 盗聴法案は、主に衆参の法務委員会で審議されました。ここに限らず、委員会というのは専門家(法務ならば、検事や判事、弁護士出身者)と、全くの素人が混じっています。国会には専門家ばかりいるわけではありませんし、特に弱小政党の場合、希望した委員会になかなか行けないからです。法務委員会でも中村敦夫氏(無所属)のごときは第7希望でした(もっとも中村氏はキャスター時代に組織犯罪や人権問題を取材しており、盗聴法批判にそれが役立ちました)。だから稚拙な質問をする人は確かにいます。しかし、それはむしろ与党に目立ちました。
 例えばさっきの服部氏(元検事)ですが、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」(1999年5月30日放映)で「全ての被傍受者に通知が届く」と大嘘を吐いて法務省に即刻否定されています。(通知されるのは通信の当事者=犯罪者と疑われた人とその関係者のみ。盗聴法第二十三条及びシリーズ(1)の14参照)また法務省も、松尾邦弘刑事局長が「盗聴した後、犯罪に関係ない会話をどうやって消すのか」と中村氏に聞かれて、
>まず(盗聴した会話の)原記録がございますので、それから該当の部分を傍受記録
>という形で落とし込んでいく作業があります。これはテープの場合も、それから
>Eメールの場合も同様でございます。それで、必要なものだけが残っていく、
>残りは原記録に残るということでございます。(参議院法務委員会1999年7月1日)と答弁しました。しかし、法案には原記録の複製を造って、その複製から不要な部分を消す、とあります。(盗聴法第十九条1項及び第二十二条)松尾氏の答弁の通りですと、捜査員に原記録を改ざんするチャンスを与えてしまう事になるのです。それを中村氏に突っ込まれ、松尾氏は「申しわけありません。表現が大変不正確であったという点でおわびしたいと思っております。」(参議院法務委員会7月6日)と言いました。他にも今まで私が指摘した部分のうち、大半の点について国会で既に指摘されていました。特に例の共産党緒方氏盗聴事件では、「組織として本件に関与したことはない」と最後まで警察は責任を認めようとはしませんでした。こと議論に関して言えば、野党側が完全に勝っていたのです。
 しかし与党側は、時間が来たら強行採決、と言う安直な方法で乗り切り、野党は負けてしまいました。結局盗聴法を潰すには、ゴキブリのごとく、どんなに叩かれてもなりふり構わず突進する生命力が必要だったのでしょう。推進派の与党議員にはそれがありました。

 人間は弱い生き物です。私は臆病者なので、余り野党議員の悪口は言えません。しかし、与党議員のみが特別に強かったとも思えません。何故、野党はゴキブリ並の悪あがきが出来なかったのか。自民党議員は国会閉会後、数百万の報奨金をもらったそうですが(宮崎学氏ホームページ)、やっぱりお金が必要、という事なのでしょうか。頭を抱えつつ、次回では盗聴法成立後の動きを追います。


(*注)当初は「無限の正義」(Infinite Justice)と名づけたが、「Infiniteは「神(アッラー)」のみが持つ力だ、とのイスラム教徒側の抗議を受け、さらに「Justice(正義)」もイスラム教の聖典『コーラン』に「アラーは正義の徒を愛護なさる」などの記述があり、「聖戦(Jihad)」を正当化させかねないとアメリカ側が気づいたため、「不朽の自由」と改めた。現在はさらに「高貴な鷲(Noble Eagle)」と変更されている。

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